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いのちの波止場

2024.12.02 公開 ポスト

余命少ない認知症の77歳の父への、胃瘻造設を強硬に主張する息子。南杏子

吉永小百合さん主演で映画化された『いのちの停車場』のシリーズ3作目『いのちの波止場』。主人公は広瀬すずさんが演じた看護師・麻世。彼女は能登半島の穴水にある病院で、「緩和ケア」について学んでいきます。モルヒネ、ICD、胃瘻……。医療スタッフと患者、その家族たちのリアルで切実な問題を本文よりご紹介します。

*   *   *

余命少ない認知症の父への、胃瘻造設を強硬に主張する息子。

第三章    親父のつゆ

77歳の寛介は蕎麦屋の店主だったが、14年前から認知症を患い、店は息子が継いでいる。誤嚥性肺炎を繰り返す寛介に、なんとか栄養をつけて元気にしたいと、妻と息子が胃瘻の造設を強く迫る。医師の北島は、死期の迫った寛介にメリットはなく、苦痛を与えるだけだと説くが……。

夕方の五時を過ぎたころだ。緩和ケア病棟のナースステーションに、病院の警備室から緊急コールとでも言うべき電話が入った。

「もしもーし! こちら警備室です。今ですね、消化器内科の病室で、患者さんのご家族さんが暴れています。緊急の対応をお願いします!」

「はあ? あの、こちら緩和ケア病棟ですけど……」

「そ、それがですね、騒ぎを起こしてるのは、緩和ケア病棟に入院されてる患者さんのご家族なんですよ」

通報を受けて、市村師長と妹尾先輩の二人が二階にある消化器内科のフロアに駆け下りて行った。そしてその五分後、今度は妹尾先輩から私のもとへ電話が入った。

「あっ、星野さん? あのね、こっちで騒動を起こしてるのは、大山寛介さんの息子さんなのよ。ね、だから今すぐ、あなたもこっちに来て!」

息を切らして二階に下り立つと、北側廊下の奥にある病室の前で人だかりができている。

「どういうことげんて! きちんと説明してたいまよ」

室内から聞こえてくるのは、まさしく勇一さんの声だ。

「なんでウチの親父がダメでぇ、この人たちはOKながけ!」

部屋の中央では、勇一さんが少林寺拳法か何かに使うような長い棒を右手に持ち、激しい調子で怒鳴っている。その傍らで、母親の典子さんが床の上にぺたりと座り込んでいた。

「そやさかいこうしてお願いしとるでないですけ。うちたちは、親父を長生きさせてほしいだけげんて」

棒の先で床をドンドンと突く音が部屋中に響き渡る。そこは四人用の病室。上体をわずかに起こした男性の患者さんたちが、戸惑いの表情を浮かべている。それぞれの患者さんに共通しているのは、ベッド脇のスタンドに白い液体の入った小さなバケツが吊り下げられ、そこから患者さんの腹部に向かってチューブがつながっていることだった。ちょうど今は夕食の時間帯だ。

「肺炎は治ったんやさかい、早いとこ親父に、胃瘻ってやつを造ってやってたいまよお」

なんと、勇一さんは胃瘻造設を要求していた。

胃瘻とは、食物を胃へ直接送り込むために、腹壁に開けた穴のことだ。先天的な問題や脳梗塞など、物理的あるいは機能的に飲食物を飲み込む機能が欠落した場合に手術で造られ、第二の口とも呼ばれる。

「認知症でも胃瘻を造れぁ、さらにもう何年も生きられるって聞いたぞ!」

勇一さんがわけ知り顔で言った。息子さんを見上げながら、典子さんも大きくうなずいて口を開く。

「お父さんに一日でも長生きしてほしいがや。どうか、こちらの科で手術を受けさせてたいま。お願いします」

二人は、寛介さんの胃瘻造設を求めて、手術を担当する消化器内科に乗り込んで直談判していたのだ。

関連書籍

南杏子『いのちの波止場』

吉永小百合さん主演映画『いのちの停車場』シリーズ最終話。主人公は映画で広瀬すずさんが演じた看護師・麻世。 これで安心して死ねるよ。 ありがとう、ありがとう。 余命わずかな人たちの役に立ちたい――“熱血看護師”麻世が「緩和ケア科」で学び、最後に受け取ったものは。 震災前の能登半島の美しい風景と共に、様々な旅立ちを綴る感動長編。 患者さんの苦痛を取り、嫌だと思うだろうことをしない。 それが最後にできる最高の仕事。 まほろば診療所の看護師・麻世は、能登半島の穴水にある病院の看護実習で「ターミナルケア」について学ぶ。激しい痛みがあるのに、どうしてもモルヒネを使いたくないという老婦人。認知症と癌を患い余命少ない父に無理やり胃ろうつけさせようする息子。そして麻世が研修の最後に涙と感謝と共に送るのは、恩師・仙川先生だった――。

南杏子『いのちの停車場』

東京の救命救急センターで働いていた、六十二歳の医師・咲和子は、故郷の金沢に戻り「まほろば診療所」で訪問診療医になる。命を送る現場は戸惑う事ばかりだが、老老介護、四肢麻痺のIT社長、小児癌の少女......様々な涙や喜びを通して在宅医療を学んでいく。一方、家庭では、脳卒中後疼痛に苦しむ父親から積極的安楽死を強く望まれ......。

南杏子『いのちの十字路』

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いのちの波止場

吉永小百合さん主演映画『いのちの停車場』シリーズ最終話。主人公は映画で広瀬すずさんが演じた看護師・麻世。

 

これで安心して死ねるよ。

ありがとう、ありがとう。

 

余命わずかな人たちの役に立ちたい――“熱血看護師”麻世が「緩和ケア科」で学び、最後に受け取ったものは。

震災前の能登半島の美しい風景と共に、様々な旅立ちを綴る感動長編。

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南杏子

1961年徳島県生まれ。日本女子大学卒。出版社勤務を経て、東海大学医学部に学士編入。卒業後、都内の大学病院老年内科などで勤務したのち、スイスへ転居。スイス医療福祉互助会顧問医などを勤める。帰国後、都内の高齢者中心の病院に内科医として勤務。

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