エッセイスト・長瀬ほのかさんによる連載は今回が4回目。長瀬さんが新婚時代を過ごした街「三笠」についてのエピソードです。みなさんは、『新婚さんいらっしゃい!』に出演できるのが結婚3年以内だってご存じでしたか…? それでは今回もお楽しみください!
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「3年までは新婚だよ。なぜなら、『新婚さんいらっしゃい!』に出演できるのが結婚3年以内だから」
いつだったか、友人にそう言われたときは妙な説得力に笑ってしまったものだが、その定義でいうと、私は新婚時代を三笠という町で過ごした。
三笠市は、今の実家がある旭川市と、就職して一人暮らしをしていた札幌市の間に位置する。旭川と札幌それぞれに祖父母が住んでいたこともあり、子供の頃から行き来が多く、その途中にある三笠は青看板でお馴染みの地名だったが、同時に、国道や高速道路でただ通り過ぎるだけの町でもあった。
人口が7千人を切り、今ではすっかり田舎町となっている三笠であるが、炭鉱で栄えていた最盛期には6万人もの人々が暮らしていたらしい。三笠に引っ越すことを周りに話すと、「えっ! うちのおじいちゃん、元々三笠だよ」というような反応が多々あり、道内各地に散った元三笠市民がたくさんいることを改めて思い知らされた。
そんな田舎町の微々たる人口増に貢献することになった私だが、引っ越しの日、トラックに自転車を積み忘れるという痛恨のミスを犯し、夫の軽自動車で自転車とツイスターゲームをしながら嫁入りする羽目になった。引っ越し先は築浅のアパートだったが、母が喜び勇んで娘の新居をGoogleのストリートビューで調べたところ、今にも崩れそうな廃屋の写真が出てきて卒倒しそうになったらしい。田舎は時間の流れがゆっくりだという人がいるが、ストリートビューの更新も遅い。
三笠がアンモナイトの世界的な産地だと知ったのは、古生物学者の夫に出会ってからである。夫の勤め先だった「三笠市立博物館」は、アンモナイトが大量に展示されていることで界隈では有名らしい。外から建物を見上げると、屋根の上に巨大なオブジェがあり、アンモナイトが海生爬虫類にガブリと食われている。当時の食物連鎖を語る上で重要な場面なのだろうが、入り口で主役の壮絶な死に様を見せつけられるというのはなかなか斬新である。館内ではそんなことをすぐに忘れてしまうくらい元気な(?)アンモナイト化石がたくさん見られる。博物館だけでなく、市内の飲食店や施設にも、まるで花でも飾るかのようにアンモナイトが置かれているので面白い。
三笠では数十年前、恐竜の化石が見つかり、「エゾミカサリュウ」と名付けられ、恐竜のオブジェを設置したり、ご当地マスコットを制作したり、恐竜神輿が練り歩いたりと、町をあげての恐竜フィーバーが巻き起こったが、後にその化石は恐竜ではなく、海に住む爬虫類の一種であることが判明するという珍事があったらしい。「恐竜ではありませんでした」と市の偉い人に報告しなければならなかった担当者のことを思うと、その言い出しにくさたるや想像を絶するものがある。
とはいえ、新種の海生爬虫類だって重要な発見なのだから、エゾミカサリュウからすれば、がっかりされる筋合いもないであろう。現在、博物館にはワニとサメが合体したような姿をしたエゾミカサリュウの復元模型が展示されているが、鋭い目つきで大きく口を開いたその表情は「恐竜じゃなくて悪かったな!」とブチギレているように見えなくもない。
三笠は道内でも特に雪の多い地域で、毎年除雪には苦労した。車がなければどこにも行けないため、冬はすべての活動の前に車の雪下ろしという大仕事があった。オリーブオイルを買いに行くためだけに30分かけて車を掘り起こしたときは、自分の人生におけるオリーブオイルの価値を本気で問うた。
悔しいのは、道内各地の積雪量がニュースになるとき、そこに三笠の名前がないことである。三笠にはアメダスの観測所がないためらしい。隣町の岩見沢市はしょっちゅう豪雪でニュースになっていたが、どう考えても三笠の方が積もってるだろ、という日が多々あった。このままこの町のすべてが雪に埋もれてしまっても、誰も気づかないのではないか。雪が延々と降り積もる夜には、思わず「ここにいるよ」と叫びたくなるような寂しさがあった。
三笠で一番賑わっている場所はイオンだった。かつてはテナントがたくさん入っていたようだが、年々閑散として、がらんどうの空間にベンチが置かれていたり、スペースを持て余しすぎて中古車が並んでいたりした。それでも食料品や日用品の購入には大変便利で、過去に三笠市観光協会がアンケートを集計した「みかさのいいところ」ランキングでも、観光スポットを差し置いて「イオンスーパーセンター三笠店」が堂々の一位を獲得しており、市民の切実な思いを感じざるを得ない。
イオン三笠店のフードコートは、丸亀製麺の会社が全店舗を運営する珍しい形態をとっていた。麺屋通りと銘打って、丸亀製麺の他、ラーメンやパスタ、焼きそばなどのチェーンがずらりと軒を連ね、飲食店の選択肢が少ない三笠において、我々の外食欲を満たしてくれる貴重な存在であった。しかし、三笠に住み始めてしばらく経った頃、その丸亀製麺がまさかの撤退。それはすなわち、フードコート全店の撤退を意味した。無慈悲とはこのことである。取り残された飲食スペースでは、お爺さんが食料品コーナーの惣菜を食べたりしていた。
三笠は居酒屋も少なかった。アパートの近くに「つぼ八」があったのだが、店内に掲示された手書きの張り紙には、「この町唯一のチェーン店です。都会の洗練された味をお楽しみください」と書かれていた。そのつぼ八も間もなく閉店した。
「気軽にカフェとか行きたいよね」
そう愚痴りながら、私と夫は車で30分かけて隣町のココスに通った。
娯楽に飢えた我々は、ベランダで遊びはじめた。キャンプ用のテーブルとチェアを出して、イオンで買い込んだ肉を卓上グリルで焼き、外の風に吹かれながらビールを飲んだ。アパートは空室だらけで、近隣の民家との間隔も広い。そんな田舎町だからこそ可能な娯楽だった。夏は桶に水と保冷剤を入れて、そこに足を突っ込みながら素麺を食べた。雪が積もるギリギリまで、ダウンを着込んで鍋をした。ベランダで飲み食いする、ただそれだけで楽しかった。2階なので、特段見晴らしがいいわけではない。住宅と家庭菜園。視線を上げると、高くも低くもない山があるだけだった。それでもあの頃の我々にとって、ベランダは一大アミューズメントだった。
隣の区画の建物が重機で解体されていくのを、ベランダから一人眺めていた日もあった。美容室の看板が掲げられていたが、煤け具合からして、もうだいぶ昔に閉めているようだった。ぼんやり眺めていると、17時きっかりに作業が終わったので感心した。新しい家か何か建つのかと思ったが、ずっと更地のままだった。いつしか、その景色が当たり前になった。
夫はアンモナイトを研究するため、はるばる東京から三笠に就職した。私はその夫と暮らすためだけに三笠へやってきた。自分で決めたことではあるが、そのことにいつもほんのり引け目を感じていた。夫が市政への不満を漏らすと、すかさず「私が市長になってこの町を変えてやろう」などと豪語していたが、あれはあながち冗談でもなかったかもしれない。
「新婚さんいらっしゃい!」への応募資格を失った我々は今、東京で暮らしている。気軽にカフェに行けるし、雪のない冬は快適である。市長にはなり損ねたが、三笠に未練はない。
まともに文章を書きはじめたのは三笠にいた頃で、飼っていたうさぎの関根が死んだのも三笠だった。私にとって、はじまりの地であり、終わりの地でもある。いつか人生を振り返るとき、三笠で過ごした時間はほんの一瞬かもしれない。でも、ただ通り過ぎただけの町ではない。私は確かにあのベランダで、キャンプ用チェアに座って、夫と笑い合っていた。
東京の部屋にもベランダはある。でも、もう肉は焼けない。
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\今がいちばんだけど、読み返さずにはいられない! ユーモアあふれる思い出たち/
note主催の創作大賞2024で双葉社賞エッセイ部門を受賞した、人気エッセイストの長瀬ほのかさんによる新連載。北国(北海道)に生を受けた彼女は、学生時代、独身時代をどう過ごして今にいたるのか? 今の長瀬さんを形作った思い出の日々をたどる連載エッセイです。
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