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芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか

2019.12.21 公開 ツイート

芥川賞候補だった『風の歌を聴け』…当時の選評から見えてくるもの 市川真人

ノーベル文学賞の候補として、毎年のように名前が挙がる村上春樹さん。まさに日本を代表する小説家ですが、じつは「芥川賞」を受賞していないことをご存じでしょうか? 一体なぜなのか、その謎に迫ったのが、文芸評論家・市川真人さんの『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』です。選考会で何があったのか? そもそも「芥川賞」とは何なのか? スリリングな本書の一部を抜粋してご紹介します。

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『風の歌を聴け』への評価は?

当時の芥川賞選考委員は、井上靖・遠藤周作・大江健三郎・開高健・瀧井孝作・中村光夫・丹羽文雄・丸谷才一・安岡章太郎・吉行淳之介の十名。村上春樹をデビューさせた「群像新人文学賞」の選考委員、丸谷才一と吉行淳之介の名前が見えます。

(写真:iStock.com/NiseriN)

今日では太宰治賞の小川洋子などごく一部ですが、彼らのほかにも安岡章太郎は「新潮新人賞」の選考委員を務め、開高健と遠藤周作もこの年の前後には公募新人賞の選考にあたっていますから、彼らはムシキングのカードよろしく、自分たちの送り出した新人をそれぞれ携えて芥川賞選考会場を訪れ、ときに応援者として振る舞いもする──そんな時代でした。自分たちが送り出した『風の歌を聴け』について、丸谷・吉行両名は芥川賞選評でこう書いています。

「村上春樹さんの『風の歌を聴け』は、アメリカ小説の影響を受けながら自分の個性を示さうとしてゐます。もしこれが単なる模倣なら、文章の流れ方がこんなふうに淀みのない調子ではゆかないでせう。それに、作品の柄がわりあひ大きいやうに思ふ」(丸谷才一)

「しいてといわれれば、村上春樹氏のもので、これが群像新人賞に当選したとき、私は選者の一人であった。しかし、芥川賞というのは新人をもみくちゃにする賞で、それでもかまわないと送り出してもよいだけの力は、この作品にはない。この作品の持味は素材が十年間の醱酵の上に立っているところで、もう一作読まないと、心細い」(吉行淳之介)

ところが、十人の選考委員のうち、『風の歌を聴け』の名前を挙げて選評で触れたのは彼らふたりを含めても四人だけでした。

そもそもが短い選評中での、授賞しなかった作品への言及ですから、選考会での議論のごく一部しか反映されなくて当然なのですが、受賞作となった重兼芳子『やまあいの煙』に対して丸谷才一が書いた「あと味の悪さを捨てようとした結果、苦りのきいてゐない小説を書くことになつたのでせう。そのことをわたしはいささか残念に思ひますが、しかしこの作に見られる優しさはやはり嬉しい」や、青野聰『愚者の夜』をめぐって吉行淳之介が漏らした「どこか未知数の魅力がないとはいえない。しかし、もう一作、読んでみたかった」などの評価と比較して、どちらがどう勝って/劣っているのか、いま読むと微妙によくわかりません。

どれか傑出した作品があって一瞬で決まりでもしない限り、『風の歌を聴け』に授賞しなかったことには、右のふたりが書いているよりも、もうちょっと具体的な理由があるはずです。選考内容が公開されず、状況証拠から探るほかないその秘密を、私たちはもう少し追ってゆくことにします。

否定的だった2人の作家

村上春樹のデビュー作、『風の歌を聴け』に芥川賞が授賞しなかった理由はなんだったか。彼の味方であったはずのふたりの選考委員のコメントはとりあえず右の通りですから、残るは八人の動向です。

(写真:iStock.com/BrianAJackson)

選評で触れたのは、あと二名。「小説の神様」と呼ばれた志賀直哉の弟子で、第一回芥川賞から半世紀近く選考委員を務めた瀧井孝作という御年八十五歳の老作家と、「狐狸庵先生」のあだ名で親しまれ、この前年に『キリストの誕生』という作品を発表した遠藤周作です。

二人の選評を読んでみましょう。前者は「村上春樹氏の『風の歌を聴け』は(……)外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作だが(……)ところどころ薄くて、吉野紙の漉きムラのようなうすく透いてみえるところがあった。しかし、異色のある作家のようで、私は長い眼で見たい」。

後者は「村上氏の作品は憎いほど計算した小説である(……)氏が小説のなかからすべての意味をとり去る現在流行の手法がうまければうまいほど私には「本当にそんなに簡単に意味をとっていいのか」という気持にならざるをえなかった」。

瀧井さんには、「長い眼」ってアンタいつまで生きるつもりだい、しかも一九七九年に「バタくさい」って、とツッこみたくなりますし、遠藤さんのいかにもクリスチャンらしい敬虔さには、ニーチェが「神は死んだ」と口にしてからもう百年だよ、と耳打ちしたくなりますが、それはともかく、ふたりはそんなに全否定、というニュアンスでもなし。とりあえず「懐疑的」あるいは「否定的」としたところで、どうもあんまりすっきりしません。

作品に対して積極的・好意的な評価が二名(吉行淳之介は授賞には明確に反対していますが)、否定的・懐疑的な評価が二名として、ちかごろ始まった裁判員制度であれば量刑の決定には全員一致が求められるわけですが、芥川賞の場合はどうなのでしょう。

関連書籍

市川真人『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』

『1Q84』にもその名が登場する日本でもっとも有名な新人文学賞・芥川賞が、今や世界的作家となった村上春樹に授賞しなかったのはなぜなのか。一九七九年『風の歌を聴け』、八〇年『一九七三年のピンボール』で候補になったものの、その評価は「外国翻訳小説の読み過ぎ」など散々な有様。群像新人文学賞を春樹に与えた吉行淳之介も、芥川賞では「もう一作読まないと、心細い」と弱腰の姿勢を見せている。いったい選考会で何があったのか。そもそも芥川賞とは何なのか。気鋭の文芸評論家が描き出す日本の文学の内実と未来。

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芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか

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市川真人

1971年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部文芸専修卒業後、百貨店勤務を経て、近畿大学大学院文芸学研究科日本文学専攻創作・批評コース修了。現職として、雑誌「早稲田文学」プランナー/ディレクター、早稲田大学文化構想学部ほか兼任講師、TBS系情報番組「王様のブランチ」ブック・コメンテーターなど。

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