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東京二十三区女

2019.04.17 更新

あなたの知らない東京二十三区

大開発中の渋谷の地下には”葬られた川”が今も流れている長江俊和

東京オリンピック・パラリンピックに向けて、東京各地で開発が行われています。中でも渋谷区の駅前は、「渋谷スクランブルスクエア」の建設で大わらわ。JR渋谷駅直上に高さ約230mの超高層ビルを中心とした巨大複合施設が今秋開業ということで、目まぐるしいスピードで開発が進んでいます。そんな渋谷区に、かつて「春の小川」で歌われた美しい川があったことはご存知でしょうか? 渋谷橋、参宮橋、観音橋……考えてみれば、「橋」の地名が多い渋谷区。橋はもとより、もともとあった川はどこに行ったのか、と言いますと、開発とともに「暗渠化」したということなのです。「暗渠」という言葉ご存知でしたでしょうか? 渋谷区、そして渋谷区の暗渠の謎を追うミステリ『東京二十三区女』より「渋谷区の女」の試し読みで、お楽しみください。

 *   *   *

 

渋谷区

千代田区、中央区、港区、新宿区と並ぶ都心五区の一つ。

 渋谷駅周辺は新宿、池袋とともに三大副都心と称され、大規模な商業地域が広がっている。原宿、代官山、恵比寿には、若者向けの飲食店やファッション産業が集まり、流行の発信地としての側面を持つ。

 明治神宮や代々木公園など広大な面積の緑地も有し、松濤や代々木上原などの高級住宅街も存在する。

きよ

 

 

 天井から滴り落ちてくる水の音が、奇妙に反響している。

 むせ返るような臭いだ。無骨なコンクリートの壁面が連なり、その先は闇に包まれている。

 懐中電灯を正面に向ける。地面にはれきが散乱し、その間を縫うように、水が流れていた。水の流れはちょろちょろと、ゴム長の靴底がわずかに浸る程度である。

 だが油断してはいけない。インターネットの情報によると、突如として大量の水が流れ込んでくることもあるらしい。特に大雨の時などは、用心が必要だという。壁面をよく見ると、水面のかなり上まで濡れていた。ここまで水かさが上がっていたことのあかしである。

 台風シーズンは終わり、ここのところ天候は安定している。今日の天気予報も、降水確率は〇パーセントだった。この中に入る前も、空には雲一つなかった。雨が降ることはなさそうだ。だが、初めて来た場所だ。何が起こるか分からない。

 工藤はじめは、それなりに装備を施して、この暗闇の中に身を投じていた。上下に分かれたレインウェア、ゴム手袋にゴム長。白いナイロン製の衛生マスク。光量の強い工事用の懐中電灯も購入した。

 腕時計に目をやる。時刻は午前七時三十五分を示している。

 進行方向を照らしながら、慎重に進んで行った。視界の先には、灰色のコンクリートに囲まれた空間が続いている。天井には頑丈な梁があり、数メートルおきに連なっている。両側の護岸の壁は汚れがしみ出ていて、至るところに動物の糞が付着していた。

 密閉された空間──

 水の流れに逆らう形で、川の中を進んで行った。入った時と比べると、少し水量が増しているような気がする。水面にライトを向けると、小魚たちが一斉に逃げて行った。水質は思ったより悪くないようだ。

 川の水は澄んでいたが、臭いはひどかった。周囲には、水の腐ったような下水特有の臭気が充満している。マスクをしていても、悪臭が鼻をついた。早くここを出て地上に戻りたいと思ったが、そういう訳にもいかなかった。

 しばらく、薄汚れたコンクリートに囲まれた川の流れの中を、上流に向かって歩き続ける。

 なぜ、平凡なサラリーマンでいる自分が、こんな場所にいるのだろうか? このような事態になるなんて、思いも寄らなかった。だが、行かなければならなかった。肇にはどうしても、先に進まなければならぬ理由があったのだ。

 ふと立ち止まった。

 天井から、光の筋が差し込んでいる。一箇所ではなかった。数メートルおきに、幾筋もの細い光の線が、暗黒の水面に差していた。

 あの光の筋は何なんだろう。

 肇はゆっくりと、光の方に向かって進んで行った。

 

 

観音橋

 

 

 まるで、何かに吸い寄せられているみたいだ。

『観音橋』という交差点で立ち止まり、原田璃々子は思った。

 JR中央本線のしなまち駅で降りて、神宮外苑を抜けてここまで歩いてきた。渋谷区の路上。外苑西通り、国立競技場前の道。目の前では、四年後に開催される東京オリンピックに向けて、国立競技場の大規模な解体工事が行われていた。その国立競技場のすぐ斜め前に、『観音橋』という交差点はあった。

 交差点の一画で、璃々子は精神を集中させた。一切の雑念を断ち切って、気配がする方へと意識を研ぎ澄ます。身体が自然と動き出した。そのまま、外苑西通りを進み、青山方向へと歩き出す。

 外苑西通りとは、都心を南北に走る都道である。新宿から青山、麻布を抜けて広尾、しろかねだいまで続いている。

 九月も半ばを過ぎていた。秋晴れの空。風が心地よかった。

 デニムのジャケットにカーゴパンツ、大きな黒いトートバッグを肩にかけた璃々子。同じ年頃の二十代の女性と比べると、地味な雰囲気は否めない。腰のあたりまで伸びた長い髪を揺らし、外苑西通りを進んで行く。

「今日はどこへ行く。またオカルトごっこか」

 後ろから、呆れた声で先輩が話しかけてくる。先輩の名は、島野仁。璃々子の大学時代の先輩である。

「もう君もいい歳なんだから、いい加減オカルトとか心霊とか卒業して、もっと地に足ついた記事を書いたらどうなんだ」

「オカルトとか心霊とかに、年齢は関係ないと思いますけど」

 先輩は背が高く、髪の毛もさらっとしている。肌も白い。服装はいつもパリッとした縦縞のシャツにスラックスである。ダサいという訳でもなく、清潔感もあるのだが、なぜか、ちょっと勿体ない感じがする外見なのだ。口が悪く、性格も最悪なので、女性にモテたという経験は皆無である。

「先輩も、お忙しいようなので、わざわざご足労頂かなくてもよかったのに」

「そんなに忙しくはない。時間はあり余るほどあるからな」

 得意げな顔でキメる先輩。ヒマなことなど自慢にならないのに。やはり先輩は、どこかずれている。

「言っただろ。君の信じている、幽霊だとかお化けだとか、人智の及ばぬものなど、存在しないということを、証明してみせるって」

「ああ、そうでした。よろしくお願いします」

 別に璃々子だって、好き好んでやっているわけではない。できれば霊的なものとは関わり合いにならずに、楽しく生きていきたいのだが、そうもいかない事情があった。

 外苑西通りの歩道を、南下して歩く。しばらく行くと、信号のある交差点にさしかかった。信号には、『せん寿じゆいん』と表示されている。

 交差点の手前で立ち止まると、ふと右側に視線を送った。外苑西通りと交差する原宿方向へ抜ける道に、トンネルが見えた。入り口には、鬱蒼と生い茂ったつたが垂れ下がっている。

 交差点を渡り、トンネルに向かって歩く。後ろから先輩の声がする。

「やはり君の目的地はここだったのか」

「知ってるんですか。このトンネルのこと」

「千駄ヶ谷トンネルだろ。怪奇サイトやオカルト本では必ず登場する、都内でも有名な心霊スポットだ。千駄ヶ谷トンネルとは定番中の定番だな」

「先輩も、嫌いな割には詳しいんですね」

 トンネルの入り口にたどり着いた。

 六十メートルほどの短いトンネルである。車道は中央を柱で区切られ、片側二車線ずつあるが、歩道側の車線はタクシーやトラックなどの駐車車輛で埋まっている。トンネルの中は、昼間でも薄暗い。天井に設置されたオレンジ色の照明が、より一層不気味さを漂わせていた。

 千駄ヶ谷トンネル。ここは、数多くの心霊現象が目撃されたという場所である。情報によると、天井にぶら下がった逆さまの幽霊が現れたり、トンネルの壁から手が伸びてきて腕をつかまれたりするという。

 ゆっくりと、トンネルの内部に向かって歩いて行く。天井のコンクリートは変色し、入り口から伸びている蔦が絡み合っている。噂にあるような気味悪いしみも、ところどころに浮き出ていた。確かに、逆さ吊りの霊が現れたり、壁から手が出てきそうな雰囲気はある。

 トンネルの中ほどで立ち止まった。速度を上げて、数台の車が通り抜けて行く。東京の中心部だけあって、交通量は多い。

「このトンネルが開通したのは、昭和三十九年。東京オリンピックの年だ。この上には、仙寿院という寺があり、寺の墓地の下をぶち抜く形で建設された。まがまがしい怪奇現象の噂が流布したのも、そういった背景があるからだろう」

 先輩の解説が始まった。そんじょそこらの検索サイトより、全然役に立つ。大変ありがたい。璃々子は心の中で手を合わせる。

「仙寿院は、徳川御三家の一つ、紀伊徳川家の菩提寺だった寺だ。江戸の頃は、このあたりはのどかな田園地帯だった。仙寿院には、壮大な庭園が作られ、江戸名所の一つに数えられるほどの美しい場所だったらしい」

「どうして仙寿院の下に、この千駄ヶ谷トンネルが作られることになったんですか」

「そんなことも知らないで、ここに来たのか」

「もともと、このトンネルに来るつもりじゃありませんでしたから」

 役に立つのだが、一言多いのが玉にきずである。

「昭和三十四年、オリンピック開催が決まった。東京の街は急ピッチで改造を要され、都内各所で一万箇所もの土地が掘り返されたんだ。特に国立競技場があるこの一帯は、集中的に工事が入った場所だ。当時、最寄りの原宿駅と国立競技場を一本で結ぶ道路はなかった。そこで、その間に位置する仙寿院の墓地に、道路を通そうということになった」

 さすが先輩である。そういったことの知識は、人一倍凄い。

「だが大きな問題があった。墓地の中に道路を通すにも、たくさんの遺骨が眠る土地を切り開く訳にはいかない。とはいえ、墓地を全部移転させていては、到底オリンピックには間に合わない。そこで、墓地の下にトンネルを作り、道路を通してしまおう、ということになった」

「墓地の真下にトンネルを掘るなんて、ちょっと気味悪いですね」

「だから、まことしやかな噂が流れるようになったんだ。この天井の上には、無数のご先祖様の遺骨が埋葬されているのだからね。そういったご先祖様の霊魂に対して、申し訳ないという無意識下にある罪悪感が、ありもしない心霊現象を流布させているのだと思うよ」

「あれ、今ご先祖様の霊魂って言いませんでした? 先輩は、そういうこと信じてないんじゃなかったでしたっけ?」

「別に僕が、霊魂の存在を信じている訳ではない。昔の人が、そう信じていたという事実について言及したまでだ。霊魂の実在は認めないが、そういったものを信じたいという人間の心は本当だからね」

 先輩と霊の実在について議論することは不毛であり、時間の無駄であることは分かっていた。なぜなら、璃々子は先輩が圧倒的に間違っていることを知っているからだ。

 璃々子は、小さく深呼吸すると、視線の先に目を凝らした。薄暗いトンネルの内部を見つめる。精神を統一させて、感性を震わせる。

 トンネルの中で、しばらく立ちすくんでいた。だが突然きびすを返すと、璃々子はトンネルに背を向けて歩き出した。

「どうした」

「どうやら、ここではないようです。私の目的地は」

 

 トンネルを出て、再び外苑西通りに戻った。青山方向に進んで行く。しばらく歩くと、道はゆるやかな上り坂になってきた。緑の木立が続き、しようしやなビルが建ち並んでいる。

 外苑西通りを右に曲がり、住宅街の路地に入っていった。ゆるやかに蛇行している、住宅街の中の小道。豪華な邸宅やマンションが建ち並んでいる。人通りはほとんどない。そのまま、南西の方角へと進む。

「次は、どこへ行くつもりだ」

 先輩が後ろから声をかけてくる。

「さあ、私にも分かりません」

 本当に、自分自身どこに向かっているのか全く予想できなかった。

 璃々子には、あまり人には言えない能力があった。彼女は、感じ取ることができるのだ。生きている者以外の存在を。

 常に感じるという訳ではない。だが突然、身体中の感覚が研ぎ澄まされ、彼らの存在を知覚することがある。それは、空気だったり匂いだったり、目に見えないもののことが多いのだが、時として明確な形で現れることもあった。

 今日も、渋谷区の路上を歩いている途中、強烈な感覚に全身が支配された。それは、今まで感じたことのないほどの強い波動であった。そして、引き寄せられるように、ここまでやって来たのだ。とにかく、強い気配がする方向に舵を取り、進み続けた。

 住宅街の路地を歩いて行く。瀟洒な邸宅やマンションが建ち並ぶ中に、板塀の古い木造家屋も残されている。しばらく進むと、道端に古ぼけた石柱を見つけた。蛇行している路地の途中に、ぽつんと立っている石柱。腰ぐらいまでの高さで、風化した石の表面には『原宿橋』と刻まれていた。

「このあたりはもう、原宿なんですね」

『原宿橋』からしばらく歩くと、道は下り坂になっていった。さらに進んで行くと、古民家風のカフェや古着のショップなどの小洒落た店が現れてくる。人通りも増えてきた。いわゆる、裏原宿というエリアである。

 通行人の中には、古着を着こなし、紫やピンクなど個性的な髪の色をした若者の姿が目立つ。いわゆる裏原系といった人種である。

「およそオカルトとは、縁遠い場所を歩いているようだが」

「そのようですね」

「本当に、どこに向かっているんだ。付き合わされるこっちの身にもなってみろ」

「だから、別にご足労頂かなくても、大丈夫ですから」

 目に見えない力に導かれ、裏原宿の路地を進んで行く。

 時折、璃々子はこの能力を恐ろしく思うことがある。こんな能力さえなければ、人生はどれほど幸福なものになるだろうか。そう思い、常々自分の運命を呪っていた。

 物心ついた頃から璃々子は、自分には他の人にはない能力があることを認識していた。そのお陰で、彼女のこれまでの人生は散々なものだったと言える。

 璃々子には、友人と呼べる人間がほとんどいない。誰かと話していても、その人物に憑いている、穏やかではない者の存在を察知し、彼女を悩ませるのだ。なんとか忠告してあげたいと思うのだが、そのことを話すと、確実に気味悪がられる。目に見えない存在など無視して付き合えばいいのだが、そんな器用ではない。よって、その人とは疎遠となってしまう。

 今まで、まともな恋愛もしたことがない。何度か付き合ったことはあったが、その男性に取り憑いている不穏な存在を知覚すると、平常心ではいられなくなる。だから、交際が続いたためしがない。大学を出た後、出版社に就職したのだが、すぐに辞めてしまった。職場にいても、そのことが障害になって、仕事が手につかなかったからだ。何度か会社を変わったが長続きしなかった。だから、先輩のように『幽霊などいない』などと、吞気に言っている人間が本気でうらやましい。霊的な存在を感じる能力がなくなれば、どんな楽しい人生が待っているのだろうか?

 璃々子の願いは、「一刻も早く、自分の特殊能力を消してしまいたい」ということだけなのだ。同世代の女子みたいに、人並みの恋愛をして青春時代を楽しみたい。自分で言うのも何だが、そんなにイケてないことはない、と思う。いや、そう思いたい。胸も大きくはないけど、顔は悪い方じゃない、と思う。きっと、多分。とにかく素敵な男性と結ばれ、幸せな結婚がしたい。優しい夫と、可愛い子供と楽しく過ごしたい。何はともあれ、普通の女の子になりたい。

 でもその目的を叶えるためには、自分に降りかかっている、〝ある大きな問題〟を解決しなければならなかった。璃々子にまとわりついている、洒落にならない恐ろしい事態。そこから解放されるために、こうして東京都内の曰くつきの場所をまわっているのだ。

 そして今、彼女を引き寄せている強烈な波動。渋谷区に足を踏み入れた途端に感知した恐ろしい気配。もしかしたら、たどり着けるかもしれない。璃々子がこの東京で探し求めている場所に……。その可能性はあった。

 そのまま裏原宿の路地を進んで行くと、表参道の通りに出た。

 中央分離帯がある片側三車線の道路は渋滞しており、右に行くと明治神宮、左は青山通りの表参道交差点だ。

 道路沿いには、高級ブランド店やブティックなどオシャレ系の店がずらっと建ち並んでいる。歩道は、若い男女を中心に、修学旅行生や外国人観光客などで溢れかえっており、女性ものの香水の匂いがたちこめていた。

 大勢の人が行き交っている、表参道の歩道の方に歩み出す。雑踏の中、精神を研ぎ澄ました。璃々子を導く気配がするのは、右の明治神宮でも左の青山通りでもない。やはり正面の、南西の方角からである。表参道を隔てた、対面の通りから気配は漂ってくる。

 表参道を渡るため、人混みをかき分け、正面の歩道橋の方へ向かった。その時である。璃々子は歩道の手前で立ち止まった。

「ここにも、石柱がありますね」

 表参道の歩道の片隅にも石柱があった。原宿の路地にあったものと同じような、腰までの高さの石柱である。東京の最先端の街並みの中に立つ、古ぼけた石柱。表面には、『参道橋』と刻銘されていた。

 先輩は石柱を覗き込むと、興味深く呟いた。

「なるほど……『参道橋』か」

「参道橋?」

「そうだ。この石柱は参道橋と言って……」

 突然、先輩はあっと息を吞んだ。

「……そうか、そういうことか」

「え、どうしたんですか」

 先輩は、璃々子を真顔で見る。

「分かったぞ、君が何を考えているのか」

「え、私ですか……」

 切れ長の目を、冷ややかに向けると、先輩が言う。

「そうだ。僕を試そうとしているのかもしれないが、残念ながら全てお見通しだ」

「試そうって、別に何も……」

 璃々子がそう言うと、先輩は歩道橋に向かって歩き出した。仕方なくその後を追う。

 歩道橋で道路を渡り、対面の通りに入った。通りにはアパレル系のショップやオープンカフェのような店舗が建ち並んでいる。キャットストリートという名称のファッション街である。わずかにカーブを描きながら、続いている道。大勢の最先端のファッションに身を包んだ若者たちが行き交っている。道の真ん中に車道があるが、車は走行していない。この先をずっと進んで行くと、渋谷の駅のあたりにたどり着く。

「それで」

 ぼそっとそう言うと、先輩は立ち止まりこちらを振り向いた。

「そろそろ話してもらおうか。今回の企画について」

「……企画ですか?」

 先輩は、こっちに近寄ってくる。

「君にしては、よく考えた。とても面白いと思う」

「はあ?」

 長身の身体を屈めて、璃々子の顔をじっと覗き込んだ。

「さあ隠してないで、早く言いなさい。今回の企画の趣旨とやらを」

「それが……企画なんかないんですけど。私はただ、強い気配を感じたんで、その気配がする方に向かって歩いて来ただけで」

「本当か」

「はい」

「本当に君は、何も考えずにこの道を歩いて来たのか」

「別に、何も考えてない訳じゃないですけど」

「信じられない……」

 璃々子から視線を外すと、先輩は宙を見上げた。

「どういうことですか」

「気がつかなかったのか。神宮外苑からここまでのルートには、大きな意味があったことを」

「大きな意味ですか」

 璃々子は狐につままれたような気分になった。本当に、何か意図があった訳じゃなかった。ただ、強い気配がする方に導かれ、歩いて来ただけである。珍しく先輩は興奮した口調で、璃々子に問いかけた。

「これまで歩いて来た場所を思い出してみろ」

「えーと、神宮外苑から観音橋に出て、千駄ヶ谷トンネル、原宿橋、裏原宿、表参道に参道橋……」

「ほら、どこかおかしいと思わないか」

「え、何がです?」

「何か違和感はなかったか」

「違和感ですか……」

 璃々子は考えた。だが、先輩の言っている意味が分からなかった。

「まだ、分からないのか」

「はい。全く分かりませんけど」

「仕方ない」

 そう言うと先輩は歩き出した。璃々子も慌てて後を追う。少し歩くと、先輩は立ち止まり、通りの一画を指し示した。

「見てみろ。あの石柱になんて書いてあるのか」

 歩道の脇に、花が植えられたコンクリートの台座があった。その中心には、また古ぼけた石柱が鎮座している。石柱の表面には『おんでんばし』と刻まれている。

「穏田橋? ここにも橋の石柱がありますね」

「そうだ。観音橋に原宿橋、参道橋。そしてこの穏田橋。今まで、我々が歩いてきたルートには、橋とつく場所がいくつもあっただろ」

「あ、確かに」

「でも、川は見えたか?」

「え、川ですか? そう言えば……」

 先輩の言う通りだった。今まで歩いてきたルートに、川らしきものは見かけなかった。

「川は見ていません」

「そうだろ。でも川はあったんだ」

「どういうことです」

「僕たちが歩いて来たルートには、常に川があったんだ。そして、今も我々のすぐ傍を川は流れている」

「え」

 慌てて、璃々子は周囲を見渡した。しかし、川らしきものは一切見当たらない。

「このあたりに、川なんかありませんけど」

あんきよだよ」

「あんきょ?」

「暗渠とは、地中に埋没させた河川や水路のことだ。川は我々の足の下を流れているんだ」

 そう言うと、先輩は地面を指さした。

「本来流れていた川に、アスファルトで蓋をして、地上から隠したのが暗渠だ。この東京の地下には、暗渠が至るところに流れている。たった今、君が歩いてきたコースは、奇しくも地下を流れている渋谷川という暗渠の上をなぞっていたんだ」

「そうか……。だから、橋と名のつく石柱が至るところにあったんですね」

「かつて川は地上を流れていて、そこにいくつも橋が架けられていた。だが川が暗渠化されると、橋はお役御免となる。だから、この『穏田橋』のように、モニュメントとして橋の欄干に立っていた親柱だけが残されているという訳だ」

「なるほど。ということは、私は地下に流れている渋谷川に沿って、歩いてきたということですか」

「その通りだ。今もこの地面の真下には、暗渠と化した川が流れている」

 知らなかった。暗渠という言葉を耳にしたことはあったが、暗い洞窟のようなものだろうと思っていた。都市開発で川を地中に埋没させたということも、聞いたことはあった。だが普段よく訪れる原宿や表参道などの地下にも、川が隠されていたとは……。

 そして自分は今日、何かにいざなわれ、暗渠と化した川の上を歩いている。それは、一体何を意味するのだろうか。

「このキャットストリートは通称で、正式名称は旧渋谷川遊歩道と言う。つまり、この道は、暗渠化した渋谷川の上にできた通りなんだ。そのことを踏まえ、通りを眺めて見ると、ほら……」

 そう言うと先輩は、ショップやブティックが並んでいる通りを指さした。

「見えてこないか。川の流れが」

 ゆるやかに蛇行している通り。言われてみると、確かに川の流れにように見える。

「この一帯、江戸時代までは穏田村と呼ばれる農村地帯だった。その頃の様子を描いた、葛飾北斎の富嶽三十六景には、渋谷川に架かる穏田の水車が描かれている」

「原宿に、水車があったんですか」

 目前に広がる、原宿のファッション街。かつては田園地帯に豊かな川が流れ水車があった。その風景は、今では全く想像できない。

 気がつくと、璃々子の足が自然と動き出していた。

 ゆっくりと、キャットストリートを進んで行く。渋谷川の暗渠の上を……。

 今まで感じたことのない強烈な気配に引き寄せられ、歩き続ける璃々子。彼女を導くものの正体は何なのか。

 自分は一体、どこに向かって行くのだろうか。

(つづきは文庫本で)

ドラマ「東京二十三区女」も毎週金曜日深夜0時からWOWOWにて好評放送中です。

長江俊和『東京二十三区女 あの女は誰?』

「東京の隠された怪異」の取材で二十三区の都市伝説の現場を巡るライターの原田璃々子。霊を信じない先輩・島野と取材を続けるが 起こるのは奇妙なことばかり。"池袋の女"のポルターガイスト伝説、東向島の"迷路"に消えた小説家、願いを叶える「立石様」の奇跡……。そして「将門の首塚」の取材中、璃々子は二十三区最大の禁忌に触れ――。

長江俊和『東京二十三区女』

ライターの原田璃々子は、二十三区のルポを書くため、いわくつきの場所を巡っていた。自殺の名所と呼ばれる団地、怨念渦巻く縁切り神社、心霊写真が撮れた埋立地、事故が多発する刑場跡……。後ろ暗い東京の噂を取材する璃々子だったが、本当の目的は、同行する民俗学講師・島野の秘密を探ることだった。心霊より人の心が怖い、裏東京散歩ミステリ。

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長江俊和

1966年大阪府生まれ。映像作家、小説家。深夜番組「放送禁止」シリーズは多くの熱狂的なファンを生み出し、映画化もされた。著書に、『ゴーストシステム』(角川ホラー文庫)、『放送禁止』(角川学芸出版)。『出版禁止』が話題に。

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