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プロ野球激闘史

2020.07.18 公開 ツイート

大谷翔平 二刀流復活を阻むケガ体質と肉体改造 広岡達朗

広岡達朗さんの新刊『プロ野球激闘史』は、巨人現役時代のライバル、西武・ヤクルト監督時代の教え子から次世代のスター候補まで、27人を語り尽くした“広岡版・日本プロ野球史”。「サインを覚えなかった天才・長嶋」「川上監督・森との確執」「天敵・江夏の弱点とは?」――セ・パ両リーグ日本一の名監督による、知られざるエピソードが満載です。

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投打の基点・ヒジとヒザ

右腕投手として右ヒジと左ヒザは全力投球のとき大きな負担がかかる「基点」であり、球威の原点といえる。また左ヒザは、左打ちにとっては投球を待つテークバックと打球を打ちにいくインパクトの際、打撃にとって一番大事な軸(重心)を支える基点でもある。

エンゼルスも、専属の医療チームとコーチ陣が細心の注意を払って球数制限など投打の調整スケジュールを組んでいるが、二刀流への復活はマスコミやファンが期待するほど甘い道のりではない。

大谷の“ケガ体質”は、いまに始まったことではない。高校時代は2011年、2年生のとき、夏の練習試合で座骨関節の骨端線を損傷。日本ハムでは16年の日本シリーズで右足首を痛めて17年10月に手術した。17年4月には走塁中に左太ももの肉離れでも約3か月戦列を離れている。そして18年はあの右ヒジ靭帯損傷で大手術を受けた。19年の左ヒザで、3年連続の手術である。

そもそも私は、大谷が2017年11月に「ポスティングシステムを使って米大リーグをめざす」と発表したときから、渡米と二刀流に反対してきた。大谷には身長193センチの恵まれた体があり、最速165キロを投げる日本球界の至宝だからだ。

大谷は2016年、日本ハムで投打に活躍してリーグ優勝に貢献したのに、規定投球回・規定打席ともに届かず無冠だった。日本人では誰も投げられなかった165キロの速球を投げ、将来は400勝投手・金田正一と並ぶかもしれない大器が、二刀流で中途半端な成績に終わるのは「才能の無駄遣い」と思った。

これらの主張は当時、「幻冬舎plus」の連載で書き、著書『日本野球よ、それは間違っている!』にも書いた。そしてこの本では、「二刀流はメジャーで通用しない」「故障続きの大谷はMLBで生き残れるか」「二刀流を封印して下半身を鍛え直せ」といったことも書いている。

いうまでもなく、才能と人柄に恵まれた大谷が憎くて批判しているのではない。日本球界が生んだ100年に1人の逸材が大成するために、「こうすればもっとよくなる」と願って書いた忠告である。

肉体改造は間違っている

早いもので、大谷が大リーグへ行って3年目を迎えた。新人王に選ばれるなど華やかな活躍の半面、ケガや手術と闘ってきた波瀾万丈の2年間だった。2020年はヒジのトミー・ジョン手術から1年半のリハビリを終え、5月には投打二刀流が復活する予定だったが、大谷の前途は洋々とはいえないようだ。

復活のシーズンを迎えた大谷が日米のメディアとファンを驚かせたのは、筋骨隆々の肥大化した上半身だった。

アリゾナ州テンピのスプリングキャンプで野手組と合流して3日後の2月19日。ノースリーブのシャツで練習後の取材に応じた大谷は、丸太のような二の腕で肩が丸々と盛り上がっていた。

ポパイのように変身した大谷には賛否両論がある。「二刀流復活のメドは5月中旬」と宣言したエップラーGMは、「より体の厚みを増すことは、(2018年に)手術した右肘へのストレス軽減になると信じている。同時に、動きの滑らかさや可動域は損なわれることなく、グラウンドでのパフォーマンス向上に直結するはずだ」(「エンゼルス大谷翔平“スーパー二刀流”も視野」中日スポーツ、2020年2月27日)と喜んだ。

400勝投手・金田の左腕は柔らかかった

しかしそうだろうか。2019年10月、86歳で亡くなった400勝投手・金田正一に続く逸材だと大谷に期待している私は、すぐ金田のことを思い出した。金田は国鉄のエースとして、巨人の現役時代の私と対戦してきたし、1965(昭和40)年に巨人に移籍してからはチームメイトとしてともに戦った。

印象的だったのは、金田がよく走っていたことだ。そして登板がないときは、試合前の練習後、裸で入念なマッサージを受けていた。その体は色が白く、肩も腕も餅のように柔らかかった。

184センチの長身から投げ下ろすフォームは全身を使ってゆったりとしなやかで、1958(昭和33)年の開幕戦で巨人の新人・長嶋茂雄を4打席4三振に討ち取ったときも、全力投球には見えなかった。

あらためていうまでもなく、体が大きな投手ほど下半身にかかる負担が大きい。

金田は生前の講演で、「投手は下半身をコンクリートで固めて投げているようなもの。逆に両足をそろえて力いっぱい投げたらフラフラして腕を骨折する」と語っていた。彼がいいたかったのは、「走って走って下半身を鍛えなければ、速い球は投げられない」ということだ。

そして金田があれだけの成績を残せたのは、下半身を鍛え上げて上下のバランスがよかったからだ。

大谷も193センチの巨体のわりには体が柔らかく、全身がしなるようなオーバースローだからこそ、日本ハム時代、日本最速の165キロを出すことができた。ただ金田と違うのは、下半身のケガが多い体質ということだ。この体質が、ヒジの手術につながった可能性は否定できない。

上半身の筋力強化でバランスが崩れる

私がいつもいうように、筋肉には柔らかくて細い筋肉と太くて強い筋肉がある。瞬発力が必要な野球選手には前者の細い筋肉が適し、分厚い胸板や太い首が必要なプロレスラーには硬くて太い筋肉が適している。

45歳まで大リーグの一線で活躍したイチローも、一時はパワーをつける筋力強化のトレーニングをしていたが、自分のバッティングになじまないことに気づいてやめたという。

大谷の選択とトレーニングが正しかったかどうかは、マウンドに復帰後、手術前のようなしなやかな投球ができるかどうかでわかる。結果がよければ結構だが、そうはならないだろう。バランスが悪いからだ。

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広岡達朗『プロ野球激闘史』

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セ・パ両リーグで日本一監督となった球界の伝説・広岡達朗氏が、84歳になってようやくわかった「野球の神髄」をまとめた、野球人生の集大成的な一冊。 新監督、大リーグから賭博事件、元選手の薬物逮捕といった近年の球界を取り巻く問題まで舌鋒鋭く斬り込んだ、日本プロ野球への「愛の鞭」が綴られている。

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広岡達朗

1932年、広島県呉市生まれ。早稲田大学教育学部卒業。学生野球全盛時代に早大の名ショートとして活躍。54年、巨人に入団。1年目から正遊撃手を務め、打率.314で新人王とベストナインに輝いた。引退後は評論家活動を経て、広島とヤクルトでコーチを務めた。監督としてヤクルトと西武で日本シリーズに優勝し、セ・パ両リーグで日本一を達成。指導者としての手腕が高く評価された。92年、野球殿堂入り。『動じない。』(王貞治氏・藤平信一氏との共著)、『巨人への遺言』『中村天風 悲運に心悩ますな』『日本野球よ、それは間違っている!』『言わなきゃいけないプロ野球の大問題』(すべて幻冬舎)など著書多数。新刊『プロ野球激闘史』(幻冬舎)が好評発売中。

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