1. Home
  2. 社会・教養
  3. 暴力団捜査とインテリジェンス
  4. 真相を語ったのは“内妻”だった――元漁協...

暴力団捜査とインテリジェンス

2025.07.31 公開 ポスト

工藤會総裁・会長裁判事件におけるインテリジェンスの失敗 その1

真相を語ったのは“内妻”だった――元漁協組合長射殺事件、崩れた沈黙藪正孝(元警察官)

北九州を拠点とする凶悪な組織・工藤會対策に従事してきた、福岡県警元刑事・藪正孝氏による新書『暴力団捜査とインテリジェンス』が刊行されました。情報収集、駆け引き、交渉etc.武闘派に頭脳で迫った歴史的闘いの一端をお届けします。

*   *   *

継続的な情報収集――工藤會総裁らが検挙された四事件

継続的な情報収集が大きな成果を上げたのが、工藤會総裁らが検挙された四事件だ。

福岡県警が、平成二十六年九月、野村総裁と田上会長を逮捕した最初の事件が、平成十年二月十八日に小倉北区の繁華街で発生した元漁協組合長・梶原國弘氏(当時70歳)射殺事件だ。

平成十四年六月、実行犯として逮捕、起訴されたのは、当時工藤連合田中組傘下の中村組組長・中村数年、もう一人は田中組傘下の田上組本部長・Nだ。事件の見届け役、そして犯行使用車両を用意したのが、同じく田中組行動隊長兼古口組組長・古口信一だった。

彼らは、最後まで否認を貫いた。Nは福岡高裁で無罪が確定したが、中村については無期懲役、古口は懲役二十年が確定した。古口は服役中に死亡している。

このとき事件指揮者として、田中組若頭だった田上会長も逮捕したが、嫌疑不十分で不起訴となっていた。否認を貫いてきた中村は、野村総裁・田上会長の二審で突如、自らの犯行を認める一方、野村総裁は無関係だと主張した。また、もう一人の実行犯について、野村総裁らの控訴審初期段階では、当時田中組傘下の藤木組(仮名)幹部だったKだと申し立てた。ところが、Kが事件当時服役中だったことを検察から指摘されると、警察・検察が実行犯と主張してきたNだったと証言を一転させた。

無期懲役が確定し服役中の中村が、何をどう主張しようと、これ以上、刑が重くなることはあり得ない。中村が新証言を行ったのは、野村総裁に少しでも有利になればと考えたからだろう。

元漁協組合長射殺事件の発生当時、福岡県警は、現場付近にいた多数の市民等からの聞込み捜査など、基本どおりの捜査を徹底していた。聞込み捜査等から、犯行使用車両を発見、押収するとともに、同車両を古口の指示により盗み出した古口組親交者・倉本(仮名)らを逮捕した。

倉本らは取調べの結果、自らの犯行を認め、古口からの指示命令等についても詳細に供述し、更には公判でも証言してくれた。倉本は、今回の野村総裁らの一審でも公判で証言してくれている。

古口本人には、犯行の動機は認められなかった。抗争事件など暴力団組織のために率先して行動するのが行動隊長だ。田中組行動隊長だった古口に指示命令ができたのは田中組組長だった野村総裁、田中組若頭だった田上会長しかあり得ない。

一方、実行犯の中村は、被害者の元漁協組合長・梶原國弘氏と面識があった。

梶原氏は、北九州市若松区の漁協組合長を務めたほか、梶原氏のご長男・梶原一郎氏(仮名)など親族は港湾工事関連の複数の企業を経営しており、梶原氏らは北九州地区の大型港湾工事に大きな影響力を有すると目されていた。

そして、中村本人を含め、若松に拠点を置く複数の田中組系組長らが、梶原國弘氏や一郎氏らに、工藤連合の威力を背景に、大型工事の利権に介入しようとしていた。その中には藤木組組長もいた。だが、梶原氏らはそれを撥ね付けていた。

中村も、梶原氏と一郎氏から港湾工事への利権介入を断られたという動機があった。また、犯行前後に立ち寄った工藤連合福山組(仮名)事務所等での、犯行への関与を窺わせる言動等について、福山組組長らの検察官調書があった。だが、それはいわゆる状況証拠であり、決して十分なものではなかった。

内妻の決定的な告白

中村には、事件当時は内縁関係で、事件後正式に結婚し、間もなく離婚した元妻がいた。

中村と内妻が事件当時住んでいたのは、まさに犯行現場前のマンションの一室だった。事件発生当日、中村は内妻に、「梶原会長が殺されたぞ。現場が俺たちのマンションのすぐ前で、俺が一番に疑われるけ、しばらく身を隠すぞ」と話し、しばらくの間、二人は北九州市内のラブホテルを転々としていた。

県警は、逮捕に伴い内妻からも事情聴取を行うとともに、中村が起訴された後も、継続的に接触を続けていた。私が工藤會担当となった後の平成十五年六月、内妻は、担当捜査員に決定的な事実を告白してくれた。

事件前日、外出していた内妻がマンションに帰宅したところ、自室玄関で、ジャンパー姿の男がスニーカーを履こうとしていた。その後ろでは中村が慌てた様子で、玄関左側の壁の下部分にドライバーのようなものを差し込んでいた。そして玄関廊下には黒っぽい回転式拳銃が置いてあった。男は、暗い色の目出し帽を被ると、拳銃を拾いポケットに入れ黙って外に出ていった。

驚いた内妻が中村に尋ねると、中村は、「道具が暴発したんや。弾がこん中に入っとって見つからん。道具を床に置こうとしたら暴発した」と怒った口調で答えた。内妻が見ると、壁には小さな穴が開いていた。

男について、中村は、田上若頭(当時)の若い衆がたまたま拳銃を持ってきたと説明した。

今回の野村総裁らの控訴審で、中村は最終的に、この男をNだと認めている。

壁の傷は中村が簡単な修理を行ったが、同年八月、工藤連合側が差し向けた業者により壁はきれいに補修されていた。

この内妻の新たな供述により、私たちは中村が事件当時住んでいたマンション一室に対する令状を得て、捜索・検証を行った。同室には、事件と全く無関係の男性が住んでおり、この男性と内妻に立ち会ってもらった。結果は、内妻供述のとおりだった。壁紙を剥がすと補修の跡があり、弾痕と認められる穴があった。更に壁の石膏ボードを取り外し、内部を調べると、床部分の金具内から弾丸一個を発見した。

正式鑑定の結果、この弾丸は、事件で使用され、梶原氏の体内から発見された弾丸四個のうち二個と、付近路上で発見された弾丸一個の合計三個と、同一の拳銃により発射されたものだと判明した。

この決定的証拠も発見されたことから、中村は無期懲役、古口は懲役二十年の判決が下された。二人は最高裁まで争ったが、平成二十年八月、最高裁は上告を棄却し、二人は服役した。

野村総裁、田上会長の一審、二審でも、弁護側はこの弾丸の鑑定結果等を大きな争点の一つとしたが、結果は揺るがなかった。

刑事事件、特に元漁協組合長射殺事件のような重要事件では、犯人が逮捕、起訴されれば終わりではない。捜査の最終目標は、事件を解決し、真犯人に適正な刑罰が科せられることだ。中村の内妻のように、捜査協力者に対しては、起訴後も良好な関係を維持することが大事だと思う。

また、暴力団事件等では、情報提供者や証人などに対し、事件検挙後も威圧等が加えられることもあり得る。

この元漁協組合長射殺事件では、元工藤連合福山組組長が、中村の犯行前後の言動を証言している。

野村総裁らの公判中の令和元年、工藤會幹部が福山元組長に対し、「あんたは総裁に恨みしかないんか。嫌われるようなことをあんたが言わんでもいい」などと威迫している。同幹部は、令和二年八月、福山元組長に対する証人威迫容疑で逮捕、起訴され有罪が確定している。

{ この記事をシェアする }

暴力団捜査とインテリジェンス

歴史的闘いの全貌全国の指定暴力団の中で、唯一、特定危険指定暴力団に指定された、北九州を拠点とする工藤會。

一般市民、事業者への襲撃を繰り返すこの凶悪な組織と対決してきた福岡県警は、「工藤會頂上作戦」で、戦術的にも戦略的にも大きな成果を収めた。

その背景には、従来イメージされてきた武闘的対決ではなく、インテリジェンスの収集、分析、それに基づく戦略的対策という試みがあった。

工藤會対策に従事した福岡県警元刑事が、これまで明かされなかった戦いの裏側と、道半ばの暴力団壊滅への思いを綴る。

バックナンバー

藪正孝 元警察官

1956年北九州市戸畑区生まれ。1975年4月に福岡県警察官を拝命。刑事部門、暴力団対策部門に深く携わる。2003年3月、捜査第四課に新設された北九州地区暴力団犯罪対策室副室長への就任を皮切りに、主に指定暴力団「工藤會」対策に従事した。2016年2月に定年退職。同年4月、公益財団法人福岡県暴力追放運動推進センター専務理事に就任。2019年には、暴力団に関する正確な情報を発信するサイト「暴追ネット福岡」を開設した。

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP