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礼はいらないよ

2020.11.12 更新 ツイート

昔は祭。今はクラブ。社会を脱ぎ捨て、個を取り戻し、個が溶け合うための場所 ダースレイダー

Photo by  ChristianLue  on Unsplash

コロナ禍、日本には様々な不思議が起こったのだが、やはり気になったのは「自粛」という言葉だ。言葉上はあくまで個人が自ら判断して粛む。自主的に発生する行動なのだが、これに対して行政が要請する事態が起きていた。日本の法律では欧州のような強制力を持ったロックダウンは出来ないから、という議論は当然出たがその場合もスウェーデンに近い方式は取れたはずだ。つまり、行政は様々なガイドラインを提示するが、あとは個々の判断に任せる、と。

 

ところが日本では自粛という言葉を使いながらも、従わない業種の店名を公表すると言ったり、他人の営業する店に張り紙をする自粛警察のような動きも見られた。自粛要請に従わなければ罰則という話が東京都議会で出る始末だ。粛むように行政だったり、周りが圧力をかける。ただ、言葉が自粛なため、時短営業だろうが休業だろうが外出を控えようが……自分で決めたんだからと責任や経済的負担は自己責任になる。

ライブハウスやクラブは早い段階で「夜の街」という謎ワードの括りと共に自粛が要請された業態だが、行政が補償するという発想は出てこなかった。様々な融資案がある! と主張されたが融資も当然、経営側が責任を負う性格のものだ。

そもそもその融資自体が大変使いづらいという別問題もあったわけだが、ライブハウスやクラブが自粛を要請され、補償もされない状況が国内的に大問題として議論されたか、と言えばそうとも言えない。ライブハウスやクラブなど行かないし、そんなもの無くても困らないという声も一定程度あった。

僕はかつて風営法改正のロビー活動を手伝っていたが、この時もクラブを規制する風営法を実態に合った形、世界標準に近い形に改めてもらうために政治家、警察、商店会、住民と行った様々な方々と話したが、同様の反応を良く聞いた。

夜は寝るもんだ、とかそんなに踊りたければ家で踊れば良い、治安に対しての不安がある等々。話し合いが難しかった記憶が蘇るが、原因は社会というものをどう理解するか? という前提が共有されていないからだと思う。前段で書いた自粛という言葉の異様な用法が受け入れられるのも、個人というものが何か? という前提が共有されていないからで、その個人が集まっているのが民主主義における社会だったはずなのだが。

ベルリンの世界一のクラブはなぜ撮影禁止を徹底するのか

ベルリンには世界一と呼ばれるクラブがある。ベルクハインだ。2004年に誕生、元は発電所でその構造がそのまま活かされたダンスフロアで爆音でテクノミュージックが鳴らされる。僕も3年前に遊びに行ったのだが大変な衝撃を受けた。まず、ベルリンで誰かと会話する時、クラブに行くと言うと必ずベルクハインに行ったか? と聞かれる。これは他の国から訪れた人への社交辞令のようなものだと思うが、必ず聞かれる。続けて、でも入れないかもよ! とニヤリとされるのだ。なかなか入れないクラブである、という話もよく聞くのだ。

さて、実際に行ってみるとクラブの前に長蛇の列が出来ている。日によっては3時間、4時間待ちもあるという。11月のベルリンはすでにかなり寒く、なるほどこれは厳しいな、とも思えた。並んでいると帰っていく人たちをよく見る。待ちくたびれたのかな? と思っていたが、列が入り口に近づくとそうではないことに気づく。ベルクハインでは入り口にドアマンがいて、この人物が客としてクラブに入れるかどうか? を決めているのだ。

入り口の前に着くと入って良いよ、君たちはダメ、と次々と捌いている。明文化されている訳ではないが、大人数のグループはまず入れない。これはクラブ内で自分たちだけで楽しんでしまうから、と言われている。クラブのバーカウンター前で誕生会を開いたり、同じグループで固まって行動したり。いわゆる”観光客”も入れない。服装は黒が好まれる、とも。ベルクハインには明確な基準があり、そこに抵触する人は客として迎え入れられない。その基準がドアマンに託されているのも面白い。

僕はラッパーのZEEBRAさんと一緒に行ったのだが二人とも中に入れてもらえた。中に入るとスマホのカメラ部分にシールを貼られる。ベルクハインの店内では撮影は一切禁止でネットに店内の模様を投稿することも禁止されている。店内はメタリックな鋼とコンクリートで造られていてメインフロアには巨大なスピーカー。爆音でテクノがかかり、多くの人がとにかく踊っている。上にはもう少し小さいフロアもあり、そうしたスペースを繋ぐ廊下や階段も入り組んでいて歩いてるだけでも楽しい。メインフロアは全面ガラス張りで踊り続けているとこの窓から太陽が差し込んでくる。これが圧倒的な美しさでもある。

ここまでベルクハインの話をしたのは、ベルリンで共有されている社会観がわかりやすく出ていると思うからだ。欧州では社会が多様性を担保することが求められている(近年はこれに対抗する排外主義の拡大も同時に懸念されているが)。年齢、性別、国籍、職業、出身……様々な観点から多様であることが出来るし、そうした多様な存在によって社会が回っている。個を重視し、その個が集まって社会を構成する。

ベルクハインで行われているのは何か? それはこの社会構成を前提として、それを「脱ぎ捨てる」場として機能しているのだ。グループ客や観光客が入れないのも社会を持ち込んでくるからだ。全身黒ずくめで、年齢、性別、国籍や職業を全て脱ぎ捨てて爆音のテクノミュージックのもとで溶け合っていく。個が前提の社会があるからこそ、そこから抜け出てグンニャリと鋼鉄のダンスフロアの中でミックスされる。ミニマムなビートが続き、そこに身体だけで反応している大勢のただの人。もちろん出会えば会話もするし、仲良くもなるだろう。でもそれは社会を脱ぎ捨てた状態で行われるのだ。

店内の撮影が禁止なのも社会(social)との接続を断つためだろう。そこに太陽が差し込んでくる……全身で生命を感じることが出来る。人々はクラブを後にする時に再び社会を身に纏い、それぞれの生活に戻っていく。ベルクハインほど徹底していなくてもベルリンにおけるクラブにはこうした機能が期待されている。個そして社会という前提があるから、それを脱ぎ捨てる場所としてのクラブの存在意義も共有されている。

ベルリンでは市の観光局がクラブを支援しているのだが、クラブやライブハウスといった場の機能を行政も理解しているからだろう。日本では社会が共有されていないからそこから抜け出す機能もまた理解されない。クラブでも名刺交換して社会丸出しの会社員を見かけることもあるだろう。もちろん日本では無礼講という祭の機能が本来はあったし、祭囃子でトランスしてきた過去もあった。これを今の時代に受け持っている場所がライブハウスやクラブだ、と僕は思っている。

溶け合い、そして離れていく。そんな社会はいつ実現するだろうか?

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礼はいらないよ

You are welcome.礼はいらないよ。この寛容さこそ、今求められる精神だ。パリ生まれ、東大中退、脳梗塞の合併症で失明。眼帯のラッパー、ダースレイダーが思考し、試行する、分断を超える作法。

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ダースレイダー ラッパー・トラックメイカー

1977年4⽉11⽇パリで⽣まれ、幼少期をロンドンで過ごす。東京⼤学に⼊学するも、浪⼈の時期に⽬覚めたラップ活動に傾倒し中退。2000年にMICADELICのメンバーとして本格デビューを果たし、注⽬を集める。⾃⾝のMCバトルの⼤会主催や講演の他に、⽇本のヒップホップでは初となるアーティスト主導のインディーズ・レーベルDa.Me.Recordsの設⽴など、若⼿ラッパーの育成にも尽⼒する。2010年6⽉、イベントのMCの間に脳梗塞で倒れ、さらに合併症で左⽬を失明するも、その後は眼帯をトレードマークに復帰。現在はThe Bassonsのボーカルの他、司会業や執筆業と様々な分野で活躍。著書に『『ダースレイダー自伝NO拘束』がある。

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