
大晦日にインスタグラムを開いてみたら嫌にポジティブな海外のおしゃれアカウントの投稿が場違いに並んでいるし、紅白をつけたら年齢不詳の丸顔男子がけん玉をしているし、せっかくもうすぐ年があけておめでたいんだから、ここは思いっきり貧乏くさい映画を観たいと思って、10年くらい前に話題になっていた頃見そびれていた『プレシャス』を観て年越ししていた。
『プレシャス』はハーレムのDV&貧困まっ只中にいる16歳の肥満女子プレシャスが、父親に2度も妊娠させられて学校も退学になるものの、オルタナティブ・スクールの若い女性教諭と出会い、人生をなんとか手繰り寄せる物語で、モニークが演じる虐待母親の残酷さが見せ場の一つとなっている。母親はプレシャスの作る夕飯を気に入らないと言って「お前が食べろ、食べた後に私用のご飯を作り直せ」と強要するような性格で、父親の性虐待を受けたプレシャスを「男を寝とった」と言ってなじり、彼女の産んだ赤ん坊を床に投げ捨てて、階下にいる彼女の上にテレビを落下させるような暴力を孕んでいる。その母はプレシャスが1度目に産んだダウン症の子供を、自分の母に預けっぱなしにしているくせに、役所の人が訪ねてくる日だけは自分の元に呼び寄せて、生活保護を切られないよう障害者の孫の面倒を見る祖母を演じる。役所の人間が帰った後はその子供を邪険に払い除け、再び暴力的な母親に戻る。その母親の、一生抜け出さないであろう沼のようなアパートが、この役であらゆる映画賞を総なめにしたモニークの持つ威圧感と混ぜ合わさって、映画全体にリアルな重みを与え、明けてしまった私の2021年にもリアルな重みを与えてくれるような気がしたが、気がしただけかもしれない。
で、そのプレシャスの送っていた生活は一段落で一気に説明したこっちまで陰鬱な気分になるほど思いっきり鬱々としたものなんだけど、そんな悲惨な生活に追われる彼女は時折空想の中で遊ぶ。ミュージックビデオに出たいという本編始めのモノローグにあるように、空想の中で彼女は抽象的でリッチなハリウッドっぽい姿で、しかし顔や体型は現実と同じまま、キラキラしている。私も現実がクサクサしている時には妄想力が逞しくなるが、彼女よりも幾らか厚かましいので空想の中では大抵現実の半分くらいの顔の大きさで脚などめっちゃ細くなって鼻など高くなっている上に、抽象的でリッチなハリウッドではなく、具体的に大正時代の鬼殺隊員の柱の嫁とかになっている。
いずれにせよ、空想の世界を現実に混ぜて生活していると人はやや救われるし、空想の世界は私を傷つけないので、現実を受け流して空想で発散する手法で生活を完結させているうちは、世の中が如何様であっても人は結構生きていけると同時に、それをあんまりちゃんと生きていないという言い方もできるんだろう。実際、プレシャスは人生の希望を手繰り寄せるようになってからは、空想の世界との行き来をしなくなる。
昨年読んだ本で、まさにその、ちゃんと生きていない女の話を書いたものがあった。ミランダ・ジュライの『最初の悪い男』(岸本佐知子訳 新潮クレスト・ブックス)と題されたその物語の主人公は、梨のような体型の、冴えないアラフォー独身女で、不可侵なアパートメントの一室で、掃除や片付けについて自分1人で完結できるシステムを築き、自分に負荷をかけない生活をしている。彼女はおかしな名前を持つ空想上の運命の相手を、すれ違う赤ん坊などに投影して遊び、また職場の上司の1人であるおじさんとも勝手にロマンスを空想しては遊んでいる。絶望しているようで、傷つきはしない。奇妙だけれども安全な生活。個人的には思いっきり思い当たる節がある。
しかし不可侵なはずの彼女の暮らす部屋に、半ば強制的に職場のボスの娘が居候にやってくるのだが、巨乳で足が臭い彼女はシステムのコントロールが全く効かないワイルドな存在で、安全で統率の取れていた部屋は一気にカオス状態になる上、主人公の言うことなど全く聞かずにしまいには取っ組み合いにもなる。コントロールされたシステムと、都合の良い空想に閉じられていた主人公の世界は急に荒波に晒される。そこに、彼女のセラピストや、新しく生まれてくる命や、愛や、肉体的な関係や、別れなどが重なっていって、物語はどんどん展開する。不可侵で閉じられていた分、悲しみの実態もなかった彼女の生活が、開かれて人と接触する分、悲しみの実態も獲得してしまう。閉じられた世界が開かれて愛を知るところで終わらないのが、とても現代的で残酷な気もするし、結構完結して安全に暮らしている者としては、開いて傷つくよりは閉じたままのがいいかも、という気にもなる。
大晦日に開いたインスタグラムでは、コロナ禍でも失われない希望や困難を乗り越えた先の人の逞しさを示唆するようなおしゃれアカウントたちがニューイヤーを祝福していたのだけど、ジュライの小説に重ねてみれば、パンデミックはある場合にはむしろ人の生活を閉じることで、悲しみや傷の実態から遠ざけていたような気もする。
インテリアや日曜大工の用品の売り上げが良かった昨年は、ひとまず外から断絶された自分らのシステムをより快適に、理想的に、不可侵に作り上げ、『愛の不時着』や『鬼滅の刃』などのフィクションに補完されながら、いつもよりずっと安全な生活を送ることだってできた。1人で暮らす部屋は自分のコントロールを免れることがなく、部屋で過ごす時間が長くなれば人は、米櫃に残った米の量まで把握して生活できる。どんな年より現実は残酷だったけれど、その分その現実から目を背けるシステムを構築しやすい環境だった。その間に外の世界は荒廃して、ドアを開けるとかつてより激しい荒波に飲まれるのだろうけど、つかのまのこの完結した生活領域を案外心地よく過ごすことはできた。
果たして、その自己完結した生活はちゃんと生きていないことになるのか、あるいはそれぞれが自己完結して生きていくくらいしかこの世界に解がないのか、わざわざ開かれていって喪失を知って傷つく必要なんてあるのか、小説で示唆されるくらいでは私にはよくわからない。ジュライもまた、人と愛の必然について、そう簡単に説教じみた結論など出してはくれていない。
でも少なくとも私の短い、しかし37年間くらいはある経験上、カオスな侵入者は、足の臭い巨乳の形をしていないまでも、時折訪れるし、訪れないまでも、自己完結した安全な世界を、人は飛び出したくなることがあると知っている。そこで手触りのある苦痛を経験して、再び閉じた世界に戻ることはあっても、どうしてか外に出る。別に、内側が、ちゃんと生きていないことになると決まっているわけではないのに。そういえば絶対に沼の中にとどまると思っていたプレシャスの母親も、一度はその外へ出ようとするのだった。
2度もの緊急事態宣言の中、一応政治的なメッセージに同意や異議を唱えるふりをしている人の中でも、実際は、閉じられた世界がもう少し延長されることに密かな高揚を持つ人がいて不思議ではないと個人的には思う。不謹慎でも、正しくなくとも、小さく完結した生活をわざわざお膳立てしてもらうのは、疲れた大人としては悪くないのだ。外は寒いし、人生のうち数カ月、人によっては数年くらい、世界と断絶していた方が気が楽ならそれはそれで良いとすら思う。ちゃんと生きていることにならなくとも、ちゃんと生きるためにそうしていると思えばいい。
愛の手触りを感じさせる小説の終盤を思い出して、2日ほど締め切っているドアを開こうかと思ったけれど、やはり外は寒いし、小説序盤の痺れる一節を引用して、もう少し完結したシステムを強化したいと思う。
わたしの時代は、女の子は怒りを感じてもそれを内側に向けて自分を傷つけ、あげくに鬱になったりしたものだけど、いまどきの女子はキーッとなって、すぐに誰かを壁に押しつける。はたしてどっちがマシなんだろう。女の子が自分で自分を傷つけていた昔と、罪のない無防備な他人が傷つくかわりに、女の子本人は平気な顔をしてる今と。
夜のオネエサン@文化系

夜のオネエサンが帰ってきた! 今度のオネエサンは文化系。映画やドラマ、本など、旬のエンタメを糸口に、半径1メートル圏内の恋愛・仕事話から人生の深淵まで、めくるめく文体で語り尽くします。
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