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月が綺麗ですね 綾の倫敦日記

2020.08.02 更新 ツイート

男性で黒人の英『ヴォーグ』編集長が8月号表紙にモデルを使わなかった理由鈴木綾

私はファッション誌をあまり買わないし、同世代の女性で買っている人をほとんど知らない。私たちにとって紙はインスタグラムに置き換えられた。

しかし、ネットで英『ヴォーグ』8月号のコンセプトを聞いて即買いに行った。

 

近所のスーパーに駆けつけて、雑誌を手にとった。表紙にモデルは一人もいなかった。そのかわりに、象徴的な「VOGUE」の字の下に心が穏やかになる景色が広がっていた。右下に「Reset」(元に戻す)と小さな字で書いてあった。それ以外他の文字、見出しはない。

コロナ禍がなかなか収まらない中で、英『ヴォーグ』のエドワード・エニンフル(Edward Enninful)編集長は決断した。8月号は自然の美しさを讃える、人間と地球の関係が元に戻れば(リセットできる)いいのに、という願いを込めてつくる、と。表紙はなんと14種類もある。すべては有名な写真家や画家が提供した、イギリスの景色を表したものだ。

エニンフル編集長が『ヴォーグ』の昔の考え方と決別して誌面づくりで注目を集めたのは今回が初めてではない。ガーナに生まれ下層階級の家庭で育ったエニンフルはイギリスのファション誌業界を牛耳っている上層階級白人女性と正反対。2017年に編集長に就任した彼は『ヴォーグ』の歴史上初の男性編集長であり初の黒人編集長でもあった。

彼は「ヴォーグ」らしい高級感を保ちながら多様なモデルを使って100年以上の歴史を持っている雑誌に新しい精神を吹き込んだ。初めて手がけた2017年12月号の表紙に、彼は黒人の父親と白人の母親を持つアジョワ・ アボアー(Adwoa Aboah)を起用した。2018年の9月号の表紙を飾ったのは歌手のリーアナ。夏休み明けの9月はいつも新しい流行が発表されるので、世の中の人にとって9月号は一年中で最も大事な号だ。

エニンフルの前任者、アレクサンドラ・シュールマン(Alexandra Shulman)の時代、編集スタッフに黒人は1人もいなかった。彼女の任期中、12年間で表紙を飾った黒人モデルは一人もいなかった。

ファッション業界は意外と保守的で多様な「美」に不寛容な業界だ。そんな中で「多様な美」を意識的に取り上げ業界を変えてきたエニンフルはそのことだけでも十分すごい存在だけど、8月号を見ると、彼の考えは単なる「多様性の実現」に止まっていないことがよくわかる。

 

彼は多様性のもっと先、「普遍性」(universality)を目指しているのだ。

「Covid-19で強いられた混沌の中にいたこの数ヶ月で、自然が私たちの生活にもたらしてくれる「安定」は、私たちの大きなテーマになった」とエニンフル編集長は「編集長からの手紙」で説明している。「世界は、『以前の日常』への回帰を急ぐ前に、以前の私たちの生活が自然にどんな影響を与えていたのかを考えるべきだと思う」

平たくいうと、新型コロナのせいで外にいけなくなったことで、自然が私たちにもたらしてくれている「価値」を多くの人が理解した。ロンドンは他の大都市と比べると比較的に巨大な公園が多くて、外出制限の間自然が近くにあったことが多くの市民にとって救いになった。エニンフルのいうように、みんなが戻りたがってる「今までの日常」というのがいかに自然に負荷をかけていたのかを思い知るのに良いきっかけになった。

だけど、8月号の凄さはそれだけではない。8月号を読むと、ファッション雑誌の未来の姿が見えてくるからすごい。

まず、時間の問題がある。月に一回しか出ない雑誌はどのようにしてインスタグラムのような媒体、常に情報がアップデートされている媒体と競争すればいいのか? 答えは、瞬間瞬間の展開にフォーカスするんじゃなくて、より大きなストーリーを語ることだ。日々の流行じゃなくて、時代精神を把握して発信すること。それこそがファッション雑誌の使命だ。8月号のテーマはまさにそう。「Reset」はファッション業界だけのキイワードじゃない。6月、有力経済団体「世界経済フォーラム」は、これからの経済活動について「The Great Reset」が必要だと呼び掛けた

次に、紙という媒体そのものの問題。ネット時代の紙媒体の役割は何なのか。消費者にわざわざ買ってもらうためには、買う側にそれなりのインセンティブがなければならない。エニンフルにいわせると、それは雑誌のアート性だ。インスタグラムと違って、「ヴォーグ」に載る絵には美術としての価値がある。実際、8月号の表紙を飾った14枚の絵は近く競売で売られることになっている。

日本の雑誌業界と同様、イギリスの雑誌業界も長年売り上げが落ち続けていて厳しい状況にある。しかし、エニンフルが「ヴォーグ」の舵をとるようになってから、僅かながらだが売り上げが上向きになった

日本のファッション雑誌の編集者にも、彼の挑戦から見習えることは多いと思う。

14種類の表紙

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イギリスに住む30代女性が向き合う社会の矛盾と現実。そして幸福について。

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鈴木綾

1988年生まれ。6年間東京で外資企業に勤務し、MBAを取得。現在はロンドンの投資会社に勤務。2017〜2018年までハフポスト・ジャパンに「これでいいの20代」を連載。日常生活の中で感じている幸せ、悩みや違和感について日々エッセイを執筆。日本語で書いているけど、日本人ではない。

 

 

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