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ペンギン鉄道なくしもの係

2018.12.10 更新

#1 電車の中にまさかペンギン?――前向きに生きる後押しをくれるハートウォーミング小説名取佐和子

 電車での忘れ物を保管する、通称・なくしもの係。そこにいるのはイケメン駅員となぜかペンギン。不思議なコンビに驚きつつも、訪れた人はなくしものとともに、自分の中に眠る忘れかけていた大事な気持ちを発見していく――。
 第5回「エキナカ書店大賞」第1位に輝いた、『ペンギン鉄道なくしもの係』。駅のなかの本屋さんが選んだ、「いちばんオススメの文庫本」です。今回は特別に、本書の冒頭を少しだけみなさんに公開します。

私のなくしもの

 いーち、にー、さーん、しー、ごー、……とゆっくり十まで数えてから、笹生響子は文庫本から目をあげた。

「やっぱり、いる」

 思わず口に出してつぶやいてしまう。

iStock.com/fieldwork

 クーラーがほどよく効いた電車の中は空いており、響子が座った緑色のロングシートにもだいぶ間隔をあけて他に二人しか座っていなかった。高校生の男子はイヤホンをつけて携帯ゲーム機のボタンを連打し、響子と同い年くらいの三十代の女性は地方デパートのロゴが入った紙袋を脇に抱えて船を漕いでいる。どちらの耳にも響子の声は届かなかったようだ。

 ホッとするのと少し残念な気持ちが入りまじる。他の乗客ともこの驚きを分かち合いたかったのだ。というか、一人では抱えきれない衝撃があったのだ。

 響子は文庫本を目の下まで持ち上げ、もう一度、自分から一番近いドアの左脇を見た。

 一羽のペンギンがいる。間違いない。マボロシではない。確実にいる。

 ペンギンはオレンジ色のくちばしをドアに向けて、ポール状の手すりにはつかまらず──そもそも『つかむ』ことはできそうにないのだが──仁王立ちしていた。

 車窓を眺めているのだろうか? ペンギンの真っ黒い目は一点を見つめたまま動かず、表情も変わらない。

 響子は文庫本で顔半分を隠したまま車内をすばやく見回した。残念ながら、ペンギンに目を留めている者は誰もいない。いや待て、一人だけいた。優先席に座った銀髪の老人がこの上なく微笑ましいって顔でペンギンを眺めている。だけど、それだけだ。響子のようにあわてふためくわけでも、無粋にツイートしたり写真を撮ったりするわけでもなく、ただ日常の一コマとして扱っている余裕が感じられた。

 何これ? ペンギン特別列車か何かに乗ってしまったのか? 響子は混乱する。大学時代からの友人、美知の新居に招かれたことで初めて利用した路線なので、勝手がわからない。

 そのうち一人で興奮しているのが恥ずかしくなり、響子はそっと文庫本をおろした。シートの背にもたれて息をつき、上体をひねって窓の外を見る。電車はいつのまにか停車しており、ホームの柱に取り付けられた駅名のプレートが見えた。そこが自分の乗り換え駅だと響子が気づくのと、電車の発車ベル代わりの音楽が鳴り出すのは同時だった。響子ははっきり覚えている。

 だから、ペンギンのせいなのだ。

 あの日、電車内でペンギンを見かけるなんて非日常な出来事と遭遇しなければ、私はあわてふためいて降車することもなかったし、あわてなければ、大事なバッグを電車のシートに置き忘れるなんて大失態をしでかさずにすんだ。はずだ。絶対。

 響子は責任をペンギンになすりつけつつも、深く後悔していた。

「落ち着いて、響子。今、調べてあげるから。えーと、何駅で乗り換えたんだっけ?」

 電話口から美知のやわらかい声が響く。響子はあの時プレートに書かれていた駅名を口にしながら、急速に頭が醒めていくのを感じていた。

 美知とは大学時代からの付き合いだ。泣いたり怒ったり酔い潰れたり、感情をむきだしにして取り乱すのは、いつだって美知の方だった。響子は常に冷静な聞き役だと思われていたし、自分でもそれを誇っていたふしがある。いくら向こうからタイミングよく電話がかかってきたとはいえ、まさか美知に「電車に忘れ物しちゃった。どうしよう?」と泣きつき「落ち着いて」となだめられる日が来ようとは、と恥ずかしくなった。いけない。態勢を立て直さねば。

 響子は1LDKの部屋に散らばったストッキングや紙袋をぐるりと見回しながら、早口で言う。

「そっか。そっか。ネットで調べれば簡単だよね。私、自分でやるわ」

「いいから、待ってて」と遮り、美知がしばらく沈黙する。やがて「わかったよ」と軽やかな声で、響子が利用した路線の『遺失物保管所』という堅そうな窓口の電話番号を教えてくれた。響子は手近なところに転がっていた一昨日の新聞の余白にあわてて書き取る。

「ごめんね、夕方の忙しい時間に。栞ちゃん、お腹空いちゃうね」

「今日は保育園でお菓子をたくさん食べてきたみたいだから、大丈夫」

 美知は鷹揚に笑う。こんな笑い方ができるようになったんだ、と響子は驚いた。学生時代はかわいらしい反面あぶなっかしくもあった美知だが、大学卒業後、看護学校に入り直して看護師の資格を取った。結婚して、子供を産んだ後も、時間を調整しながら看護師の仕事をつづけているという。年相応の成熟とたくましさを着々と手に入れていく友人の姿に、響子はただただ恐れ入る。と同時に、自分の変化のなさを痛感し、無意識にため息をついていたらしい。電話の向こうの美知が同情を含んだ小声になった。

「心配でため息が出ちゃう? よほど大事なバッグだったのね。お財布とかカードとか入ってた?」

「あ、う、うん。まあ、そんなトコ」

「そっかあ。なんか申し訳ないね。私の家に来てもらった帰りに、そんなことになっちゃって。土日だったら、パパに車で送らせたんだけど」

 響子の胸がチクリと痛んだ。シフト勤務の特性を活かしてわざわざ平日の休みに美知の新居にうかがったのは、その『パパ』に会いたくなかったからだ。

「立花先輩の家族サービスデーを潰しちゃ悪いと思ってさ」

「えー。あの人、娘サービスはいいけど、妻サービスはイマイチだもん」

 電話の向こうで美知がぷうっとむくれる気配がした。幸せそうだ。「またまたぁ」と響子は笑ってみせ、早口でまとめに入る。

「今日は久しぶりに美知と喋れて嬉しかったよ。それに、忘れ物は私の個人的なミス。電話をくれた美知まで巻き込んじゃって悪かったわ」

「いいよ、そんなこと。たまには私も響子の役に立ちたいよ」と照れる美知の後ろで、小さな女の子の「ママ」という声がした。

「あ、栞ちゃんが呼んでない? 電話切るね。窓口の電話番号を調べてくれてありがとう。さっそく問い合わせてみる」

 よし、立て直したぞ。響子は満足して電話を切った。

iStock.com/Eugeneonline

 電話のコールを十八回まで数え、二十回待って出なかったらあきらめようと思った矢先、ガチャリと受話器を取り上げる音がした。

「大変お待たせしました。大和北旅客鉄道波浜線遺失物保管所、守保です」

 若い男性の声だ。ウィスパーボイスとまでは言わないが、余計な力のこもっていないやさしい声だった。舌を噛みそうな長い部署名と名前を流れるように言った後、こちらの第一声を待っている気配が伝わってくる。

 響子は待たされたイライラをぶつけないよう声音を作って名乗り、事情を説明した。守保という男性職員は特に相槌を打つわけではなかったが、熱心に耳を傾けてくれている様子だ。響子のイライラはたちまちおさまり、電話の向こうの守保に頼る気持ちすら芽生えてきた。

 守保は響子の説明がすべて終わるのを待ってから、ようやく口をひらく。

「笹生さんがお忘れ物をしたのは、本日の夕方四時頃。東川浪線深瀬駅から乗車。油盥駅で乗り換えのため降車。その際、真ん中あたりの車両のシートの上に、黒のメッセンジャーバッグをお忘れになった。これで間違いありませんか?」

「はい。あ、メッセンジャーバッグはPCを持ち運ぶ用に作られたやつで、中にパッドが付いています」

「パッド? それは衝撃吸収材的な?」

「ええ。的な、です」

「わかりました」

 サラサラと何か書き取る音がして、ふたたび守保のやわらかい声が響く。

「ちなみに笹生さん、バッグの中身は何でしょう?」

「え」と響子は言葉に詰まった。プライベートな品ですと突っぱねたいところだが、下手に情報を出し渋ったせいで見つからないのでは困る。

 この妙に親しみやすい職員を信じてみよう。響子は覚悟を決めて、小さく息を吸い込んだ。

「骨壺です」

 ああ、言ってしまった、と頭を抱えたくなる。相手の反応が気になってスマホを耳に押し当てた。守保は特に驚いた様子もなく、むしろ慣れた調子で穏やかに聞いてくる。

「大きさはどのくらいでしょう? メッセンジャーバッグに入るなら、四寸くらい?」

「寸? 寸はわからないんですけど、骨壺自体の高さは十五センチくらいです。ただ、それを包んでいる銀色の骨袋の高さが二十五センチくらいあるかな」

「なるほど。その骨壺の中には笹生さんの……?」

「猫が入っています」

 響子は思わず力を込めて言ってしまった。名前はフクです、と心の中だけで付け足す。

 守保は飄々とした口調で「少々お待ちください」と告げて、電話口を離れる。

 その間に、響子は背伸びをして上体を左右にひねった。よく考えたら、帰ってきてから荷物を置いてストッキングを脱ぎ捨てただけで、まだ一度も腰をおろしていない。珍しくヒールの高い靴を履いた足裏の土踏まずのあたりに鈍い痛みを感じた。レースのカーテン越しに見える空は茜色だ。ずいぶん日の長くなった夏の太陽もようやく沈もうとしているらしい。ぽたりと顎の先から汗がしたたり、クーラーをつけ忘れていたことに気づいた。

 気づいたとたん、汗がどっとふき出てくる。外出のため一日中窓を閉め切っていたのだ。熱がこもり、室内の気温は相当高くなっているだろう。暑い。猛烈に暑い。クーラーつけたい。リモコンはどこだ? と探している間に、守保が電話口に戻ってきてしまった。リモコン探しはいったん諦める。

「もしもし。笹生さんのなくしもの、黒のメッセンジャーバッグは江高駅の方で拾われていましたよ」

 思わずガッツポーズをとった響子だが、「ですが」とつづく守保の怪訝そうな声を聞いてスマホを持ち直した。

(続く)


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ペンギン鉄道なくしもの係

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名取佐和子

兵庫県生まれ。明治大学卒業後、ゲーム会社でRPG制作に携わる。退社後、フリーライターとして、ゲームやドラマCDのシナリオを手がける。

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