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リンカーンの医者の犬

2004.07.01 公開 ツイート

リクルート・スーツの孤独 上原隆

 地下鉄麹町駅で待ち合わせをしている。大学4年生の片岡睦子の就職活動に付き添う約束をしたのだ。メールのやりとりだけなので、まだ本人に会ったことはない。
 6月15日、午前9時45分。階段を上がった地下鉄出口に黒のスーツを着た女性が現れる。彼女は私を見つけるとおじぎをする。背の高さは155センチメートルくらい、肩までの髪の一部を後ろでまとめている。私は近づいて挨拶をする。顔立ちが幼いこともあるのだろうが、中学生のように見える。
〈大学生ってまだ子どもなんだな〉と思う。
「面接は何時からですか?」私がきく。
「10時15分からです。10分前に着いていればいいんです」片岡はバッグから文庫本の大きさの地図帳を取りだすと、目の前の風景と見くらべる。
「こっちです」彼女が目の前の横断歩道を渡る。
「いまの時期」片岡が歩きながら私に話しかけてくる。「リクルート・スーツを着て、出歩きたくないなっていうの、ありますね」
「どうしてですか?」
「普通の人なら、4月、5月くらいで内定もらってるんです。それがまだ就職活動していて苦戦してるわけじゃないですか、ちょっとカッコ悪いなって」そういうと片岡はニコッと笑う。中学生の目がへの字になる。

 最近の就職事情では、大学3年生の11月頃から、説明会を行う会社が出はじめるそうだ。ピークは2月。4月になると内定の通知を手にする学生がひとりふたりと増えていくらしい。
 だいたいの入社試験は最初に筆記テストがあり、それに合格すると面接に進む。面接は1次、2次、3次とあり、徐々に絞られていく。その間3か月間くらいかかる。

 片岡は面接で、自分の取り柄をいう時には、「快活さ」だと答えている。1年生の時から入っている合気道部で身につけたものだ。事実、彼女はハキハキしているし、私が会っている間中、彼女の表情から笑顔が絶えなかった。
 初めの頃、友だちや両親からも「睦子ならすぐに決まるよ」と言われていた。片岡自身もそう思っていた。その頃は「就職活動、どう、つらくない?」と友だちにきかれると、「楽しいよ」と答えていた。
 ところが、1社落ち、2社落ち、3社落ちしているうちに面接で自分の取り柄だと答えていた快活さが失われていった。
 就職活動を始めた頃はウェディング・プランナーになりたいと思い、ウェディング業界の会社だけを受けていた。しかし、1社も受からなかった。いまは方針を変え、業界を限定せずに一番募集の多い営業職に応募している。
 片岡は現在までに42社の会社説明会に参加し、25社を受けて、いまのところどこからも内定通知をもらっていない。
 歩きながら彼女はこういった。
「就職活動が楽しいとはもういえないですね」

 片岡が立ち止まる。地図をじっと見ている。
「間違えました、よく間違えるんですよ」そういうと彼女は来た道を戻りはじめる。さっき渡った横断歩道をもどり、ビルとビルの間の道に入る。しばらくいくと正面に大きなビルがそびえている。麹町ビル。中に入り、各階に入っている会社の表示を見る。今回の面接は医療サービス関係の会社だ。
「16階です。行ってきますね」片岡が振り向いて私にいう。
「あそこのスターバックスコーヒーにいます」私は1階にある店を指す。
「はい」片岡は、もう面接を受ける時の緊張した顔になっている。
「調子はどう?」
「いいですよ」
「健闘を祈ってますよ」
「ありがとうございます。じゃ」片岡はエレベーターホールのほうへ歩いていった。

 就職活動は孤独な闘いだ。街でリクルート・スーツに身をつつんだ女子大生を見かけると、どの人もひとりでポツンといることが多い。電車の中だったり、喫茶店だったり、通りを歩いていたり。手帳や履歴書を見て何かを確認する人、プリントアウトした地図を眺める人……。それまでは友だちとキャーキャー騒いでいたのに違いない。彼女たちは初めての孤独と向き合っているように見える。

 約1時間後、片岡は同じリクルート・スーツの女性と2人でエレベーターホールから出てくる。何か少し話をして、女性と別れると、ひとりでこちらにやってくる。顔がニコニコと笑っている。
「ごくろうさま」私が片岡の前にアイスコーヒーを置く。
「ありがとうございます。面接官の人事課長さんが、私と同じ高校だって、話がはずんじゃって」片岡は少し興奮している。
 応募者2人ひと組での面接。質問はだいたい型どおりのものだったという。「大学の4年間で打ち込んだことは何か?」「就職したい業界はどこか?」「この会社を志望した理由は?」とかだ。すべてキチンと答えられたと片岡はいう。
「『全国に転勤する可能性があります』」片岡が面接官の声色でいう。「『男女関係なく、行ってもらいます』ってお話しされて、『大丈夫ですか?』っていわれたんです。いままでの面接では『大丈夫です』って即答してきたんです。でも、答えが軽すぎて、あまり考えてないなって見られてたんじゃないかと思って、今回は『実際、やっぱり不安はありますね』って話をしました。面接官の反応は良かったです。フフフ」片岡が笑う。
「いっしょに面接を受けた人はどうでしたか?」
「となりの子の声が震えているので、緊張しているなってわかって、そうすると、自分はまだ、ちょっと余裕があるなって思えて、それでしっかりと話ができたと思います、はい」彼女の話し方に面接の余韻が残っている。

 私たちはスターバックスコーヒーを出て、ビルの中を歩き、表へ出る。外は太陽がカーッと照りつけている。夏の到来を感じさせる。黒のリクルート・スーツを着て鬱屈しているのが似合わない季節になろうとしている。

 片岡は午後から、もう一社面接があるのだという。私たちは食事をすることにし、ファミリー・レストランに入った。
「一番つらかった時は」と片岡が話しはじめる。「身近な人に内定が出た時です」
 片岡は毎日、部活に出ている。部員の中で4年生は11人(女6に男5)いて、3人は大学院に進むので、8人が就職活動をしている。内定が出たのはその中のひとり。
「決まったのが、ちょっと好きな男の子だったんですよ、フフフ」片岡は水の入ったグラスをさわっている。「気持ちは複雑でしたね。おめでとうという気持ちはあるんですけれど、一方で置いてかれるって感じがして」

 その彼に片岡は批判されたのだという。
「彼に第一志望の会社がダメだったっていったら、面接でどういう受け答えしたのってきかれたんです」
 ウェイトレスが注文を取りにくる。
 片岡はシーフードカレーを私はミートソースのスパゲティを頼む。
「どんな受け答えをしたんですか?」私がきく。
「『将来的にどういう人になりたいですか?』ってきかれた時に、ウェディング業界っていうのもあったし、会社の雰囲気がアットホームな感じだったので、そんなノリでいこうかなという気持ちがあって、『会社にとっても、お客様にとっても天使みたいな存在になりたいです』みたいなことをいったんです」
 私は思わず笑ってしまった。
「ホントいま考えるとバカみたいなこといったなー」片岡はあわててつけくわえる。
「彼はなんていったんですか?」
「『そんな受け答えをする人間に仕事をまかせたいと思えるわけがないじゃないか』って、確かにそうだけど、その言い方はきついんじゃないか、と思いましたね」

 私はスパゲティを食べ終わったが、彼女はカレーを半分も食べていない。私が質問し、彼女は答えなければならず、食べる時間がないからだ。しばらく、私は黙ってメモを見ていることにする。
 3月に受けた会社で、3次面接までいったことがある。もうすっかりその会社に入れるものと思って、自分の働く姿を思い浮かべたりしていた。しかし、内定通知はこなかった。
 内定通知は、携帯電話にかかってきたり、パソコンにメールで届いたりする。通知日には1時間ごとにパソコンのメールをチェックするし、出かける時には、携帯をもって圏外には行かないようにする。そして、夕方の6時頃になると、「あーダメかー、あー、結局連絡来ないなー」と暗い気持ちになるのだという。

 そんなことがあって3月の終わり頃から、片岡は何も食べられなくなり、胃をこわした、病院に行き、点滴を打ち、しばらく寝てすごした。医者の診断はストレスによる急性胃炎だ。
 さらに、5月には鬱的になった。
「ホントにやる気が何も起きなくて」と片岡はいう。「人と会っても話ができないんですよ。ぜんぜん就職とは関係ない話をしていても、その輪の中に入っていこうという気持ちがおきなくて、なんか、話しかけられても、あー、自分の表情が硬いなってわかるんです。疲れたー、疲れたーっていう気持ちしかなくて」

 その後、合気道部の4年生は次々と内定をもらい、いまも就職先が決まっていないのは片岡を含めて3人だけとなった。
「あせります」片岡はいう。「新卒は今年一年だけなんです。今回だけなんだからって」
 食事を終えた彼女はグラスの水を飲み干す。

「就職活動を始める前に」片岡には話したいことがいっぱいあるのだ。「学校の就職部の人が『たとえば選考に落ちても、それはあなたが社会に必要とされていないとか、その会社に必要ないとかじゃなくて、ただ、面接の時にあなた自身のことが伝わらなかっただけなんだから、それで自信をなくす必要はないよ』っていわれたんです。『あー、なるほど、でも、自分は自信をなくすようなことはないだろう。大丈夫だろう』って思ってきき流してたんですけど、いまとなっては面接で落とされるたびに、うまく伝わらなかったとは、もう思えないですね。自分を否定されたよな気持ちになります」

 レストランを出ると、次の面接会場へ向かうという片岡と別れることにする。
「今日は好感触で良かったんじゃないですか?」私が片岡にいう。
「ええ、でも、いままでも何度もそう感じて落とされてきましたから、エヘヘ」片岡は声を出して笑う。少し無理してる感じが伝わってくる。
 私にはどうしてもきいておきたいことがあった。
「なぜ、私に、自分の話をしてもいいですというメールを送ってきたんですか?」
 少しの間、片岡は考えてから、こういった。
「話をきいてもらいたかったんです。親にいったら心配かけるし、友だちにはそういうとこ見せたくないし、誰かにいいたかったんです、つらいって」 

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心にグッとくるエピソードを求めて、東へ西へ南へ北へと歩き続けて靴底を減らす上原隆さんの新連載始動!

 

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上原隆

1949年横浜市生まれ、コラムニスト。著書に『友がみな我よりえらく見える日は』(幻冬舎アウトロー文庫)『喜びは悲しみのあとに』(幻冬舎)などがある。心にグッとくるエピソードを求めて、東へ西へ南へ北へと歩き続けて靴底を減らしている。お話を聞かせてくれる方は uehara@t.email.ne.jp までご連絡をください。

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