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夢を喰う男 ダービー3勝を遂げた馬主、ノースヒルズ前田幸治の覚悟

2022.07.02 公開 ツイート

第三章 青春の汗

#3 「そこまで馬が好きなら馬主になったらどうだ」 本城雅人

キズナ、ワンアンドオンリー、コントレイル……日本屈指のオーナーブリーダーの、飽くなき挑戦と専心の軌跡を描いた感動のノンフィクションノベル『夢を喰う男』(本城雅人著)。話題の本書から試し読みをお届けします。「競馬は9回の落胆と1回の喜び」―― 優駿たちが駆け抜けたゴールの陰に、密やかに流された汗と涙のドラマがある!!(※ページの最後に、本城雅人さん、福永祐一さん、前田幸治さんの貴重なトークイベント情報があります。お見逃しなく!!)

*   *   *

前回までは…

2

同年十二月、幸治は「マエコウエンジニアリング」を創業した。会社名に「マエコウ」とつけたのは、仕事仲間が親しみを込めて幸治のことを「マエコウ」「マエコウさん」と呼んでいたからだ。社員はやがて数十人まで増えた。

ある時、晋二を呼んだ。

「晋二、おまえには明日から経理を任せたい」

「経理って……社長、俺、計算はあんまり得意じゃないし、それだったら社長の方が向いてるんじゃないですか」

社員のいる前ではきちんと「社長」と呼び、どんなに大変な仕事でも落ち着いて的確にこなす晋二が、この時は明らかに戸惑っていた。

「得意でないならこれから勉強すればいい。誰だって最初から得意な人間なんていないのだから」

歴史の本をよく読む幸治は「銃後の護り」という考え方に感銘を受けていた。軍隊では全員団結して戦うのを美徳としていたが、本当の強い組織は戦闘部隊と、それを後方から支援する部隊に分ける。この考えじたいは第一次世界大戦以降に広まったものだが、日本でも江戸時代の各藩は、全員で(いくさ)に向かうのではなく、家臣たちを「外交向き」「経理向き」などと見抜いては、それぞれに専門的な仕事を任せていた。みんなが同じ仕事をしていては、うまく立ち行かなくなった時、組織は低迷し、やがて全滅する。

大事な金を扱う仕事を晋二に任せたのは、弟だからという理由だけではなかった。

晋二は現場で一緒に仕事をして、それがうまくいったとしても絶対に自分の手柄にしない。そういう人間は信用できると考えたからだ。

その頃、日本経済新聞で目にした記事が、天啓に打たれるように幸治の心を動かす。

《これまで「官」主導で行われてきたインフラ整備が、今後は「民間」へと委託されるようになり、官から民へのシフトが始まるだろう。こうした事業に果敢に挑戦していく企業が、将来、伸びていくのではないか》

「これだ!」

記事を読み終えると同時に幸治は叫んだ。

「社長、これってどういうことですか」近くにいた社員に訊かれる。

「だからインフラだよ。こういう事業が将来伸びていくと書いてあるやないか」

「はぁ」

社員はまだピンと来ていないようだった。

どの分野で民間委託が活発になるのか社員たちに考えさせ、自分でも調べた。

真っ先に浮かんだのが水だった。

大阪に来て一番に思ったのは、水道水が不味(まず)いこと。大阪の中心を流れる淀川は濁っていて、鼻をつまみたくなるほどの悪臭が、河川から離れた場所まで漂っていた。

十年以上前から、工場等の排水によって河川や湖沼などの公共用水域の水質汚濁が進み、社会問題となっていた。そのため一九七〇年には下水道法が改正され、下水道は町の地下を清潔にするだけでなく、公共用水域の水質保全という重要な役割を担うようになっていた。

国も水に対して力を入れ始めている。水だ、水しかない。

ヨーロッパの美しい川を見てきた幸治は、本当は飲料水事業を手掛けたかった。だが上水道は役所が握っていて、とても手放す気配はない。そのため、まずは下水処理場の下請けに参入し、役所のプラントを建設して、川に垂れ流されている汚水を全部きれいにしてやろうと、壮大なプランを練った。

「よし、すぐ銀行に行こう。みんなで手分けして計画書を作ってくれ」

莫大な資料とともに、幸治自らが銀行に出向く。しかし、丹念に作った計画書をめくって説明しても、銀行の反応は渋かった。

「そんなことできまっかいな」

まともに話すら聞いてくれないのだ。

だが諦めることなく、追い返そうとする行員に、新たな資料を出して食い下がる。そのうち、なかなか帰らない客がいることに気づいた上司が行員を呼んだ。

「実はあちらの方から、こういう融資をお願いされまして」

二人の囁きが聞こえてきた。幸治は上役にも説明するつもりでいたが、その必要はなかった。

「そんなに熱心な人なら融資してみてはどうか。ここまでしっかりした計画書があるなら、稟議も通るんじゃないか」

思いのほか賛同してくれ、数日後には資金を調達できた。

自分を信じてくれた期待に背いてはいけないと、月末になるたびに、借りた金は会社中からかき集めてでも必ず期日に返済した。そうすると銀行との間に信頼関係が築かれていき、今度は銀行から「借りてください」と融資のお願いにやってくる。その資金をまた下水処理のプラントや機器に投資した。

一九八二年には大阪府内の日野川排水機場の管理運営を開始する。これによって会社の売り上げは大きく伸び、従業員、とりわけ技術者を多数採用した。

彼らは幸治のもとでよく働いた。それは幸治が現場の人間を大切にしたからだ。

すべてが若い時分、幸治自らが汗をかいて仕事をしていたことと密接に関わっている。現場に頻繁に顔を出し、声をかけ、激励する。自分を見てくれている人がいると分かると、社員たちは意気に感じて頑張る。幸治が最初からデスクで数字だけ見て指示する経営者になっていたら、誰もついてこなかっただろう。

八四年、日本下水道施設管理業協会の会員になる。さらに八七年にはコーポレート・アイデンディティー(CI)を採用し、大型プラントの総合エンジニアリング事業を目指して「アイテック株式会社」に社名変更する。Iは「私」という意味と「愛」、テックはもちろん「技術」だ。

後にパーソナルコンピュータが普及し、やがてiPhoneやiPadなど、人気のIT商品に「i」の文字が使われるようになるとは、その頃は予想もしていなかった。

 

3

会社が軌道に乗るにつれ、同業者たちから誘いがくることも多くなった。会食やゴルフ、酒にも付き合ったが、幸治がとりわけ楽しみにしていたのが、みんなで競馬場に行こうと呼ばれる時だ。

他社の社長の中にはサラブレッドを保有する馬主もいた。そんな大金持ちが一緒なら、さぞかし大金で馬券を買うのだろうと、銀行から帯封つきの百万円を下ろして京都競馬場に向かった。

ところが、みんな千円、二千円程度しか買わない。

幸治だけが窓口で、財布から一万円札を出していることに、土建業をやっている先輩の津田が声をかけてきた。

「前田くん、あんた、そんなに馬券が好きなのか」

「好きですよ。でも馬券より馬が走っている姿を見る方が好きですけど」

「そこまで馬が好きなら馬主になったらどうだ。馬券を買うより夢があるし。馬主になるには登録の時間がかかるから、まずは俺が持ってる馬、前ちゃんに名前を付けさせたげるわ」

「いいんですか?」

津田から馬の写真を見せてもらった。艶のある鹿毛のきれいな馬だった。

幸治が二十代はじめの頃、超電導技術を使った次世代高速鉄道「リニアモーターカー」が技術系を目指す若者たちの間で話題になった。そのことを思い出し、マエコウリニアと名付けた。

津田に教えてもらった通り、馬主登録の申請書を提出した。当時の馬主審査は厳しく、二千万円ほどの所得と一億円近い資産を過去数年にわたって保持していないと馬主登録することはできなかったが、その厳しい審査も事業が安定していたおかげでクリアできた。

一九八三年、幸治は晴れて馬主の登録をした。三十四歳の時だった。

「前ちゃん、調教師が北海道に馬見に行こうと言うてるんや、行かへんか」

津田から声がかかった。

馬主になるには保証人として調教師が必要だ。その最初の調教師が、幸治より三十年上の吉田三郎だった。重賞レースはほとんど勝ったことはなかったが、一九七五年には三十七勝を挙げて関西リーディングの四位に入るなど、関西では重鎮の一人だった。

「行きたいです。そのためにはどうしたらいいですか」

「馬を買う代金は後払いでいいけど、調教師の交通費や宿泊代を払うのは馬主の役目やから、百万ほど持ってきてくれるか」

「分かりました」

とりあえず財布に帯封を入れて旅支度をする。北海道の日高地方は、初めて海外旅行に行ったヨーロッパと似ていた。どこに行っても馬がいるのだ。ただヨーロッパとはなにかが違う。トタン屋根の厩舎は錆びが目立ち、牧柵はボロボロ。放牧地も草がほとんど馬に食べ尽くされていて、ところどころに黒い土が見えた。

欧州で見たアートのような感動とは程遠かったが、大阪に出てきてガムシャラに仕事をしてきた幸治には、広い大地で、新鮮な空気を吸うだけでもいい息抜きとなった。

そうは言っても腑に落ちないこともあった。吉田調教師の交通費と宿泊代を払うとは聞いていたが、食事代や飲み代、それも二軒、三軒とスナックを梯子するのもすべて幸治持ちなのだ。吉田だけではない、馬主の津田の分まで幸治が払った。三泊四日で北海道から大阪に戻ってくると、百万円の帯封を入れていた財布はすっからかんになっていた。

「前ちゃんは恵まれてるわ。今は馬を買っても、中央競馬には入れられずに地方競馬に預ける人ばかりだからな」

津田からは調子よく言われた。

現在、調教師は最大で二十八馬房、そのほかトレセンの馬房以外に、牧場に放牧している馬を含めると七十頭まで厩舎で登録できる。対して幸治が馬主申請をした頃は、各厩舎の馬房数が二十、そのほかトレセン以外に放牧に出せる馬は十四頭までと、合わせて三十四頭しか認められていなかった。

国内のサラブレッドの生産頭数は、二〇二一年は約七千六百頭だが、一九九一年から九三年は一万頭を超えており、いまよりはるかに多い。つまるところ、馬の数は多いのに、今の半分しか中央競馬の厩舎には入れなかったのだ。その登録馬の大半が、戦前から馬主をやっている大富豪や社台ファーム、メジロ牧場、シンボリ牧場といった大牧場の馬たちで、幸治のような中小馬主が入り込む余地は、本来はなかった。

当たり前のように幸治の金で飲み食いすることには少し辟易していたが、吉田からは競馬の基礎を教わった。吉田は厳しい人で、レースで勝った翌日に厩舎を訪れると、弟子の騎手・中竹和也(現調教師)を正座させて叱っていた。

「どうして一コーナーで俺の言った通りのポジションにいなかったんだ!」

勝ったんだからそんなに叱らなくてもいいじゃないですか……何度もそう言いかけたが、これが競馬の師弟関係なのだろうと余計な口出しはしなかった。

やがて他の調教師からも「前田さん、よかったらうちの厩舎にも馬を預けませんか」と声がかかるようになる。

他の馬主は頼んでも預かってもらえないのに、自分には声がかかる。幸治は有頂天になって、新しい調教師とも北海道へ馬を見に行った。

今でこそ、セレクトセールやセレクションセールなど、セリ市で馬を買うのが当たり前になったが、当時はまだ珍しく、ほとんどは「庭先取引」と呼ばれる、生産者との直接売買だったのだ。セリで買った馬は「」という特別なマークが馬名について、競馬会から報奨金が出た。

良い馬をいち早く手に入れるため、調教師はそれぞれ贔屓にしている牧場を持っていた。時にはまだ子供が母馬のお腹の中にいるうちに約束して、手付金を払っておくことも珍しくなかった。

さすがに血統表だけ見て手付金を払うような危険なことはしなかったが、馬を見るのが大好きな幸治は、調教師から誘われたら必ず一緒に行った。

サラブレッドは一月から五月にかけて生まれる。大阪で春の訪れを感じていても、北海道はまだ雪が残っていた。防寒具を身に纏い、柔らかな雪が降り積もった牧草地を、ぎゅっぎゅっと踏み締めながら調教師と歩く。革製手袋を嵌めていても、指先はしもやけになりそうなほど冷たい。二重に履いた靴下はつねに湿っていた。そこへ牧場主が、生まれたばかりの仔馬とその母馬を引っ張ってくる。

母馬も仔馬も、幸治たちがいったい何者なのかと少し警戒しながらじっと見ている。幸治が見つめ返していると、やがてその目が緩んできた。

そんな時に思い浮かべたのが斎藤茂吉の歌だった。

 

しんしんと雪ふるなかにたたずめる
馬の(まなこ)はまたたきにけり

 

目をしょぼしょぼさせながら幸治をじっと見つめる仔馬に吸い寄せられるように、幸治はそばまで近寄って顔を撫でた。

「前田さん、そんなことしたら危ないで。母馬は、気が昂ってるから」

仔馬を取られるのを母馬が心配する、と調教師から注意される。

「大丈夫ですよ。ほら、お母さんも、私に懐いているし」

「本当ですね、他の人だと怒るんですけど、母馬も社長のことを気に入ってるみたいですね」

牧場主も感心していた。

「馬だって人を見る目があるんですよ」

母馬の額を撫でながら幸治が軽口を叩くと、調教師は苦笑いを浮かべていた。

その頃は日高中の牧場を巡っては生まれたての仔馬ばかりを見た。

「良い馬でしょう。こんなに脚が真っ直ぐ伸びて、大物感のある馬、ここ数年出なかったですよ」

どこの牧場主も自分の馬を誉めちぎる。

「これはダービー候補ですな」

調教師もそう言って調子を合わせる。

牡馬ならダービー馬、牝馬(ひんば)なら桜花賞馬だ。そう言われたところで、幸治には彼らがどこを見てそう言っているのか、皆目見当がつかなかった。せめてこれが競馬場のパドックなら、踏み込みに力強さがないとか、尻の張りが寂しいとか、多少は見分けがつく。だが見せられているのは生まれて間もない仔馬だ。体高も一メートルほどしかなく、母馬のそばから離れようともしない。だが牧場主と生産者の二人から相次いで絶賛されると、立派な馬に見えてくる。

調教師がトイレに行くと言って席を外すと、幸治は牧場主におよそいくらで売ろうと考えているのかを尋ねてみた。

「この馬は種付け料も高いし、八百万くらいは期待しているんですがね」

「それくらいなら私も考えてみますよ」

調教師がトイレから戻ってきた。

「では交渉といきましょうか。値段のことで馬主が出ると、揉めた時に今後のお付き合いにも響くでしょうから、社長は車の中で待っていてください。私がうまくまとめますんで」

そう言って幸治は車に戻るように促される。車の後部座席から見ていると、調教師がなにか言うたびに、生産者が首を左右に振り、どうやら交渉は難航しているようだった。

ようやく首肯した。調教師が戎顔(えびすがお)で戻ってくる。

「社長、なんとか話がまとまりました。向こうは千二百万は譲れないと言い張るんですが、なんとか一千万に値切りましたよ」

「そうですか、それはご苦労様でした」

ふと疑念が頭をもたげた。牧場主は八百万円を期待していると話していたのだ。それがどうして千二百万円まで上がったのか。もしや幸治が一緒になって「良い馬だ」と誉めたことで、牧場主に欲が出たのか。とりあえず二百万円を値切ってくれた調教師に、その場では礼を述べた。

その後も他の調教師から「馬を見に行きませんか」と誘われた。馬主になるのは大変だと聞いていたのに、なぜ自分には次から次へと声がかかるのか。

先輩馬主に訊くと、だいたい同じことを言われた。

「前ちゃんの人徳じゃないか。最近は交通費もしぶる馬主が多いと聞くし」

「それくらいは出しますよ。調教師だって、わざわざ北海道まで行って、私の馬を選んでくれてるわけですから」

それからは、自分からあまり「良い馬だ」とは言わないようにした。競馬はあくまでも趣味だが、やり方は商売と同じ。安く買って多く稼ぐことができれば、長く続けられる。

どの調教師と行ってもだいたい同じ展開になり、馬を見る時は一緒でも、さぁ値段交渉という場になると、「悪いようにはしませんから、社長は車の中でデンと構えといてください」と幸治だけがその場から外される。

そして、しばらくして調教師から恩着せがましく言われる。

「六百五十万で納得させましたよ」

それが安いのかどうかも当時の幸治にはさっぱり分からなかった。

そんなことを繰り返しているうちに、一人の牧場主が電話をくれた。

〈社長は調教師のいいカモにされていますよ。彼らが言う値段は、牧場に入るお金より一割から二割、水増しされてるんです。私らはそのお金を調教師に渡しています〉

「えっ、本当ですか」

驚愕した幸治だが、にわかには信じがたかった。金を抜いている調教師には腹が立ったが、牧場側も馬を買ってくれるならと、黙認しているからこの取引は成立しているのだ。

「あなた、どうしてそんなことを私に教えてくれたんですか。バレたらあなただって調教師から馬を買ってもらえなくなるでしょう」

〈中には調教師に払う金のせいで、我々が赤字になることだってあるからです〉

「それは酷い」

〈ですが社長に話したのは、社長が本気で馬が好きだと感じたからです。金のことで人間不信になって馬主をやめた人を、私はこれまで何人も見てきました。せっかく馬を好きになってくれた人が、競馬界からいなくなってしまうのは、私らにも大きな痛手ですから〉

「あなたから聞いたということは口が裂けても言いません。話してくれてありがとう」

礼を言って電話を切ろうとしたが、幸治は思いとどまって先を続けた。

「来年、いい仔が生まれたら私に直接連絡をください。その時は誰も介さずに、あなたの馬を買いますから」

馬を買わないかという誘いは調教師だけでなく、安い馬を買っては転売するブローカーからもあった。彼らは業界では「馬喰」と呼ばれていた。調べてみると、過去に買った馬三頭で八千万円も払ったのに、生産牧場には三千八百万円しか渡っていなかったことが判明した。

どうやら幸治はいいように食い物にされていたようだ。そのことを父と晋二に話した。

「そんな調教師、やめるべきだ」

短気な父はもちろん、温和な弟まで怒っていた。

「そうしたいところだけど、もう預託契約してしまったしな」

「転厩すればいいだけの話だろ、馬主の権限で」

「そんなことをしたらどこも預かってくれなくなるよ。競馬は狭い世界だ。あの馬主はちょっとしたことで頭に来て馬を動かすなんて、悪い噂が立ったらたまったもんじゃない」

「そうだけど兄貴はなんも悪いことしてないやん」

「これも全部授業料だよ。馬はなにが走るか分からない。少しばかり高く買わされても、走ってくれたら賞金でいくらでも取り返せる」

内心は憤懣やる方なかったが、そう口にすることで自分の怒りを鎮めた。

それからというもの、競馬に投入する自己資金を一円でも無駄にしたくないと、幸治は時間があれば吉田厩舎に行き、吉田調教師から馬の見方を学んだ。

そうこうしているうちに購入した幸治名義の馬が、デビューする時期がやってきた。

馬主として走らせるには勝負服がいる。

「それやったらこれが余ってるから、使いなはれ」

吉田が部屋の奥から薄汚れた勝負服を出してきた。緑地に黄色の横縞が三本入っていて、すでに廃業した馬主が使っていたものらしい。

──こんな他人が着たもん、嫌やな。

勝負服を着るのは騎手なのだが、今から新しいものを作るのは時間がないと、しぶしぶそれを受け取った。

もっともその頃には、幸治は競馬にどっぷりのめり込んでいて、吉田にも話さないまま、密かにある計画を進めていた。

7/6(水)19:00~紀伊國屋書店グランフロント大阪店にてトークイベントを開催!! 


※残席わずか!! イベント参加にはチケットのご購入が必要になります。7/5、7/6は紀伊國屋書店グランフロント大阪店までお問い合わせください。

本書の刊行を記念し、ノースヒルズ代表・前田幸治さんと、著者の本城雅人さん、そしてスペシャルゲストに福永祐一騎手をお迎えし、7月6日(水)にトークイベントを開催いたします(会場:グランフロント大阪北館(タワーB)10階
ナレッジキャピタルカンファレンスルーム タワーB Room B01+02)。プロの勝負師たちの見方、考え方に触れる時間は、競馬ファンのみならず、多くの人にとって貴重な体験となること請け合いです。ぜひ奮ってご参加ください!

 

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本城雅人

1965年、神奈川県生まれ。2009年『ノーバディノウズ』が松本清張賞候補となり作家デビュー。17年『ミッドナイト・ジャーナル』で吉川英治文学新人賞を受賞。18年『傍流の記者』が直木賞候補になり話題となった。近著に『あかり野牧場』『オールドタイムズ』。

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