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帆立の詫び状

2023.03.04 更新 ツイート

勉強なしで乗り切る英語圏サバイバル 新川帆立

アメリカやイギリスに住んでいると言うと、「英語ができてすごいですね」と言われることがある。だが、これは全くの勘違いで、私は英語ができるわけではない。

大学受験のときに英語は勉強していたので、基本的な単語は知っているし、英文法も分かっている。だけど、そこから「英語が使える」というレベルになるまでは果てしなく遠い道のりが続いている。

 

 

法律事務所に就職してからは、英文の契約書を扱ったり、海外のクライアントとメールのやり取りをしたりする機会が増えた。意外とこれは難しくない。契約書やビジネスメールは定型文が多いので、よく使う定型文をまとめておけば対応できる。そのうち、メモを見なくてもスラスラ書けるようになる。私が働いていたときは自動翻訳機能がそこまで発達していなかったが、今はDeepLなどかなり優秀な翻訳ソフトがあるので、それを使って下書きをして、細かいニュアンスだけ人力で修正すればいい。作業効率はかなり上がっていると思う。

 

法律事務所を退職して日系企業の法務部で働いていたときは、海外支社との電話会議をすることが多かった。これはメールよりハードルが高い。これまでの英語学習では読む力、書く力に注力してきたので、聞くのと話すのは圧倒的に経験が足りていないからだ。

そのなかでも私の場合、話すほうは何とかなる。作家的能力なのかもしれないが、簡単な言葉で意味を伝えるのは得意なほうだからだ。日本語を学びたての外国人に対して平易な日本語で話すのも比較的得意である。これは外国語学習能力というより言語化能力なのだと思う。

ただ聞く力がないと話せない。人と人との会話なので、相手が何を言っているか分からない以上、こちらからも何も言えないのだ。私は耳が悪いのか、致命的にヒアリングが苦手で、いつも困っている。

対面で話していると、言葉以外の情報から相手の言っていることがだいたい分かることがある。けれども電話会議だと言葉オンリーなので本当に苦労した。しかも聞きなれたアメリカ英語ならいいのだが、イギリス英語、インド英語、タイ英語など、話す人のルーツによって発音やイントネーションに幅があり、慣れていないと全然聞き取れないこともある。

 

ただ、仕事の英語で唯一救われるのは、話す内容は仕事関連であるということだ。よく理解している内容だと、英語で聞いてもパッと分かる。逆にリーガルの細かい議論は、その分野に馴染みがない人だと英語ネイティブでも理解できないかもしれない。なので、会議の前に会議内容についてきちんと予習しておくことが何より大事だった。

 

法律事務所や企業で働いているときは、「本当は英語を勉強しなきゃいけないんだけどな」という負債のような思いが頭の片隅に常にこびりついていた。弁護士やビジネスパーソンとしては海外と関わるのは避けることができない。「英語ができる」というのは一つの能力としてカウントされるし、逆に「英語ができない」というのは弱点とされる。

 

けれども作家になったとき、「もう英語を勉強しなくていいんだ!」と気づいた。ものすごい解放感である。自作が翻訳されることがあるかもしれないし、海外イベントに出ることがあるかもしれない。しかしそういうときはプロの翻訳家、通訳に助けてもらえる。英語ができてもできなくても作家としての評価は何も変わらない。母国語で最高の小説を書けばそれでよし、というわけだ。

↑拙著『元彼の遺言状』の簡体字翻訳版。繁体字、韓国語でも出版されており、さらに他二か国でも翻訳が進んでいる。イギリスで知り合った中国人が読んで感想をくれたときは感激した。物語は国を越えるのである……。

ところが、青天の霹靂とでもいうべきか、夫の仕事の都合で海外に行くことになった。英語はもうやらないと決めた矢先に、英語圏の暮らしが始まったわけだ。日常生活を送るうえで、英語ができないと不便なことも多いし、活動範囲も狭まる。

そんななか、私は早々に、英語はあきらめることに決めた。海外に滞在するのはせいぜい二年間だと分かっていたので、それだけの我慢である。作家になりたてで、英語を勉強する暇があったら日本語を勉強したいと思ったのだ。

日本語の勉強法についても一家言あるのだが、それは次回のエッセイに譲ることとして、ここでは、「英語を勉強しないと心に強く決めた者が、どうやって英語圏での生活を乗り切っているか」を紹介したいと思う。

 

第一に、何よりも大事な心構えがある。言葉が分からなくても堂々としていることだ。これは法律事務所時代に帰国子女の先輩から教わった秘技である。

逆の立場に立って考えて欲しいのだが、言葉が不自由できょどきょどしている人と、言葉が不自由だが堂々としている人、どちらの好感度が高いだろうか。断然、堂々としている人の好感度が高い。

相手の言葉が分からなかったり、自分の言いたいことを伝えるのにも時間がかかったりすると、申し訳ない気持ちになる。だが弱気になったり、卑屈になったりしてはいけない。自分はどこかの国の王族だというくらいの気持ちで向かっていくべし。この“attitude”が何よりも大事だと思う。

 

第二に、基本的に使用すべき単語は“Thank you.” “Sorry.” “Please.”だけである。とりあえずこの三つが言えれば何とかなる。あとは暮らしているうちに、現地でよく使われる言い回しは自然と覚えていける。

例えばアメリカでは「これで全部オッケー、終わり」といった意味で“all set”という言葉をよく使う。窓口や会計のときに相手が言うこともあるし、「これで終わり?(もう帰っていい?)」という意味でこちらから“All set? ”と訊くこともある。

ところがこの言い回し、イギリスに行くとほとんど聞かない。イギリスでは“Hi.”のかわりに“Hiya.”と言ったり、“Thank you.”のかわりに“Cheers.”と言ったりする。これも生活していくうちに覚えていく。

英語といってもどの国、どの地方、どの場面で使うかによって、適切な言い回しは変わってくるので、自分が適応すべき場面に合わせて言い回しを一つずつ覚えていくしかない。

 

第三に、細かい発音よりも、文章全体のイントネーションが大事だということだ。ネイティブの英語は、結構早口で「ペラペラペラペラッ、ペラッ、ペラペラッ」というテンションで進んでいく。一語ずつ正確に発音するよりも、文章全体の音の高低とリズムを押さえたほうが伝わりやすい。これもネイティブが話しているのを聞いていればなんとなく分かってくるので、真似すればいい。

 

あと当たり前のことだが、人に話しかけるときはワンクッション、言葉を挟んだほうがいい。お店の人なら、“Hi”や“Hello”と挨拶をする。掃除など他の作業をしている人に話しかけて何かを尋ねるときは“Excuse me sir.”とか“Excuse me madam.”など。母国語だと当然にやっている気遣いが、外国語になるとできなくて、ぶっきらぼうで失礼な印象を与えてしまうことがある。こちらから丁寧に堂々と接することで、言葉が不自由でも「まともな人」として相応の扱いを受けることができる。

 

色々と紹介してきたが、外国語圏で暮らして一番実感したのは、何か好きなことと紐づくと語学は途端に上達するということだ。外国人の恋人ができると外国語が上手くなるというアレである。

私の場合は何を隠そう、バッグへの愛が英語力を高めてくれた。バッグ屋さんに入り、店員とやり取りをするときだけ、私の英語力は途端に向上し、急にペラペラしゃべり始める。愛は言葉の壁を越えるのである。

↑英国本場のアフタヌーンティー。美味しいものを食べたいときも英語力は上がる。

関連書籍

新川帆立『帆立の詫び状 てんやわんや編』

デビュー作『元彼の遺言状』が大ヒットし、依頼が殺到した新人作家はアメリカに逃亡。ディズニーワールドで歓声をあげ、シュラスコに舌鼓を打ち、ナイアガラの滝で日本メーカーのマスカラの強度を再確認。さらに読みたい本も手に入れたいバッグも、沢山あって。締め切りを破っては遊び、遊んでは詫びる日日に編集者も思わず破顔の赤裸々エッセイ。

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帆立の詫び状

原稿をお待たせしている編集者各位に謝りながら、楽しい「原稿外」ライフをお届けしていこう!というのが本連載「帆立の詫び状」です。

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新川帆立

1991年2月生まれ。アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身、宮崎県宮崎市育ち。東京大学法学部卒業。弁護士。司法修習中に最高位戦日本プロ麻雀協会のプロテストに合格し、プロ雀士としても活動経験あり。作家を志したきっかけは16歳のころ夏目漱石の『吾輩は猫である』に感銘を受けたこと。2020年に「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した「元彼の遺言状」でデビュー。

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