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ゆりかごに聞く

2019.05.25 更新 ツイート

#2 父が生きていた?…家族の愛をめぐる感動のミステリーまさきとしか

新聞社で働く柳宝子は、虐待を理由に、娘を元夫に奪われていた。ある日、21年前に死んだはずの父親が変死体で発見される。宝子は父の秘密を追うことになるが、やがてそれは家族の知られざる過去につながる。一方、事件を追う刑事の黄川田は、自分の娘が妻の不貞の子ではないかと疑っていた……。『完璧な母親』などの作品で根強いファンを持つ、まさきとしかの最新作『ゆりかごに聞く』。その発売を記念して、一部を公開します。

*   *   *

(写真:iStock.com/Poike)

宝子はインスタントコーヒーを入れてから、改めて新聞に目を通した。

〈八王子男性殺害 交際中の女性を事情聴取〉の見出しをもう一度目でなぞり、記事を読む。

一週間ほど前に起きた事件だ。八王子市に住む二十五歳の男が、駐車場で何者かに殺された。当初の報道では遺体の一部を切断した跡があったとしか伝えられなかったが、その後、週刊誌によって性器が切断されていることが明らかになった。「現代の阿部定事件」「猟奇的殺人」とワイドショーが騒ぎ立て、犯人は女だという流れになっていた。

以前の宝子なら、世間から注目されているこういう事件を追いたいと思っただろう。もともと事件記者になりたくて、就職先に新聞社を選んだ。社会部への異動願いを出したこともあったが、三十三歳になったいまでは自分が社会部に行きたいのかどうかわからない。

八時になるのを待ってから、浩人の携帯に電話をした。しばらく呼出音が続き、「はい」と聞こえたのは女の声だった。うろたえた宝子は「あの」と言葉をつまらせた。

「はい」

再び聞こえた声に、未知子だと気づく。浩人の母親、かつて宝子の姑だった人だ。どうして浩人の携帯に未知子が出るのだろう。

「あの、おはようございます。宝子です」

「おはようございます」

距離をおいた声音が返ってきた。

「あの、浩人さんは?」

「いま手が離せないみたい。なにか用事があれば、伝えておきますよ」

「あ、いえ」と答え、宝子は唾をのむ。

なんて聞けばいいのだろう。浩人に聞くつもりだった「愛里に変わりはない?」という言葉しか用意していなかった。

結局、ほかの言葉を見つけられず、そのままを口にする。

「愛里に変わりはありませんか?」

「ないですよ」

続く言葉を待ったが、それきりなにも言ってくれない。

「あの、元気でしょうか」

「ええ」

すぐに会話が途切れた。

未知子は会話をする気がないのだと宝子は悟った。それどころか、電話をよこしたことを迷惑に思っている。

あからさまな態度に、次の言葉を見つけられず、「よろしくお願いします」と言って通話を終えた。返事はなかった。

未知子と話したのは二年ぶりくらいだ。もともとはっきりした性格ではあったが、嫁姑の関係だったころは、こんなふうに片手で追い払うような口ぶりをしたことはなかった。

私はこんなに嫌われ、疎まれているのか。

戸惑いと疎外感、少し遅れて鈍い痛みが広がった。

──自分のことだけ考えればいいじゃない。あなた、そういう性格なんだから。

かつて言われた言葉を思い出す。

あれは、浩人との別居が決まったときだっただろうか。それとも、離婚したときだっただろうか。仕事を辞めず、東京に残ることを決めた宝子に、未知子は突き放すようにそう言った。

夢の断片がまぶたの裏でちらつく。

泣き疲れ、痛々しく横たわる愛里。それを無表情に眺めるまなざし。

夢のなかの愛里が幼かったことに気づく。三、四歳ではなかったか。まだ母親を必要とし、必死に求め、すがりつこうとしていたころだ。

宝子は、小学三年生になったいまの愛里を思い浮かべた。最後に会ったのは二ヵ月前、愛里は夏休み中だった。水色のチェックのワンピースを着ていた。髪を肩まで垂らし、さくらんぼのヘアピンをしていた。タルタルソースをたっぷりつけたエビフライにかじりつく口もとを見て、ますます浩人に似てきた、と静かに思ったのを覚えている。

いつだっていまの愛里を思い浮かべることはできる。それでも、とっさに愛里を思うとき、頭に浮かぶのは三、四歳の愛里だった。

宝子は深呼吸をし、軽く頭を振った。

愛里が元気でいることがわかってよかった。そう自分に言い聞かせ、夢の名残と電話の余韻を振り払おうとした。

(写真:iStock.com/gyro)

九時をまわったばかりの文化部は、寝起きのようにぼんやりしている。

始業時間は九時三十分だが、時間前に出社する社員はほとんどいない。

いまも宝子のほかには、デスクの勝木とフリーライターが打ち合わせをしているだけだ。打ち合わせじゃなく、ただの雑談かもしれない。笑い声の合間から「立ち飲み」「ガード下」「ちりとり鍋」といった朝には不似合いな単語が聞き取れた。

勝木が誰よりも早く出社し、誰よりも早く退社するのは、早く酒を飲みに行きたいからだ。典型的なメタボ体型で、俺の腹は脂肪じゃなくて酒樽だ、と豪語している。そのせいか、定年まであと二年の彼は出世コースからはずれている。

メールをチェックしていると、「おい、柳」と勝木から声がかかり、宝子は「はい」と首を伸ばした。

「蒲生君、柳の隠れファンなんだってよ」

パソコンのモニタ越しに、こちらに顔を向けている勝木とフリーライターの蒲生が見えた。

「ちがいますよ」蒲生が笑う。「著者訪問のファンなんです」

著者訪問は隔週のコーナーで、宝子を含めた三人の文化部記者の持ちまわり制になっている。

「でも、柳さんの記事は好きです。ノンフィクション作家を取り上げることが多いですよね」

「言っとくけど、俺だってデスクになる前は担当してたんだぞ」

勝木が割って入る。

「そうなんですか。どのくらい前ですか?」

「ものすごーく前だよ」

そう言って勝木は笑った。

電話が鳴り、勝木が先に受話器を取る。「おい、おまえに」と、宝子を見た。

「あ、はい。すみません」

受話器に手を伸ばした宝子に、「受付から。警察から柳に電話だってよ」と勝木は続けた。

「警察?」

心臓が跳ね、今朝の夢がよみがえる。愛里になにかあったのではないか。宝子は急いで受話器を取った。

受話器を耳に当ててすぐ、たちの悪いいたずら電話だと思った。けれど、ただのいたずらでこんな電話をかけてくる意味がわからない。こちらからかけ直すと告げ、相手の電話番号を聞いた。電話を切ってからその番号を検索すると、ほんとうに警察のものだった。茨城県の水戸警察署。

「どうした?」

勝木から声がかかる。

「あ、いえ」

いつのまにか宝子は立ち上がっていた。

「いえ、って顔じゃないだろ」

宝子はパソコンのモニタから視線を剥がした。が、どこに目を向ければいいのかわからない。

父が、と声にしたら、薄笑いが混じった。「父が死んだそうです」と言ったときには、おかしくもないのに笑っていた。

「なんだって? 笑ってる場合じゃないだろう」

「ちがうんです」宝子はようやく勝木に目を向けた。「父はとっくに亡くなってるんです。私が小学六年生のときに」

「ああ、そうか。じゃあなんかのまちがいだな」

「でも、変なんです。指紋が一致したって言うんですよね」

「指紋?」

「私の父、若いころ逮捕されたことがあったみたいで。映画を撮るために友達と深夜のスーパーに忍び込んで、ボヤ騒ぎを起こしたらしいんです。それで建造物侵入で書類送検されて。そのときの指紋と変死体の指紋が一致したって」

「変死体?」

勝木がぎょっとする。

「でも、そんなわけないですよね」

「いいから早く電話して詳しいこと聞いてみろよ」

「はい」と答えたが、この場で電話することに抵抗があった。「ちょっと席はずします」

携帯を手に廊下へ出た。ひとりになれる場所を探し、フロア奥にある階段を下りた。

鼓動が速い。背中が汗ばんでいる。どうしてだろう、まちがいに決まっているのに。

「柳」

声をかけられるまで、階段を上ってくる人に気づかなかった。社会部にいるふたつ上の先輩記者だ。

「おまえんとこの柴本って女、阿部定と同じ中学だったってほんとか?」

「え?」

なにを聞かれたのか理解できず、無防備な声が出た。

「八王子の、事情聴取された女。チンチン切断した女だよ。そいつと柴本が同じ中学だったって噂だけど、ほんとか?」

「いえ」

宝子は首をかしげた。

「ちがうのか?」

「柴本さん、今日は直行なのでまだ出社してません」

「なんだよー」先輩記者はのけぞった。「ったくのん気でいいよな、文化部はよ」

そう吐き捨て、Uターンして階段を駆け下りていった。

宝子は階段を二段下り、踊り場に立った。無意識のうちに胸の深いところから息をついていた。左手に携帯、右手に電話番号をメモした紙。どちらの手も力が入りすぎて震えていた。

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ゆりかごに聞く

新聞社で働く柳宝子は、虐待を理由に、娘を元夫に奪われていた。ある日、21年前に死んだはずの父親が変死体で発見される。宝子は父の秘密を追うことになるが、やがてそれは家族の知られざる過去につながる。一方、事件を追う刑事の黄川田は、自分の娘が妻の不貞の子ではないかと疑っていた……。『完璧な母親』などの作品で根強いファンを持つ、まさきとしかの最新作『ゆりかごに聞く』。その発売を記念して、一部を公開します。

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まさきとしか

1965年、東京生まれ、札幌育ち。2007年、「散る咲く巡る」で第41回北海道新聞文学賞を受賞。文庫『完璧な母親』が話題に。その他の著書に、『いちばん悲しい』『玉瀬家、休業中。』『ある女の証明』『ゆりかごに聞く』など多数。

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