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臨終医のないしょ話

2017.08.06 公開 ツイート

第4回

孤独なおばあちゃんを救うことになったある医師の講演 志賀貢 / 医学博士

誰もが避けられない”臨終“の間際、人は実に不可思議な現象に遭遇する――これまで数千人を看取った医師が、そんな臨終にまつわる奇譚と、50年の臨床経験から導き出した幸せに逝く方法を赤裸々に明かしたエッセイ――『臨終医のないしょ話』(志賀貢著)

自分で自分の命を粗末にしないこと。本日は、そんなことばを忠実に守ったおばあちゃんのお話しです。

 桜が散り始めた4月の初旬でした。

 そのはらはらと散っていく桜の花びらが路面を白く染めていく光景を見ていると、これから夏に向かって病棟の仕事も大変になるな、と思うようになるものです。

 桜をゆっくり愛めでる暇は我々には無縁のものですが、桜が散ると次にやってくる入梅から暑い夏にかけて患者の容態が安定しないことが多くなることを、経験的に知っているからなのです。

 夜の7時ごろでした。

「先生、大変です。玄関先で女性の方が倒れています」

 見回りをしていた坂下看護主任が、私が当直している院長室に息を切らしながら飛び込んできました。

「急患?」

「ええ、顔を覗き込んだのですが、何も言いません」

「でもうちは救急病院じゃないから、対応は難しいよね。すぐ他の病院を紹介したほうがいいんじゃないだろうか」

「ええ、私もそう思って話しかけてみるんですが、まったく何も答えないのです。ひょっとしたら脳梗塞か何かで倒れたんじゃないでしょうか」

「それは大変だ。とにかく見てみよう」

 すぐナースステーションにも連絡を取ると、師長や他のスタッフが飛んできました。

 そして、

「おばあちゃん、どこが痛いの?」

「…………」

「頭? それとも胃の辺り? それともどこかで転んだの?」

「…………」

 何を聞いてもその女性は答えようとしません。しかし、みんなが取り囲んでいる中でうずくまっている彼女の様子を見ていると、それほど差し迫った状態とも思えませんでした。

「おばあちゃん、お名前は?」

「…………」

「お年はおいくつなんですか?」

「…………」

「地元の方? それともどこか遠くから来たんですか?」

 まったく師長の質問に答えないのだから、お手上げです。

「ひょっとして記憶喪失なのかしらね?」

 と師長と主任は顔を見合わせています。

「いやぁ、うちは救急病院じゃないからどうしたものかな。他の病院に移したほうが賢明じゃないだろうか。一見すると、緊急処置が必要な様子には見えないけど、それでも大きな病気が隠されている場合もあるからね。救急車を呼ぼうか」

 と私が首をかしげながら、患者の様子を覗き込んでいると、

「とにかく玄関先じゃどうにもなりませんから、診察室に運びましょうか」

 と師長が言いました。

 そして彼女は診察室に運び込まれましたが、相変わらず何もしゃべりません。

「それじゃ胸部のレントゲンと心電図だけはすぐ調べよう。それに脱水を起こしているようだから、少し補液をしたほうがいいかもしれない」

「わかりました」

 坂下主任がすぐ検査や処置の支度をするために駆け出していきました。

行き倒れのときの手続きはこうして行われる

 いくら聞いても名前や年だけではなく、現住所や本籍など一切わかりませんでした。

 その日は役所に連絡をすることもできず、翌日の朝9時になるのを待って、八はつ海かい事務長のほうから行政に連絡をすると、保護課の人がすぐにやってきました。

 しかし同じように老人は何一つしゃべりません。役所の人もお手上げという顔をしています。

 しかしこうした記憶喪失に陥っている患者さんの場合には、まったく打つ手がないというわけでもないのです。

 入院するためにはいずれにしても社会保険を使うことになりますから、名前や年、それに現住所がわからないと手続きができません。

 そこで仮の名前をつけることになります。

 彼女の名前は、「道行花子」と決まりました。年は76歳、現住所はここの診療所、本籍不明ということで、保険は生活保護に加入することになったのです。

 これで彼女はしばらく入院できることになりました。1週間ほどかけて検査をしましたが、血圧正常、脈拍正常、血液検査正常、尿検査正常、と何から何まで正常です。

 入院させはしましたが、とくにこれといった治療の必要はまったくありません。

 私と師長はこれから先、どう対応していいものかと悩むことになりました。

 食事は自分で食べ、歩行することにも何ら問題はなく、ベッド上に寝ていることも逆に彼女にとっては苦痛のようでした。

「やはりうちには長く置かないほうがいいんじゃないかな。どこか施設に入ってもらって、ゆっくりと療養したほうがいいと思うのだけど、もう一度保護課の人を呼んでみようか」

 私が浮かぬ顔で腕を組むと、

「でも一番他の病院が引き受けるのを嫌がるケースです。治療の必要がまったくないのですから。引き受けたがらないと思います」

 自分の当直の夜に入院した患者だけに、坂下主任も気になるようでした。

「一応当たってみますけど、転院させる自信はありません」

 彼女はそう言って、道行さんの様子を見に病室へ入っていきました。

 それからひと月ほど経ったころでしょうか。

 東日本で地震がありました。横浜も少しその影響で揺れが続きましたが、大したことはなく入院患者も落ち着いています。

「ここは震度3くらいでしたけど、茨城の辺りは4以上あったみたいですね」

 と回診をしている私に師長が話しかけていると、すぐそばのベッドで横になっていた道行さんの顔が急に暗い表情に変わりました。

「おや?」

 それを横目で見ていた私ははっとさせられるものがありました。

「ひょっとして彼女、茨城の辺りの出身だろうか。そして地震のニュースを聞いて何か不安になったのかもしれない。待てよ。記憶喪失は仮病?」

「師長、ちょっと」

 と目で合図をしながらナースステーションに二人が戻ると、

「やっぱりね。私も彼女の記憶喪失は変だと思っていたんです。あれはわざと物忘れを装っているんですよ」

 と目をしばたたかせました。

 そのことがあってから、病棟スタッフの彼女を見る目が変わりました。

 なんとかして彼女の名前や本籍を突き止めようと、みんなが一生懸命に彼女に話しかける努力をしました。

行き倒れを救うことになったある医師の講演

 ある夜、師長が当直の日でした。

「おばあちゃん、道行花子なんて嫌な名前でしょう。本当の名前言ってしまいましょうよ。本当の名前はもっとちゃんとした名前なんでしょう。お年も言っちゃいましょうよ」

 その問いに、彼女はややしばらく目を閉じていましたが、さすがにこれ以上は噓はつけない、と覚悟を決めたのでしょう。やがて眼をぱっちりと開いて師長を見つめながら、

「波川香。78歳」

 ようやく口を開きました。

 師長は腰を屈かがめて彼女の手を握りしめると、

「そう。波川さんて言うのね。生まれは茨城なの?」

「福島」

「そう、福島なの。それで地震のことが気になって、この前心配そうにしていたのね。おうちは大丈夫だったの?」

「流されました」

「あらぁ、3・11の犠牲になったんだ。家族の方は大丈夫だったの?」

「いや、わかりません。もともと私は一人者で別れた夫はもう80代半ばですからね。漁船に乗っていたところまではわかっているんだけど、後はわかりません」

「まぁ心配ね。その他お子さんはいないの?」

「はい」

 こうなったら今のうちにすべてを聞き出したほうがいい、と師長は手を支えながら質問を続けました。

「おばあちゃん、うちの前で倒れたでしょう? あのときはどこが痛かったの?」

「どこも」

「えぇ? じゃあ行き倒れは仮病?」

「…………」

「名前も年も言わなかったのは、それも仮病?」

「うん」

「じゃあ最初からここの病院に入院したくて、全部噓をついていたわけ? いいのよ、怒らないから本当のことを言ってね。薄々はわかっていたんだけど。でもよかったわ、本当のことを言ってくれて。その知恵はどこから授かったの?」

「はい。ここの先生」

「なんですって? うちの院長があなたに仮病を演じることを教えたってわけ?」

「そうです」

「いつの話です?」

「3年前、先生の講演を聞いたんです。そしたらお金がなくて病気になったら、病院の前で倒れて記憶喪失になれって教えてくれました。それを覚えていたんです。本当に助かりました」

「…………」

 今度は師長が絶句する番でした。

 そして医者ともあろう者が、なんという知恵をつけるのだろうか、と腹が立ってきました。血相を変えてその足で院長室に飛び込んできました。

「そうか。私が、いざとなったら……、本当に困ったらこんなこともありうる、というたとえ話として、講演会でしゃべったことを覚えていて訪ねてきたのか。ときには私の話も人助けになるのか」

 と私がにっこりと笑うと、師長は、呆あきれた、という顔で踵きびすを返して部屋を出ていきました。

病気と生活苦の果てにある生活保護法25条

 今の例は極端としても、私たちは他人ひと事ごとでなく、以下の生活保護法第25条の条文を一度はよく読んでおく必要があると思います。

(職権による保護の開始および変更)

「第二十五条 保護の実施機関は、要保護者が急迫した状況にあるときは、すみやかに、職権をもって保護の種類、程度および方法を決定し、保護を開始しなければならない」

 この条文を、我々国民は、仮に今の自分や家族には関係ないと思っても、人が困ったときの、最後の拠よりどころとして頼れる法律があるのだということを、記憶しておいていただきたいのです。

 つまり、この条文はまず趣旨として、誰であっても、急迫した状態に陥る可能性はあり、とくに行き倒れや大病で倒れたときには、必ず国は助けてくれる、ということを意味するからです。

 次は、「職権で収容してくれる」という点ですが、これは役所は迷わずにその急迫した状態を判断して手を打つことができる、ということを意味します。

 誰でも、このことを知っておけば、いざというときには鬼に金棒ということになるに違いありません。

 今お話ししたおばあちゃんの場合も、たまたま私が講演のときに話をしたことを覚えておいて、一人ぼっちになって生活していくことができなくなったときに、ふと思い出したに違いないのです。

 もっとも、私は講演会で難しい言葉を使って話をしたわけではありません。私の話に会場からは爆笑が起こり、驚きの声があがったことを今でもよく覚えています。

 私はこう話しました。極端な話と思われるかもしれませんが、自分の命を守るということは、そこまでしなくてはならない、人として大切なことだということを伝えたかったのです。

「まず、病気になってもお金がなくてどうしようもないときには、救急指定病院の玄関先で倒れることです。病院には訪ねてきた患者を必ず診察しなければならない、という義務があるのです。ですから玄関先で行き倒れを装うと、必ず病院の中に入れてくれます。
 次は、病院に運び込まれたら記憶喪失を演ずることです。名前を言ってはいけません。年齢も言ってはいけません。現住所や本籍も言ってはいけません。身寄りがまったくないことを装うのです。
 三番目には、どこの具合が悪いのか、と必ず聞かれますから、適当に症状を言いましょう。頭が痛い、胸が痛い、腹が痛い、どこでもいいのです。症状を訴えれば、必ず医者は診みてくれます。医者の私がそう言うのですから、間違いありません。
 こうして病院に収容されると、すぐ市町村の保護課の担当者が飛んできてくれます。そして仮の名前をつけ推定年齢をつけ、現住所は診察をした病院になり、さらに生活保護の手続きをしてくれます」

 最後にこう続けました。

「いいですか、どんな場合でも日本の国は必ず国民を助けてくれます。国と医者を信じましょう。決して行き倒れの患者さんを見捨てることはしません」

 そこで拍手喝采が起こり、笑い声が会場を包んだことを、今でもよく覚えています。

「繰り返し申し上げますが、病気になったり生活苦に陥ったときは、一人で部屋に閉じこもって苦しみもがき、それが孤独死につながるような生活をしてはいけません。とにかく助けを求めることです。
 人生は一度しかありません。命を粗末にしないでください。与えられた命を十分に自分のため、世のために大切に働かせて、この世からさよならをしたいものです」

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臨終医のないしょ話

誰もが避けられない<臨終>の間際、人は摩訶不可思議な現象に遭遇する――これまで数千人を看取った医師が、そんな数々の臨終にまつわる奇譚と、50年の臨床経験から導いた幸せに逝く方法を赤裸々に明かします。

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志賀貢 / 医学博士

北海道生まれ。医学博士、作家。昭和大学医学部大学院博士課程修了。長らく同大学評議員、理事、監事などを歴任し、大学経営、教育に精通している。内科医として約55年にわたり診療を続け、僻地の病院経営に15年従事。また介護施設の運営にも携わり、医療制度に関して造詣が深い。その傍ら執筆活動を行い、数百冊の作品を上梓している。近著には、『臨終医のないしょ話』『孤独は男の勲章だ』『臨終の七不思議』(いずれも幻冬舎)等がある。

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