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ヒトコブラクダ層ぜっと

2021.06.22 公開 ポスト

予測不能の物語は泥棒から始まる。『ヒトコブラクダ層ぜっと(上・下)』「序章」公開!万城目学

明日(6月23日)発売の『ヒトコブラクダ層ぜっと(上・下)』(万城目学)。
発売前に読んでくださった書店員の皆さんが「予測不可能!」と驚愕した唯一無二のストーリーは、緊迫(?)の泥棒場面から始まります。
刊行を記念して、本書の「序章」を公開いたします。
この「序章」を読んで、この後の展開を予想できる人は、いないかもしれません……。

「小説幻冬」2021年7月号より

*   *   *

序章 2022.11.14 PM11:21

天には、かなわないな。

そう、地がつぶやいたとき、人は憚ることなく口を開け、大あくびしていた。

別に神話のたぐいに登場する、天だの、地だの、人だのといった大きな世界の話ではない。

薄汚く、ほとんど物置のような狭苦しい部屋での一場面である。

部屋の広さは三畳ほど、天井から無造作に吊り下げられた裸電球が一つ。その真下に黄色のビールケースが置かれ、それを三人が囲んでいた。

段ボール箱をイス代わりに腰を下ろし、三人がのぞきこむのは裏返したビールケースの上に広げられた盤である。厚紙でできた長方形の盤はマス目に区切られ、その外縁部には太い川が二本、うねうねと湾曲しながら描かれている。川を除いた部分は淡い茶系の色で塗りたくられ、そこに赤と青と黒のプラスチック製の駒が所狭しと並べられていた。

「また、負けだ。これで、何連勝?」

「十三連勝だな。今年に入ってから、まだ一度も負けていない」

「少し、手加減してくれてもいいんじゃない?」

「勝てるときに一つでも多く勝っておくのが、勝負事の基本だ。いったん、うまくいかなくなると、何をやっても駄目になる」

「まさかズルしてないよね」

「俺は先の先を読んでいるだけだ」

「それ、否定していないってこと?」

「お前はゲーム中しゃべりすぎなんだ。わざわざ、相手に先を伝えているようなもんだ」

二人のやり取りを眺めていたもう一人が、

「扉が開くぞ、来る」

とあくびといっしょに伸ばしていた両手を下ろした。

きっかり三秒後、塗装があちこち剥げた古めかしい鉄扉が開き、ひどく目つきの悪い男が顔をのぞかせた。

「天(ティエン)、地(ディ)、人(レン)」

と三人を見下ろし、短く中国語で呼びつけた。

「遅いな。約束より、二十分も遅れてる」

あくびをしていた一人が鼻声で返すと、頭の片方だけを大胆に刈り上げた男はじろりと一瞥をくれたのち、中国語を早口で連ねた。

片側刈り上げ男から見て正面、ビールケースを囲む三人の真ん中に座る、先ほど「しゃべりすぎ」と言われた男が、

「出発だってさ」

と腰に手をあて立ち上がった。

ひょろひょろとした骨格ながら、存外に背が高い。あやうく吊り下げられた裸電球に頭をぶつけそうになりながら、ふたたび始まった中国語にうなずきで返し、

「車を手配してあるから、そのまま仕事に向かうって」

と左右の二人に伝えた。

立ち上がった男は白いセーターにジーンズという格好だが、腰を下ろしている二人は鏡に映したかのように、互いに黒いジャンパーに黒いズボン、靴も黒、さらに黒のニット帽までかぶり、完全に黒ずくめの格好である。

片側刈り上げ男は駒が置かれたままの盤を見下ろし、

「誰が、勝った」

と中国語訛りがたっぷり溶けこんだ問いを発した。

俺だ、と黒ずくめのひとりが盤上の駒を集めながら面(おもて)を上げた。

「オマエ、梵天か」

「どうして、そう思うんだ? 会うのはじめてだろう」

「ボスと仕事する男、運が強くないといけない」

梵天と呼ばれた男は声を出さずに笑い、手の内に収めた駒を布袋に落とした。

「オマエ、梵地だ。オレたちの言葉がわかる」

と片側刈り上げ男は正面の白セーターに視線を移した。

「オマエ、梵人。ボスが用心棒の腕、日本人でいちばんと言っていた」

「早く、出発しようぜ。ここ、空気が悪いんだよ。窓がないし、油臭いし」

男と目を合わせようともせずに、梵人と呼ばれた男はビールケース上のゲーム盤を畳み、脇に転がっていたリュックサックにしまいこんだ。

「オマエたち、何歳だ」

「二十六歳だよ」

リュックサックを引き取り、背中に担いだ白セーターの男が答える。

全員か、と指で三人を示そうとして、片側刈り上げ男は急に笑いをこらえた声で、

「三つ子──、天(ティエン)、地(ディ)、人(レン)」

とつぶやいた。

準備を整えた三人に、男はあごで「出ろ」と示した。

扉の外には、狭い廊下が続いていた。

壁際にビールケースや調味料の名前が記された段ボール箱が所狭しと積まれ、隙間を縫うように四人は一列になって進む。

先頭の片側刈り上げ男が突き当たりの両開きの扉を開けると、いきなり厨房が始まっていた。白い調理服を纏った大勢が皿を手に、鍋を手に、肉のかたまりを手に動きまわっている。中国語がしなる鞭のように激しく飛び交う。誰も四人に注意を払おうとしない。油が弾ける音ののち、天井に届きそうな大きな炎がガス台の鍋から立ち上っても、一心に自分たちの仕事に没頭していた。

厨房の裏口から非常階段に出た。壁に設置された換気扇がカラカラと気怠げな音を転がしている。周囲の雑居ビルの排気口から吐き出される、飲食店の生ぬるい調理臭が建物の谷間に充満していた。通りから這い上ってくる車のエンジン音や、ときどきドッと沸く野卑な笑い声を踏みつけるように、全員が無言で非常階段を下りた。

「ここで、待つ」

一階に下り立ったところで、片側刈り上げ男が低い声を発した。

駐車場に面した薄暗い建物の壁に背を預け、片側刈り上げ男は煙草を吸い始めた。煙をふうっと吐き出し、中国語で隣に立つ白セーターの男に話しかけた。

「さっきのボードゲームの名前?」

片側刈り上げ男は煙草をくわえたまま、うなずく。

「チグリス・ユーフラテス」

「チグ……?」

「川の名前だよ。ゲーム盤に大きく描かれていた二本の川──、あれがチグリス川とユーフラテス川で、世界でもっとも古い文明のひとつ、メソポタミア文明をどう栄えさせるかを競うゲーム……って説明しても、難しいよね」

それでも少しは内容が伝わったようで、片側刈り上げ男は急に声のトーンを上げ、

「世界で、もっとも古い……? メソ──じゃない。中国(ツォングォ)」

と暗闇に唾を飛ばした。

「ああ、なるほど」

白セーターの男は笑みを浮かべながら、

「でも、ちがうんだ」

とひょろひょろと伸びた細い首を横に振った。

「メソポタミアというのは『川に挟まれた土地』を意味するギリシャ語で、文字どおり、チグリスとユーフラテスという二つの大河の流域ではぐくまれた文明の本拠地を指すんだけど、ここにシュメール人による都市国家が生まれたのが、紀元前三千五百年。翻って、君の国でもっとも古いと言われる夏王朝が成立するのが、紀元前千九百年のあたり。文字のことも言いたそうだから、先に教えておいてあげる。漢字のもとになる甲骨文字が現れるのは殷(いん)王朝の後期、紀元前千三百年ごろ。それに対し、メソポタミアに文字が生まれたのは、さらに遡ること──」

「住嘴(ジューズィ)」(黙れ)

押し殺した声とともに、片側刈り上げ男は自分よりも高い位置にある相手の顔に煙を吐きかけた。しかし、白セーターの男はお構いなしに続ける。

「何と千八百年。よしんば今日、甲骨文字がこの世に誕生したとして、メソポタミアで文字が使われたのはどのへんだと思う? そう、卑弥呼がいたあたりになるんだよ。中国三千年、いや四千年の歴史ももちろんすばらしいよ。でも、メソポタミア五千年の歴史の前には、さすがに後塵を拝さざるを得ない。あ、でも、この比較の仕方はフェアじゃないか。メソポタミアのほうは継続性がないし、今は遺跡しか残っていないからね……」

相手のよく動く口元を苛立たしげに睨みつけながら、

「なぜ、話さない?」

と片側刈り上げ男は煙草の灰を落とした。

「え?」

「オマエ、オレの言葉、雲南の方言を知っている。なのに、なぜ中国語、話さない?」

「ああ。僕はリスニング専門なんだ。できるのは聞くことだけ。話すのは無理。君たちとのやり取りも、香港から来た英語ができる人とやっていたから」

眉間のしわをさらに深くして、片側刈り上げ男が何か言い返そうとしたとき、駐車場に黒いワゴン車が勢いよく滑りこんできた。男は慌てて煙草を地面に投げ捨て、革靴の底でねじり潰した。

停止した車の助手席から、野球帽に黒のパーカという取り合わせの身体の大きな男が降り立ち、

「油圧ジャッキ、故障だった。修理して遅れた」

とこちらも中国語訛りを存分に漂わせながら「乗れ」と手で招いた。

それまで影のようにビルの壁に張りついていた、全身を黒で固めた二人が互いに耳打ちする。

「どう、天ニイ?」

「後部座席には誰もいない。あいつの言うとおり、油圧ジャッキや機材が積んであるだけだ」

「信用していいものかな」

「今さら、何言ってる。お前の仕事相手だろ」

「用心棒をしているだけで、組織の中身にまで詳しいわけじゃない。あの刈り上げ野郎だって初対面だ。天ニイの気が進まないのならキャンセルしてもいいんだぜ」

「そんなの今さら許されないだろう」

「そりゃ、多少は揉めるだろうけど、天ニイがいないと始まらない話だ」

「そもそも、俺が言いだしたことだ」

「でも、これをやったら、もうカタギじゃいられない」

「とうにカタギなんかじゃない。それに、一度決めたことだ。お前のほうこそ、いいのか? これまでとはまるで違──」

「いいに決まってる」

相手の言葉を途中で遮り、

「好きなんだよ、このゾクゾクする感じ」

とニヤリと笑った。

「天ニイ」と呼ばれた男は、黒ニット帽の位置を直し、大きく息を吸って足を踏み出した。無言で白セーターの男の肩に手を置いてから車へと進む。もう一人も白セーターの背中を叩いてあとに続く。

「行ってらっしゃい。怪我のないようにね」

黒ずくめの二人の後ろ姿に手を振る白セーターの男に、

「お前、行かないのか」

と片側刈り上げ男が驚いた表情を向ける。

「まさか。僕はただの通訳だよ。取り分の交渉に、段取りの調整に、ここまでが僕の仕事。これからが彼らの仕事」

二人が乗りこむなり、あっという間にワゴン車が駐車場から走り去っていくのを見届けてから、

「じゃ、お疲れさま」

と告げ、白セーターの男は駐車場から通りへと雑踏のなかに悠然と消えていった。

翌日、東京銀座の貴金属店に昨夜未明、窃盗団が侵入した、というニュースが流れた。

ビルとビルの間の細い路地から、油圧ジャッキのようなものを使用して外壁を壊すというやり口で無人の店内に侵入した犯人は、金庫に収められていた高額の貴金属をごっそり奪い去ったのだという。

ごく一部の幹部を除き、従業員にさえ存在を知らせていない、店舗とは別のビルに入っていた部屋にも同様の方法で侵入を果たしていたことから、内部の事情に詳しい者による犯行の可能性が高いと見て警察は捜査を進めている、とニュースは伝えていた。

被害総額は五億円。

事前の取り決めどおり、そのうち一億五千万円が、梵天、梵地、梵人の榎土三兄弟の懐に収まった。

 

(『ヒトコブラクダ層ぜっと(上)』「序章」より。続きは本書でお楽しみください)  

関連書籍

万城目学『ヒトコブラクダ層戦争(上)』

榎土梵天、梵地、梵人は三つ子の三兄弟。自 分たちが謎の能力「三秒」を持つことに気づ き、貴金属泥棒を敢行。大金を手にした梵天 は、ティラノサウルスの化石発掘の夢を抱き 山を丸ごと購入した。だが、そこにライオン を連れた謎の女が現れたとき、彼らの運命は 急転する。海を越え、はるか砂漠の地にて、 三兄弟を待ち構える予測不能の超展開とは!?

万城目学『ヒトコブラクダ層戦争(下)』

自衛隊PKO部隊の一員としてイラクに派遣 された榎土三兄弟。彼らの前に姿を現す、か つてメソポタミア文明が栄えた砂漠の地の底 に潜む巨大な秘密、そして絶体絶命の大ピン チ。恐怖の襲撃者から逃れつつ、三兄弟はす べての謎を解き明かすべく戦い続ける。驚愕 のラストまで一気読みの面白さ。アクション あり神話ありの超弩級スペクタクル巨編!

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万城目学

1976年大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。2006年にボイルドエッグズ新人賞を受賞した『鴨川ホルモー』でデビュー。壮大な世界観&緻密な物語構成は「万城目ワールド」と称され、多くの読者を獲得。主な作品に『鹿男あをによし』『プリンセス・トヨトミ』『偉大なる、しゅららぼん』『とっぴんぱらりの風太郎』『バベル九朔』『パーマネント神喜劇』など。エッセイに『べらぼうくん』などがある。

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