
完全にではなかったにせよ店の扉を閉ざして一カ月、その扉をまた開くことにした。休業中はカフェを配送の作業所にしていたので、床には段ボールや紙の切れ端が散乱し、テーブルには宅急便の伝票が積み上げられていたが、今後は人の目に触れるため隅々まで掃き掃除をして、最後に床を水拭きした。
人はどのような状況にも慣れるものである。この間注文をいただいた人には申し訳ないが、片付いた店内を見まわしてみると、よくこんな雑然としたなかで作業していたなと我ながら感心した。紙の切れ端はごみ箱に捨てられもうすぐ誰の目にも触れられなくなるだろうが、こうしたひと月のことも、店が開いてしまえばなかったかのように次第に忘れられてしまうのだろうか。
休みのあいだ希望する人には店内で本を見てもらっていたが、ある日しばらく店内にいた男性からこんなふうに話しかけられた。
本棚を眺めているだけで、なんだか落ち着いた気持ちになってきますね。
そうだね。わたしはずっとそこにいるからそれがあたりまえのように思っていたけど、そもそも本が静かに並んでいる光景自体に人を鎮める力がある。モモがたどり着いた時間の国のように、本屋には日常から切り離された循環した時間が流れているが、いまはその時間が特に身に沁みるのだろう。その男性はとても自然な表情をしていたから、こうした本のある空間は広く開かれるべきものであることを、あらためて思い知らされた。
店を再び開くことに関しては、うれしさよりも怖さのほうが強かった。まだ早いのではないかという心配はぬぐいきれるものではなく、店をいま開くことに人の理解が得られるのかどうかもわからなかった。街に店を開くという行為がこれほどまでに責任があることだとは想像もしなかったが、普段意識していないだけでその責任は毎日そこにあるのだろう。まったくこの騒ぎで、普段は見えていないものが次々と見えてくるようになる。よいこともそうでないことも、分け隔てなく。
店を開けると休業前と同じように人がきて、同じような本が売れていった。人で溢れてしまうのではないかと心配していたが、それは買いかぶりというもので、店の実力以上の人は来ないものだとよくわかった。雑誌や文庫本などWEBSHOPには出しておらず、このひと月ほとんど売れていなかったものが売れていくのを見るのはうれしいことだった。
しばらくまだ時間がかかりそうですね。このところ誰かれともなくつかまえてはそう話したり、メールの最後に書き添えたりしているが、それは失われた「熱量」のことについて話しているつもりだ。これまでTitleに来店した人は心置きなく本棚やギャラリーに飾られた作品を眺め、カフェでゆっくりと時間を過ごしていた。客との会話がはずむこともあるし、月に何回か行っていたトークイベントでは場が深まっていくことも実感できた。
本屋の熱量とはそのように、静かなまま一滴ずつ水が滴り落ちるように満ちていくものである。それが失われてしまったいま、また少しずつその熱量を貯めていかないといけないのだが、それはやはりマスクを着けたビニールカーテン越しの会話ではうまくいかない。たとえそれが、いまは必要なことだとわかっていても。
今回のおすすめ本
『おにぎりをつくる』文・高山なおみ 写真・長野陽一 ブロンズ新社
親子一緒に手を動かして、同じおにぎりをつくる。それだけで通じる深いこともある。いま手に取ってほしい写真絵本。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。