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高野病院日記

2017.03.29 更新 ツイート

第16回

避難生活の健康被害がこんなに大きいなんて……中山祐次郎

会ったこともない方から送られてきたはがき。

福島第一原発から22キロ、福島県双葉郡広野町にある高野病院は、震災後も1日も休まず診療を続けてきました。病院でただ1人の常勤医として、地域の医療を担ってきたのは高野英男院長。その高野院長が、2016年末に火事でお亡くなりになり、病院の存続が危ぶまれる事態になりました。その報に接し、2017年2月~3月の2カ月間、高野病院で常勤医として働くことを決めた中山祐次郎さん。中山医師が、高野病院での日々を綴ります。

* * *

【Day 53】

ここ数日風邪をひいていた。声が出ない。熱は、測っていないからわからない。インフルエンザは陰性だった。

ともかくぐったりしながらも、なんとか仕事をする。こういう日に限って救急車が来たり、緊急入院の患者さんが来たり、外来に突然重症の人が来たりするのだ。そういうものだ。外来に来る患者さんは、いつもの倍はいた。大きい声を出すことができなかったから、耳の遠い患者さんに、何度も聞き返されることになってしまった。看護師さんが、その都度言い直してくれた。

なるべくふらふらしないように歩くが、他の職員の皆さんには、調子が悪そうだとばれていたようだ。「先生、本当にお大事になさってください」との優しい言葉を、事務の若い男の子がかけてくれた。

それにしても咳が全く出ない。これはおかしい。溶連菌感染症の可能性があるのではないか。迅速キットで検査をしようとしたが、病院にキットはなかった。外注で検査をしたら、なんと結果が帰ってくるのが3日後だという。しかたなく、僕は抗生物質ペニシリンを飲むことにした。

その日は夜中に20回は目が覚めただろうか。寝ても苦しく起きても苦しく、身の置き所がないとはこのことだった。薬はもう飲んでいるし、外にやることもない。目が覚めてはトイレに行き、ベッドに戻りうつらうつらすると、今度は唾を飲み込む激痛で目が覚める。それを繰り返していた。

思わず言った「どうすりゃいいんだよ!」という独り言は、まだ春を見ぬ東北の夜に吸い込まれ、消えていった。

この日記が公開される頃には、風邪は治っているだろうか。僕はもうこの地にはいないのだろうか。

そう思うと寂しい。

では、今日という日を!

素晴らしく晴れた日の朝。路肩に車を停めて撮影。

⇒次ページ【Day57】に続く

 

【Day 57】

今日は朝から冷たい雨が降っていた。途中から雨は雪に変わった。外来診療していながら、患者さんが途切れたすきに、僕は窓の外を見た。音もなく降り続く雪を見ていて、僕はある詩を思い出した。太郎の屋根に雪ふりつむ。二郎の屋根に雪ふりつむ。これは誰の詩だっただろうか。そして横浜の兄貴は元気にしているだろうか。

幾人かの患者さんに今日は雪ですねと言ったが、あまり反応はなかった。一番興奮していたのはどうやら僕だったのだ。雪は僕の期待通りちゃんと少し積もってくれた。ありがとう。

雪は一時的にではあるが、積もった。

ある患者さんをお見送りした。今日ではないが個人情報の関係でいつかは書けない。何度も何度も悩み抜いた治療方針だった。ご家族とも濃厚に話し合った。やれることはある。僕は武器を持っている。しかし、それを使わないと決断したのだ。ご家族も苦しんでいる様子だった。ご家族もご本人も、そして僕も皆、それぞれの切なさを抱えていた。その結果決めた方針だった。本当にあれで良かったのだろうか、と僕は今でも思う。実はご家族は怒っているのではないだろうか。実はご本人の望む形ではなかったのではないか。実はスタッフは僕のことを恨んでいるのではないだろうか。何重にも黒い布がかかってくる。僕にできるのはその布を1枚1枚丁寧に取り払うことだけだ。

ある患者さんのご家族とお話をした。一番聞きたくなかったセリフ、「正直なところ、もう面倒は見切れない」を聞いた。聞けば家族は皆、避難生活で疲弊していると言う。先生、お願いします、お任せしますので、と言われる。僕は決断をした。ご飯が食べられないから、かわりにグローションカテーテルと言うカテーテルを入れ、点滴をすることにしたのだ。

ご飯が食べられないから、点滴で栄養状態を確保する。これもまた1つの選択だ。体表用のエコープローベがなく、透視の機械の不具合もありカテーテルの挿入には難渋したが、うまく入った。事務の若い男性に、ずいぶん迷惑をかけてしまった。でも、本当にありがとう。

グローションカテーテルのキット。

しかしながら、原発事故により避難生活を強いられた人の健康被害がどれほど大きいことか。これについては一度まとめて記事にしなければならない。こちらに来るまで、避難生活が健康に害を及ぼすなんて、考えたことがなかったからだ。

終わるとまた、少し喉が痛くなってきた。朝に出してもらっていた薬を飲む。少しずつ効いてきた。

階段や廊下ですれ違う何人もの看護師さんに、「先生、体調は大丈夫ですか」と聞かれちまった。しまった、ばれてしまっていた。情けないことこの上ない。

勤務時間が終わり、ある医師向けの媒体への記事を書いていた。書きながらふと気づいた。そうかこの記事が公開されるときには、僕はもうここにはいないのだ。

僕は春が嫌いだ。春はいつだって挫折の季節だし、別れの季節だからだ。早く夏が来ればいい。夏が来ればきっと……。

仕事を終えて、真っ暗闇の道路へ車を滑らせた。雪はもう止んでいた。カーラジオの、ザーザーという砂嵐の合間にちらほら聞こえる小林幸子さんの笑い声に、どれほど癒されたことか。小林さんはきっとご存じないだろう。ある36歳の男が、福島の海沿いの暗い道を走りながらあなたの声に癒されていたなんて。今日という1日で負った損ないを少しずつあなたの声で埋めながら、僕は明日もがんばります。いつかどこかでお会いすることがあったら、必ず伝えたい。

家に帰ってファミリーマートの「あたりめマヨネーズ付」を食べながら、「福島づくり」の一番搾りを飲んだ。明日もいい日に決まってる。
 

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高野病院日記

福島第一原発から22キロ、福島県双葉郡広野町にある高野病院は、震災後も1日も休まず診療を続けてきました。病院でただ1人の常勤医として、地域医療を担ってきたのは高野英男院長。その高野院長が、2016年末に火事でお亡くなりになり、病院の存続が危ぶまれる事態になりました。その報に接し、2カ月限定で、高野病院で常勤医として働くことを決めたのが中山祐次郎さん。中山医師が、高野病院での日々を綴ります。

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中山祐次郎

1980年神奈川県生まれ。鹿児島大学医学部卒。都立駒込病院で研修後、同院大腸外科医師(非常勤)として10年勤務。2017年2月-3月、福島県高野病院院長を務め、その後、福島県郡山市の総合南東北病院外科医長として勤務。資格は消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医(大腸)、外科専門医、感染管理医師、マンモグラフィー読影認定医、がん治療認定医、医師臨床研修指導医。日経ビジネスオンラインやYahoo!ニュース個人など、多数の媒体で連載を持つ。著書に『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと~若き外科医が見つめた「いのち」の現場三百六十五日~』(幻冬舎新書)、『医者の本音』(SB新書)がある。

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