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臨終医のないしょ話

2017.08.27 公開 ツイート

第6回

「先生、近いうちにお墓参りができそうですね」お富ばあさんの静かな最期 志賀貢 / 医学博士

誰もが避けられない”臨終“の間近、人は実に不可思議な現象に遭遇する――これまで数千人を看取った医師が、そんな臨終にまつわる奇譚と、50年の臨床経験から導き出した幸せに逝く方法を赤裸々に明かしたエッセイ――『臨終医のないしょ話』(志賀貢著)

(前回のあらすじ)早逝した娘さんのお墓参りをしきりに望んでいたお富ばあさんは、入院して3か月後、ついに食事がまったく摂れなくなってしまいました。みるみる衰弱していく母親の姿を見て長男は医師に涙ながらに訴えます。「最後は苦しまないように看取ってもらいたい」――お富ばあさんの臨終の状景とは。感涙必至の後編です。


   ***
 

「余病が併発しなければ、まだまだ今の状態のままで闘病生活はできます」と説明しても、長男は首を横に振り、「延命治療は望みませんので最低限度の治療でお願いします」と何度も言いました。

 そうは言っても内臓を病魔で侵されているにしては、頭がしっかりしていて、確かにまだら認知症ではないかと思われるところもありますが、記憶力はまだはっきりしています。

「先生、近いうちにお墓参りができそうですね」

 あるとき、お富さんは、胸に聴診器を当てている私の顔をまじまじと覗き込むようにして言いました。私はぎくりとしました。そして、ひょっとしてお富さんは臨終が近づいていることを理解しているのではないか、と思いました。

 回診に付いてきた師長も、その言葉にははっとさせられたらしく、私と顔を合わせると眉間にしわを寄せ暗い表情をしています。

「師長、やることだけはやろう。たとえ家族が望まなくても、おばあちゃんが悔いを残さずに天国へ召されるように、頭がしっかりとしている間は元気でいてもらえるように、治療しよう」

 ナースステーションに戻って私がそう告げると、

「それが私の望みです」

 と弱々しい声で師長は答えました。

 彼女の目には、北海道の郷里で大病と闘っている義父のことが脳裏に浮かんでいるに違いありませんでした。

 私は、地方の病院で治療を受けている義父の容態を聞いて、81歳になる義父を少しでも長生きさせようと頑張っている師長の話を聞き、感銘を受けていました。

 恐らく師長はお富ばあさんにも、義父が受けていると同じような最高の治療を受けさせてあげたいと思っているに違いないのです。

 そのことがあってから、お富さんの口からお墓という言葉が消えました。

 回診しても、何か吹っ切れたものを感じるのです。ひょっとして彼女は、死を受け入れようとしているのではないか、と思いました。

死を受け入れる患者には、五段階の心の過程がある

 病に倒れた患者さんが、死を受け入れるようになるためには、キューブラー・ロスの「死にゆく過程の五段階」という心の過程で表現されています。

 キューブラー・ロスはスイス生まれの精神科医で、コロラド大学やシカゴ大学で多くの論文を発表し、世界的に知られる医師でもあります。

 その研究によると、人が死を受容するまでの間には、五つの段階を踏むと言われています。

 第一段階は「否認」。自分の死を認めない、認めたくないという段階。

 第二段階は「怒り」。なぜ自分は死ななければならないのかと周囲に当たり散らす段階。

 第三段階は「取引」。死を逃れるために何かに縋すがろうとする心理状態。

 第四段階は「抑うつ」。何もする気がなくなる状態。

 第五段階は「受容」。死を受け入れる段階。

 という五段階です。

 お富ばあさんが当院に入院したときには、第一~第三段階はすでに終わっていて、第四段階に入っていたものと思われます。抑うつ状態から逃れるために、しきりにお墓のことを周囲に話したのではないか、と推測されます。

 そして食事がまったく摂れなくなったときに、第五段階の精神状態に至り、

「もうすぐ私はお墓に行けますね」

 という言葉を、私や病棟スタッフに漏らすようになったのだと思われます。

 この時期になって師長から、キューブラー・ロスのこの五段階の説明を受けた看護助手の好木さんは、ようやく納得がいったらしく、それからは今まで以上に言動に気をつけて、お富ばあさんの介護に当たるようになりました。


   ***


 それから半月ほど経ったころ、お富さんは病棟のスタッフたちに見守られながら、静かに息を引き取りました。

 駆けつけてきたご長男が、

「苦しみませんでしたか」

 と聞きました。

 私も師長も、

「お顔を見てみればわかると思いますが、眠るように静かに息を引き取りましたよ」

 と答えました。

 長男は、ほっとしたような表情を浮かべて何度も頷き、たった今息を引き取った母親の顔を手で撫でながら、わずかに残る温もりを記憶に残そうとしているようでした。

 その長男の姿を見つめながら、師長と好木さんは肩を寄せ合うようにして、目頭に手を当てていました。

 

※8月20日に予定しておりました本連載の公開が遅れましたことを深くお詫び申し上げます。

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臨終医のないしょ話

誰もが避けられない<臨終>の間際、人は摩訶不可思議な現象に遭遇する――これまで数千人を看取った医師が、そんな数々の臨終にまつわる奇譚と、50年の臨床経験から導いた幸せに逝く方法を赤裸々に明かします。

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志賀貢 / 医学博士

北海道生まれ。医学博士、作家。昭和大学医学部大学院博士課程修了。長らく同大学評議員、理事、監事などを歴任し、大学経営、教育に精通している。内科医として約55年にわたり診療を続け、僻地の病院経営に15年従事。また介護施設の運営にも携わり、医療制度に関して造詣が深い。その傍ら執筆活動を行い、数百冊の作品を上梓している。近著には、『臨終医のないしょ話』『孤独は男の勲章だ』『臨終の七不思議』(いずれも幻冬舎)等がある。

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