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日本の「食」が危ない!

2025.06.07 公開 ポスト

トマトが200円、だいこんが300円…「エネルギー大量消費」が招いた野菜の不作中村桂子(JT生命誌研究館名誉館長)

米の値上がり、野菜・果物の不作、水揚げ量の低下……。歴史的な食糧危機から抜け出すため、私たちが今取り組むべきこととは。

生命誌研究の第一人者である中村桂子さんが、40億年の生命誌の観点から「食」と「農」の未来について語った『日本の「食」が危ない!』(幻冬舎新書)が発売になりました。本書より、試し読みをお届けします。

*   *   *

四季のあること

2023年の夏、日本列島が猛暑に襲われました。各地で最高気温が30℃を超える真夏日や、35℃以上の猛暑日が観測され、東京では7月6日から9月7日までの64日間、真夏日が続きました。

気象庁は、6~8月の全国平均気温は1898年の統計開始以来、最高だったと発表しました。1898年以前にこれほど暑い夏はまずなかったでしょうから、2023年は史上最高の暑さだったはずです。

残暑も厳しく、10月になっても30℃を超える日があるほど。東京では11月7日に、最高気温27.5℃を記録し、各地で夏日となりました。ところがその数日後には例年より早く各地で雪が降り、氷が張るなど、一気に冬の気配が訪れたのです。また西日本は秋から冬にかけて水不足で、琵琶湖の水位が通常より60センチメートル以上下がり、琵琶湖に沈んでいた「幻の城」坂本城の石垣が姿を現したとか。そして12月には雪国で、その季節としては記録的な大雪が降りました。

2024年は各地で40℃以上を観測するなどという恐ろしい記録もあり、この傾向は今後さらに激しくなると思われます。気象は複雑なもので私たちの手の届かないところで変化します。

けれども「危険な暑さ」と言われ、熱中症の人が毎日出るこの暑さ、小笠原諸島の近くで台風が生れることなど、これまでにない急激な変化の原因は私たちの「エネルギー大量消費」にあるのです。熱中症は避けなければなりませんが、「必ずエアコンを使って下さい」となる現代社会のありようはどこかおかしくはないでしょうか。

「危険な暑さ」の原因がエネルギーの使い過ぎなのに、エアコンを使えばますますエネルギーを使って、「危険な暑さ」へと向かうことになります。空間すべてを低温にせずとも、その人が涼しい状態になる工夫はできるのではないでしょうか。

省エネという言葉はどこか侘わびしく、暗いイメージですが、大きな空間をすべて冷やすのはどう考えても賢い方法には思えません。きめ細かく考えなければいけないでしょう。暖房の場合、こたつというなんとも魅力的なものがあります。冷やす方は決定打に欠けますが私は風が好きです。自然の風、扇風機、うちわの組み合わせです。ここでも「ちょっと不便」を考えたいものです。

温暖化は一律に暖かくなるのではなく、寒暖差が激しく、雨の降り方なども極端で、自然から感じとれる優しさが消えています。

日本の気候は四季の存在を特徴とし、和食や美術工芸など日本の文化のすべてが、「四季」を前提に発展してきました。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」という歌が日本人の繊細な自然との関係を表しています。季節の先どりをするのがちょっとお洒落という感覚も、微妙な心の動きを大事にする日本人特有のもので、好きです。

四季の中でも夏と冬に対して、移ろっていく感じの春と秋は花見や紅葉狩りなど自然の優しさとつき合う季節です。移ろいを大切にする気持は、自然を大切にする気持であり、そのような生活では食べものをゴミにはしません。生活の節目として大事な衣替えが最近難しくなったと思われませんか。Tシャツがいつまでも活躍し、気づいたらセーターで合服の出番がないこの頃です。お気に入りの秋用のちょっと厚手のブラウスが悲しんでいるようでゴメンネと言ってしまいました。

いつものリンゴじゃない

夏の暑さは尋常ではありません。この猛暑は、気象の専門家によると、地球温暖化による恒常的な海水温の上昇、ラニーニャ現象、偏西風の蛇行などが複合的に絡んでいるようです。日本の上空で、常に西から東に向かって吹いている偏西風が、夏に大きく蛇行し、いつもより北側で吹き、南の暖かい空気が北に押し上げられることで起きているのです。しかも熱帯の海水温が高くなり、温度が高くなった熱帯の空気が、日本に押し寄せてきたというのですから暑いわけです。

夏の暑さで、野菜は軒並み高騰しました。「トマトが1個200円?」「えぇっ! だいこん1本300円!」と驚いて、買わずに帰る日もありました。農家の方は苦労なさったことでしょう。

毎年、岩手のお友だちが名前を入れたリンゴを送って下さるのですが、2023年にはいつもより少なめでした。青い頃に名前を入れると、実が熟して真赤になった皮の中に文字が浮かんできます。それを齧かじる時は、つくって下さった方の優しさやリンゴの赤い色を生み出したお日様の力を感じて嬉しいのです。それが、名前がボンヤリとしか見えず、シャキシャキ感も味も、いつものリンゴと違うなんて……。

お礼の電話をかけたところ、いつもとても元気な方なのに、声に覇気がありません。

「夏の高温でリンゴがかなり落果し、持ちこたえた実も、色も味も今ひとつ。できが悪いので送ろうかどうしようか迷ったけれど、あなたならわかってくれると思って、なるべくいいものを選んで送ったのよ」とため息まじりです。思うように育たず、つくっている方の悲しさはもちろん、暑さに耐えても思うように実れなかったリンゴもかわいそうです。電話でお話をしているうちに、涙が出ました。

リンゴ生産日本一の青森県でも、その年には弘前で観測史上最高の39.3℃を記録しました。猛暑に加え、秋になってからは熊による食害もあり、生産量は例年よりかなり少ないそうです。

農業の専門家からは、今後も猛暑は続くだろうから、暑さに強い品種に変えようという意見が聞こえます。それしかないのかもしれませんが、接ぎ木をした苗が育つまで、何年かかるのでしょう。その間、リンゴ農家はどうやって食べていけばよいのでしょう。

栗や柿を送って下さる方もいますが、最近は、「今年は思うようになりませんでした」と断り書きが添えられています。いろいろ工夫はしてみたけれど思い通りにできませんでしたと、みなさん無念な思いをにじませています。農業は自然の中で行われますので一定の環境下で行われる工業生産に比べて思い通りになりにくいものです。みなさん、自然とつき合いながら、よい産品を生み出そうと努力しているのです。ところが、気候変動が激しく知恵をはたらかせてもどうにもならなくなりつつある……なんだか恐い状況です。

四季と共に実りを楽しむ果物たちがこれまでのように育たないために起きるマイナスは、物質や経済の問題だけでなく心の問題にもなるのですから。

関連書籍

中村桂子『日本の「食」が危ない! 生命40億年の歴史から考える「食」と「農」』

米の値上がり、野菜の不作、漁獲量の激減……。 日本の「食」は今、かつてない危機に直面している。 その原因は、私たちが便利さを追い求め、大量のエネルギーを消費してきたことにあるのではないか。 生命40億年の歴史が教えてくれる生きものの世界の本質は、格差も分断もなく「フラット」で「オープン」であること。人間は特別な存在という思い込みを捨て、この本質に立ち戻ることにこそ、危機を乗り越え、ほんとうの豊かさを取り戻す鍵がある。 持続可能な「食」と「農」の実現のため、人類の生き方を問う一冊。

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日本の「食」が危ない!

米の値上がり、野菜の不作、漁獲量の激減……。日本の「食」は今、かつてない危機に直面している。その原因は、私たちが便利さを追い求め、大量のエネルギーを消費してきたことにあるのではないか。生命40億年の歴史が教えてくれる生きものの世界の本質は、格差も分断もない「フラット」で「オープン」であること。人間は特別な存在という思い込みを捨て、この本質に立ち戻ることにこそ、危機を乗り越え、ほんとうの豊かさを取り戻す鍵がある。持続可能な「食」と「農」の実現のため、人類の生き方を問う1冊。

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中村桂子 JT生命誌研究館名誉館長

1936年東京生まれ。JT生命誌研究館名誉館長。東京大学理学部化学科卒、同大学院理学系研究科生物化学専攻修了。国立予防衛生研究所研究員を経て、1971年三菱化成生命科学研究所に入所。同研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。1993年JT生命誌研究館副館長、2002年同館長、2020年同名誉館長。1993年毎日出版文化賞、2007年大阪文化賞、2013年アカデミア賞、2024年後藤新平賞など受賞。『自己創出する生命』(ちくま学芸文庫)、『科学者が人間であること』(岩波新書)、『生命誌とは何か』(講談社学術文庫)、『老いを愛づる』『人類はどこで間違えたのか』(ともに中公新書ラクレ)など著書多数。

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