十九歳の私が欲しかったものはシャネルのマトラッセに深夜のシャンパン、愛よりも賞賛、ウェディングドレスよりリトルブラックドレス、おいも色の笑顔より氷の微笑、その欠片が手に入る夜はどんなに足を骨折しようが急アル一歩手前で倒れようが親友を怒らせようが刺激的で、平和な夜は退屈だった。そういう私がショウビズ界の端っこ、見方によっては底辺のギョーカイに惹かれたのは言われてみれば必然で、そのどす黒い世界は確かに私にキラッキラの刺激やピンク色の快感を与えてくれた。
幸せの名の付くものは初めからなかったかのように無視されたけれど、それがその頃の私たちには心地よかった。幸せなんていう野暮ったいもの、私は全然好きじゃなかった。結婚、出産、家族団らん、伊東のホテルにベビーカーで横づけ、幸せから連想されるそれらすべてを蹴っ飛ばしたかった。そういう幸福の中で育ったから、そしていつか欲しくなったらそんなものはきっと容易く手に入ると思い込んでいたから、若くてムッチムチでペッカペカなお肌を浪費できるうちに、そう簡単に幸せなんかになりたくなかった。
2002年公開の映画版「CHICAGO」を観たのはちょうどそんな時期で、「ブリジット・ジョーンズの日記」でぽっちゃりアラサー女子を演じたレネー・ゼルウィガーが思いっきり身体を絞って魔性のロキシー役をこなすなど日本でも何かと話題だったのだけど、当時の私にとっては自分が是とするショウビズ界の掟を余すことなく描いた作品だった。
シカゴのナイトクラブで人気のダンサーであるヴェルマとスターになることを夢見るロキシーはそれぞれ人殺しの罪で女子刑務所へ入る。シカゴではスキャンダルは何よりのエンタメ。大衆の心を掴み、無罪を勝ち取り、スターとしてショウビズ界に舞い戻るために、女たちは敏腕弁護士とともに自らの物語と無実を作り上げていく。殺人は芸術、何よりのエンタテイメント、みんなはそれに夢中になり、渦中の女を一躍有名人に仕立て上げる。
退屈な夫と暮らしていたロキシーにとっての恐怖は刑務所よりもその地味さの中に舞い戻ることだ。しかし目の前で絞首刑となった同じ棟の殺人容疑の女の姿は無残。一歩間違えれば自分も吊るされてしまう。陪審員制度のある米国ならではのスターになるか死刑になるかのぎりぎりの賭け、退屈している大衆にとってはそれも含めてエンタテイメント。
十九歳の私にとってずる賢く、狡猾で、スキャンダラスな彼女たちはまさに今後私が殺伐とした東京を生き抜くための指針となるような強かさを持っており、残酷で正直で下世話な世間は私が対峙しているものそのものだった。大学のゼミで作る雑誌に「ショウビズ」とタイトルをつけたのはそのあたりに所以がある。ショウビズ界に身を置いていようがいまいが、若い女が立たされる舞台というものがあって、その中で私たちは自らの商品価値を実感しなくては生きている手触りすら感じられない。魅惑的で残酷な世界の理は、殺人すら利用して高みへ登ろうとする彼女たちを取り巻くものとよく似ている。
その約十年後、会社を辞めてすぐの三十歳くらいの頃にNYでようやくブロードウェイの舞台で観た「CHICAGO」もまた魅力的で、しかし十九の頃観たそれよりも少しもの悲しい後味が残ったのは、私がショウビズ界を遠く離れて久しく、その時代の傷が脛のあたりでじくじく膿みだした時期だったからだろう。それでも甘い監獄みたいな会社から抜け出して、どうにかまた自分に何かしらのラベルを付けて価値を指示さない限り、到底東京という水槽を泳ぎ切れないと思っていた私にとって、彼女たちの逞しさは心強かった。
そんな「CHICAGO」の来日公演が東急シアターオーブであると聞いて、やはりまた約十年ぶりに観に行くことにした。弁護士のビリー・フリン役に「glee」で人気のマシュー・モリソンを迎えての公演ということで思いっきり満席の場内は、やはり私の目から見ると薄茶色の幸福と真っピンクや深紅の不幸を秤にかけて、選びかねている女性が多い。初めて東京で目にするシカゴとショウビズ界と罪深き女の刑務所の毒々しい空気はとてもよかった。自らの商品性に自覚的にならざるを得ないこの世界で、女が引き受けなくてはならない残酷さと孤独が、ジャズナンバーに乗って眩暈を引き起こすようだった。
不幸な身の上の美しき殺人者としてスターの脚光を浴びるロキシーは、皆が私の名前を語る、と刑務所内の境遇を忘れてスポットライトの虜になる。有能な悪徳弁護士フリンは、自らのシナリオで彼女をスターにしておきながら、絞首刑になればマスコミはもっと喜ぶ、と残酷なひとことを漏らす。
思えば私が愛したあのショウビズ界も、絞首刑になれば最も世間を喜ばすような論理で動くギョーカイだった。絞首刑の手前で運よく抜け出し、運と策略と味方さえあれば脚光を浴びるかもしれないし、さらに運が良ければスターとなった人もいる。違う賢さによってシアワセの方へハンドルをきった者も少なくはない。
一度は絞首刑を望まれた身として、シアワセにはいくつか困難がまとわりつく。いつでもそちらにハンドルさえきれば手に入ると思っていた退屈で薄茶色の幸福は、実はどピンクの不幸よりずっと稀少で困難で尊いものだと気づくにはかなりの運が必要。私はその運を使い果たして今は幸福であると思う。
それでもかつて愛よりもずっと眩いと思っていた深夜のシャンパンの美味しさはそう忘れられるものではないし、今でもショウビズ界の女の子たちを見れば心と全身の血が騒ぐ。それが危ういものであっても、ピンク色の不幸が必要な時期を少なくとも私は通過したし、彼女たちの何人かにもきっとそれはどうしても必要なものなのだと思う。だから四十歳で観る「CHICAGO」も最高だった。
夜のオネエサン@文化系
夜のオネエサンが帰ってきた! 今度のオネエサンは文化系。映画やドラマ、本など、旬のエンタメを糸口に、半径1メートル圏内の恋愛・仕事話から人生の深淵まで、めくるめく文体で語り尽くします。
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