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破れ星、燃えた

2023.09.14 公開 ツイート

緒形拳-打ち上げからわずか3日目に逝ってしまった拳さん。 倉本聰

ニッポン放送から独立した「倉本聰」は、「速く! 安く! うまく」を武器に、テレビ界・映画界に乗り込んだ。抱腹絶倒、波乱万丈、そして泣ける、痛快無比な倉本聰さんの自伝『破れ星、燃えた』より、様々な俳優・女優・文化人との交流のエピソードをお届けします。

富良野を舞台にしたドラマ「風のガーデン」は、盟友緒形拳さんとの最後の作品となった。拳さんは余命いくばくもないことを隠して、撮影に参加していた。

*   *   *

二〇〇八年。七十三歳。

「風のガーデン」という連続ドラマを書いた。

これまた西武斜陽の賜物である。

プリンスホテルがゴルフ場を閉鎖し、その跡地の利用法を相談された。その半分を森に還すことを提案し受け入れられてNPO法人富良野自然塾を創ったのが二〇〇六年七十一歳の時。フィールドの残りの半分を使ってガーデンを創ろうということになった。

そこを舞台に創ったのが「風のガーデン」というドラマである。「風のガーデン」は僕にとって、盟友緒形拳との最後のドラマになる。拳さんとは古い付き合いだった。一九六九年「風颱(たいふう)とざくろ」以来だから、ほぼ四十年の仲になる。

終末医療に打ちこむ僻地の老医師白鳥貞三(緒形)と、その息子である女たらしの天才麻酔科医、白鳥貞美(中井貴一)の物語である。父は息子を勘当しており、息子の娘である孫ルイ(黒木メイサ)と、その弟の知的障害のある少年岳(神木隆之介)を引きとって亡妻の遺した風のガーデンで働かせている。

話は麻酔科医である医師貞美が、自分の体に膵臓癌が発症したことを発見し、余命の迫ったことを察知して父との和解を図ろうとするというドラマなのだが、暗い設定のこのドラマが、妙に々清(すがすが)しく仕上がったのは、緒形、中井という主役二人と、それをとりまくメイサ、伊藤蘭等のキャスト陣の清潔さに負うところが全く大きかったと思っている。

実はこのドラマのロケに入る時、拳さんは既に肝臓癌に冒されており、もはや余命いくばくもないことを覚悟していたことに、僕は全く気づいていなかった。只体調の良くないことは知っており、殆どが富良野の長期ロケで費やされる撮影期間、スタッフは彼の為に一軒家を借りあげてそこで暮らせるようにセットしてあげていた。

彼は絵画書道に優れた審美眼と知識を持っており、自らも中川一政氏に私淑して、味のある書を書く人で、僕は彼に頼み「創」という文字を書いてもらった。その書の額は、今も僕の書斎に大切に飾ってある。

僕は自分の農園からとりたての野菜を彼のもとへ運び、美術に関する色々な話をした。

香月泰男の絵や木内克、佐藤忠良の彫刻。様々な美術の話を語り合った。彼の審美眼は深く博識だった。

ある日僕の車で彼をロケ先に運び、その帰り道に車の中で彼から聞いた話が忘れられない。それは末期癌患者役の大滝秀治さんを、拳さん演じる白鳥貞三が診察に訪れるというシーンだった。

ふいに大滝さんに云われたというのである。

「君! 健康と元気は別物ですからね!」

あの言葉には参ったなァ、と車の中で拳さんは明るく笑った。

だが僕はその時まだ拳さんが、そういうさし迫った状態にいることに全く気づいていなかったのだ。大滝さんもそうだったと思う。

あの時の拳さんのあの明るい笑いは何だったろうかとふと思ったのは、彼の病状を初めて知った時である。

彼の撮影はスタジオでクランクアップした。この日は死の床の中井貴一と、最後に語り合う父緒形拳さんの最も重い重要なシーンで、スタジオは最初から異様な緊張に包まれていた。

この日の為に貴一は三日程前から絶食しており、精神的にも多分ぎりぎりの状態だったと思う。しかも貴一はこの時既に、拳さんの病状を知らされていた筈だ。

一方拳さんも辛そうだった。だがその辛さを表に出さず、いつもの淡々とした姿を保って、一発本番のロングシーンを微笑をこめて演じきった。

カット! OK! の監督の声がひびいた時、拳さんはソファにストンと腰を下ろし、小さな声で「終わったァ」と云った。

貴一は貴一で精魂使い果たし、ベッドの中に倒れこんでいた。

あれ程役者が真剣に渡り合い、全神経とエネルギーを使い果たした撮影現場を見たことがない。正にあの日の二人の役者は、虚と実こめた芝居という世界で、ある神域に達していたと思う。

すぐその翌日のことだったと思うのだが、打ち上げの席が西麻布で持たれ、拳さんもにこにこと顔を出していた。だが疲労はさすがにかくし切れず、三十分もいないで引き揚げた。

又な、と手をふる拳さんの笑顔をみんなで表まで送り出した。翌朝一番で富良野に帰り、待たせていた演出の仕事に戻った。その翌々日の夕方電話が入り、拳さんが逝ったという知らせを受けた。打ち上げからわずか三日目だった。すぐタクシーを呼び新千歳に急行した。いつも利用する旭川便はもう最終が出た後だったのだ。

辛うじて新千歳からの最終便に間に合い、羽田で待っていてくれたフジテレビの車にとび乗って拳さんの死に顔に対面できた。

拳さんの顔はおだやかで、もう向こうの世界の顔になっていた。

二〇〇八年十月五日逝去。彼は僕より二歳若かった。葬式には出ずに富良野へ帰った。

関連書籍

倉本聰『破れ星、燃えた』

今でも、黒板五郎の幻影を見かけることがある。 テレビも映画も元気な過剰で過激なあの時代を、苛烈に駆け抜けた。 そして、今、思うことは――。 抱腹絶倒、波瀾万丈、そして泣ける。どこまでも人間臭い漢の、痛快無比な自伝。

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