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夜のオネエサン@文化系

2022.11.21 更新 ツイート

なまえを聞いてもわからない~『青木きららのちょっとした冒険』(藤野可織) 鈴木涼美

選択的夫婦別姓導入にはもちろん賛成ではあるのだけど、個人的に長らくそんなに熱を持って語ることのできる話題ではなかった。というのも鈴木という、あってもなくてもほぼ一緒みたいな、無色透明の、長めのストラップのバッグを振り回して歩いたら2、3人同じ名前にぶち当たりそうな姓には私自身全く愛着がなく、やや不便を感じてもいるから。

 

墓参りに行くと隣にも真後ろにも右斜め前にも入り口付近にも鈴木という文字のある墓石があって、私は何度か全然関係のない、遠い親戚でもなんでもない鈴木さんの墓前で拝んだことがあるし、実家の2軒隣も、川を挟んだ斜向かいも鈴木さんで、家に遊びにきた友人との、親戚? いや違うよ、のやり取りも面倒だし、前にいた会社の同じ部署には鈴木が4人もいたせいで嫌いな上司にも気軽に下の名前を呼び捨てにされ、会社の中はいいけど居酒屋なんかで「みどりー」とか呼ばれると不倫or親子って感じがして嫌だった。

39年生きていて、鈴木でよかったぁと思う瞬間というのは限られていて、予約の電話で名前を聞き返されたり詳しい漢字を聞かれたりしたことがないということと、文房具屋で判子なんか買う時は在庫がなかったたことがなく、ペンの後ろが印鑑になっているヤツが欲しくて伊東屋の店員さんに「お名前によっては取り寄せや特注で日数がかかってしまいますが苗字は……」と聞かれて「鈴木です」と答えると「ああ! もちろんございます! 全ての色で既にセットしてあるものがございます!」と数秒で出てきたし、始末書を書かなきゃいけない時にも同じフロアの用意の良い後輩の鈴木くんに印鑑借りてことなきをえた。でもまあそれくらい。不便なことの方が多い。

名前を変えることにも抵抗がない。そもそも鈴木は本名だが涼美は適当につけた名前で、生まれた時は碧だったしその後もセリカ萌香るり香澄と色々な名前で生きてきた。父も下の名前はペンネームで母に至っては姓名ともにペンネームで原型がないので、実家にくる宅配物の名前は実にさまざまで、担当していた配達員の人は多分うちを寮か下宿だと思っていたと思う。

源氏名なんて最初に考えた時はSNSもなければネット掲示板もそれほどメジャーではなかったので、自分の名前を検索して評判を知るなんてこともしないし、SNSで有名になって地方からも客が来るなんていうキャバ嬢の未来を考えることはなかった。だから名前なんて気分転換に変える気軽なものであって、結婚して名前が変わる苦痛や苗字を失う喪失感などについて想像してもあまりピンとこないところは今でもある。緑川みたいな苗字の人と結婚するとミドリカワミドリになっちゃうじゃん、とも思うが、そもそもペンネームのスズキスズミに耐えられるので耐えられるのだろう。

そんなわけで私にとって、スズキミドリもスズキスズミもあまり特別な名前ではない。結構、「鈴木さん」と呼び止められてもスルーすることがあるのは平凡な苗字の人の常かもしれないが、フルネームで宛名が書かれていても、これぞ私! という感じはあまりしない。ああ? ああ、これ私か、という感じ。むしろいつか好きな人と結婚して新しくつけられる名前が初めての特別な名前になるのかもしれない! とロマンチックに妄想していたら、気づけばあと1カ月と少しで夏に40歳になる年が明ける。

『青木きららのちょっとした冒険』(藤野可織 講談社)

さて名前と言えば青木きららである。藤野可織の新刊『青木きららのちょっとした冒険』(講談社)にも選択的夫婦別姓制度がちらりと出てくる。結婚して夫の名前を名乗る女性は、旧姓の青木時代に子どもにつけたかったきららという名前がある。ただそれは、青木という苗字あってこそのきららであって、夫の姓である大久保では意味がない。そして夫は「結婚にあたって自分が姓を変えるという可能性がこの世に存在することをまったく認識していなかった」。たとえ選択的夫婦別姓制度が成立していたとしても、自分たちが別姓を選択するという可能性を夫や夫の家族がどう思うかは未知であって、しかも子どもの苗字が自分の青木になる可能性は低い。そのために「強い気持ち」で「戦う」ような気概は自分にはない。夫が戦わなくとも当たり前に享受しているものを自分が戦わなければ得られないという事態には納得ができないが、納得できないからこそ戦う気は起きない。だから青木きららは存在することのない名前であり人であるが、元・青木で現・大久保の女はとある生まれなかった赤ん坊にその名前をつける。「戦って何かを勝ち取らなければならない世界なら、戦わない者が戦わないことのツケを払わざるを得ない世界なら、青木きららは生まれなくてよかったのだった」と思いながら。

新刊に収められた8つの短編はいずれもこの名前をめぐる物語だった。青木きららは同じく藤野可織の『来世の記憶』(KADOKAWA)に収録された「切手占い殺人事件」という短編にも登場する。私は藤野可織小説の愛読者で、今年の夏にお願いしてリモートで対談をさせてもらった時に、確か私が藤野さんに小説に登場する人物の名前をどうやってつけているのか、ということを聞いて、最近は青木きららという運命的な名前を思いついて気に入り、青木きららが出てくる複数の小説を収めた本を作っているという話をしてもらったような気がする。そんなわけで私は発売を楽しみにしていた。

青木きららは青木きららなのであるけど、「切手占い殺人事件」の青木きららと、8つの小説それぞれに登場する青木きららは同一人物ではない。だから青木きららという人をめぐるのではなく、青木きららという名前をめぐる小説集である。青木きららは死んでいる場合もあれば語られるだけで登場しない場合もあれば、普通に生きて動いている場合もある。

スズキナントカみたいな名前とは違って、どの青木きららも青木きららという名前でしか存在し得ないような存在である。スズキヨシコとかヤマダハナコとかで描かれる存在ではない、何かしら特別な存在で、それは例えば殺されて川で発見された者だったり、人の人生を狂わせるほど人気のモデルであったりする。そのどれもが良い意味で特別というわけではないし、なりたいかと言われてなりたいような人物は少ないのだけど、いずれにせよ青木きららという名前に何かしらの必然性があるように思えてくる。モデルの場合も「ブス」の場合もあるが、多くの青木きららが女であることもまた必然的なことにも思える。

「スカート・デンタータ」は痴漢とスカートをめぐる物語で、ある日突然、女性たちがはいているスカートが大きな歯を持ち、痴漢の身体を食いちぎるようになる。その第1号の被害者(加害者?)が青木きららだった。痴漢の1人である語り部は、その女性の名前が特定されて以来、「ブスのくせに青木きららだって」と強い憎しみを募らせる。青木きららは美女っぽい雰囲気の名前らしく、しかしこの第1号のスカートの女もまた青木きららでしかありえない。

そして世の中は、廃れていたスカートをはく女性が増え、男性までもがスカートを着用するようになり、今度はスカート撲滅を謳う政治家が登場し、テレビタレントの衣装やファッション誌のモテコーデはズボンが主流となり、女性でありながらスカート批判に身を投じる者も現れる。異世界の話だが、どこか見覚えがある。そして痴漢に憎みきれないほど憎まれる青木きららの役を演じざるを得なかった女たちのことも思い当たる。

毛色の違う物語はいずれも、私たちのいる世界ととてもよく似ていたり、全然違うけどどこかシンクロしたりする場所を舞台にしている。どの世界の青木きららもある意味では特別で、ある意味ではこちらの世界にも存在し得る。小さな狂気が描かれる一方、凡庸な痛みが充満してもいる。青木きららを中心に、女であることの痛みや戦わないでやり過ごす自分の罪悪感を読者に時折思い出させる。最後に青木きららがラジオに乗せて笑いながらこんなことを言う。「そっちはどうですか? あいかわらず最悪ですか? こっちは……こっちはこっちでまあまあ最悪かな!」

何の愛着もない自分の名前は、変わっても別に構わないと私は今も思っている。好きな人と結婚できるほうが幸せだしまあいいじゃんとは半分本気で思う。しかし変わっても構わないのと同じだけ、変わらないでも構わないのに、変わらないでいてなおかつ「シアワセ」を当たり前に享受できる可能性はとても低いのだった。
 

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夜のオネエサンが帰ってきた! 今度のオネエサンは文化系。映画やドラマ、本など、旬のエンタメを糸口に、半径1メートル圏内の恋愛・仕事話から人生の深淵まで、めくるめく文体で語り尽くします。

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鈴木涼美

1983年東京都生まれ。蟹座。2009年、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。著書『AV女優の社会学』(青土社/13年6月刊)は、小熊英二さん&北田暁大さん強力推薦、「紀伊國屋じんぶん大賞2013 読者とえらぶ人文書ベスト30」にもランクインし話題に。夜のおねえさんから転じて昼のおねえさんになるも、いまいちうまくいってはいない。

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