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量子で読み解く 生命・宇宙・時間

2022.02.14 公開 ツイート

私たちの細胞が傷ついても自然治癒する理由 吉田伸夫

物質や光などを極限まで小さく分けた最小単位を「量子」と呼び、私たちの身の回りにある物質は全てこの量子からできています。しかし量子には謎が多く存在し、そもそも量子が一体どのような姿をしているのかもわかっていません。教科書を開けば「量子とは波であると同時に粒である」という一見して矛盾した記述がされており、多くの学習者を悩ませてきました。量子の世界で、一体何が起きているのでしょうか。発売後たちまち重版となった『量子で読み解く生命・宇宙・時間』の一部を抜粋して紹介します。

分子の性質が細胞の活動を促す

脂質分子が水中で安定な膜構造を形成する仕組みを見てみよう。

水の分子(H2O)は、酸素原子に水素原子2個が結合し、「く」の字形に折れ曲がっている。3つの原子がなす角度は、すべての水分子に共通であり、104・5度である。

一方、生物の体内に多く存在する脂質分子は、尾が2本に分かれたオタマジャクシのような形状をしている。頭に相当する部分は、水になじんで溶け込もうとする性質があり、親水基(「基」とは、分子内部において、まとまった状態で機能したり場所を移したりする原子集団のこと)と呼ばれる。逆に、しっぽの部分は、水と反発して離れようとする疎水基である。

一つの分子に親水基と疎水基があるため、水中に多数の脂質分子が入り込むと、集団で水分子と相互作用し構造を形成する。水の表面があれば、疎水基が水から出て行こうとし親水基がとどまろうとするので、疎水基を外に向けた状態で表面を覆う薄い膜となる。水の中では、水と反発した疎水基同士が自然と集まるため、脂質分子は、内側に疎水基、外側に親水基が並んだ二重層を作って安定化する。

二重層に端があると、そこで水分子と引き合ったり反発したりといった相互作用が生じるため、二重層は端のない閉じた曲面になろうとし、その結果として、閉曲面の膜に閉じ込められた領域ができる。生命の基本単位となる細胞は、このようにして形作られる。細胞の境界となる膜は物質の移動を制限するため、内側と外側で溶液濃度が異なることも起こり得る。化学反応の頻度は濃度に左右されるので、膜の内側では、栄養物の代謝のように外部では起きにくい反応が進行することも可能である。

脂質分子が形成した二重層の膜は、力を加えると変形はするものの、水を内側と外側に分けるという基本的な構造はなかなか壊れない。部分的に小さな穴が開いても、水分子と引き合ったり反発したりするという脂質分子の特性によって、自然と穴を塞ぐように分子が移動するからである。これが、細胞膜が構造安定性を持つ理由であり、この安定性があるからこそ、生物は存続が可能になる。細胞膜がすぐに壊れて内側と外側の差がなくなるようでは、生物は生きられない。

生物の活動とは化学変化の連続である

生物体の機能は、一般に、脂質二重層によって外界から切り離された安定な環境の中で、複雑な分子が一連の化学反応を行うことによって実現される。例えば、光のエネルギーを有機物の化学エネルギーに変換する光合成は、細胞小器官である葉緑体内部のクロロフィル(葉緑素)が光を吸収し、構造変化を起こすことから始まる。

クロロフィルにはいくつかの種類があるが、最も多いタイプは、五角形のリング4つがマグネシウムを取り囲んだ部分と、それにくっついた長い鎖状の部分から構成される。

マグネシウム原子の他、炭素原子や窒素原子、酸素原子なども含み、あわせて百個を超える原子からなる巨大な分子である。この分子が特定の波長の光を吸収すると、マグネシウムを放出したり電子の状態を変えたりしながら、さらなる化学反応を引き起こす。一連の反応の末に、光が持っていたエネルギーを安定した化学エネルギーに変換する過程が、光合成である。

光合成に限らない。あらゆる生命活動の根底には、巨大な分子がその構造や結合の仕方を変えながら複雑に変化する過程が存在する。

神経興奮や筋肉の収縮、生合成のようにエネルギーの供給が必要な活動で、多くの生物は、ATP(アデノシン三リン酸)を利用する。ATPは、アデノシンに3つのリン酸が結合した構造をしており、内部に化学エネルギーが蓄えられている。酵素の作用でADP(アデノシン二リン酸)とリン酸に分解される際に、外部にエネルギーを解放する。

ATPの分解生成物である ADP は、そのまま使い捨てにされるのではなく、食物によりエネルギーを供給してリン酸と結合させることで、再びATPに戻される。ATP は、いったん ADP に分解されてもまた元に戻るような安定した構造を持っており、それ故に、再利用可能なエネルギー蓄積装置として生命活動を支える。

関連書籍

吉田伸夫『量子で読み解く生命・宇宙・時間』

生命は活動し、物体は形を持ち、時間は流れる。物質や光の最小単位・量子は、これらのあらゆる現象と関わりを持つ。だが量子には謎が多く、運動方程式など、私たちが住むマクロ(巨視的)な世界の物理法則が通じない。その正体すら判別できず、教科書でも「粒子であり波でもある」という矛盾を孕む説明がなされる。本書では「粒子ではなく波である」という結論から出発し、量子を巡る事象の解明に挑む。細胞の修復、バラバラに砕けない金属、枝分かれしない歴史……こうした世界の秩序は量子が創っていた――。日常の見え方が変わる一冊。

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量子で読み解く 生命・宇宙・時間

2022年1月26日刊行の『量子で読み解く 生命・宇宙・時間』の最新情報をお知らせいたします。

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吉田伸夫 理学博士

1956年、三重県生まれ。東京大学理学部卒業、東京大学大学院博士課程修了。理学博士。専攻は素粒子論(量子色力学)。科学哲学や科学史をはじめ幅広い分野で研究を行っている。ホームページ「科学と技術の諸相」(http://scitech.raindrop.jp/)を運営。著書に『明解量子重力理論入門』『明解量子宇宙論入門』『完全独習相対性理論』(いずれも講談社)『宇宙に「終わり」はあるのか』『時間はどこから来て、なぜ流れるのか?(ともに講談社ブルーバックス)、『光の場、電子の海』(新潮選書)、『素粒子論はなぜわかりにくいのか』『量子論はなぜわかりにくいのか』『科学はなぜわかりにくいのか』『この世界の謎を解き明かす 高校物理再入門』(いずれも技術評論社)など多数。

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