先月からスタートした長瀬ほのかさんによる連載。2回目の今回は、子供の頃の「夢」について。はるか昔、幼稚園や小学生のときには、誰もが必ず聞かれた“あるある”の質問。読み終わったら、自分の今と昔をきっと振り返りたくなるエッセイです。
* * *
子供というのは、やたらと「将来の夢」を発表させられがちである。何かしらの節目や行事、初めて会う大人が同席する場など、ありとあらゆる場面でその手のことを問われる宿命にある。
幼稚園児の頃、将来の夢として絶大な人気を誇っていたのは「セーラームーン」であった。私もセーラームーンのアニメが大好きで、特に好きだったのは緑色でお馴染みのセーラージュピターだったが、私の周囲でセーラージュピターは不人気であったため、悪目立ちすることを恐れた私は、将来の夢を聞かれた際、皆に倣って「セーラームーン」と答えることが多々あり、それはとても不本意なことであった。ジュピターへの義理を欠いているのもそうだが、セーラームーンもセーラージュピターもその正体は「月野うさぎ」「木野まこと」という一人の人間であるため、目指すとするならば「美少女戦士」の方になるのではないかという違和感もあったし、そもそもそのような職業はないのであろうことも何となく察していた。
これ以上、場当たり的な回答を繰り返さないためにも、早々に正式な将来の夢を決めなければと思った。私は子供の頃から、自己プロデュース癖というか、人からどう見られるかを考えて、自分の言動を選ぶ傾向があった。将来の夢というのは、子供にとって自分らしさを表現する絶好の機会である。なるべく人と被らない方がいい。しかし、目立つのは苦手なので、笑われるほど奇抜ではいけない。自分を偽ってもいけない。ちゃんと「なりたい」と思えるもので、かつ、それを将来の夢として掲げることで人から一目置かれるのが理想だった。
子供の将来の夢といえば、ケーキ屋さんやお花屋さんといった「お店屋さん」系も定番である。しかし幼稚園児ゆえ、知っている「お店屋さん」のバリエーションが限られており、個性を出すのが難しかった。また、「お嫁さん」というのも定番だった。私も年相応にお姫様的なものに憧れる気持ちはあったが、お嫁さんがウェディングドレス姿なのは結婚式の日のみであり、その生活は紛れもなく「お母さん」であることに気づいて早々に候補から外れた。
そんな風にいろいろと考え続けて、ある日、閃いた。
郵便屋さんはどうだろう。
皆がよく知る職業で、誰にでもわかりやすい仕事内容でありながら、将来の夢として掲げている子を見たことがない。いつも赤い車に乗っているという独自性もあり、読まずに食べる不届き者のヤギがいるかどうかはさておき、手紙を運ぶのはなかなか面白そうである。我ながら、かなり「いいところ」を突いたのではないか。
ちょうど例の質問を投げかけられる機会があったので、試しに「郵便屋さん」と答えてみると、「ほーちゃん、郵便屋さんになりたいんだ! いいねえ!」と大人たちからの反応も上々であった。まだ郵政民営化前だったので、「国家公務員は安定しているからいいねえ!」という意味だった可能性もあるが、そんなことは知る由もない。すっかり気をよくした私は、自分の将来の夢は郵便屋さんである、という気持ちを固めつつあった。
そんな折、幼稚園の行事の一環で、将来の夢を発表する場が設けられた。園児が一人ずつ体育館のステージに上がり、壇上で名前と将来の夢を述べる。園児、先生、そして保護者など、たくさんの人が集まっており、私の将来の夢が郵便屋さんであることを、満を持して世に知らしめる絶好の機会であった。
私の順番がだんだん近づいてくる。壇上の子が、「将来の夢は、セーラームーンです!」と元気よく発表している。そして、次の子も「セーラムーン」、また次の子も「セーラームーン」。
階段を一歩一歩踏みしめ、郵便屋さん、郵便屋さん、と心の中で唱えながら壇上に上がった。
「長瀬ほのかです。将来の夢は……セーラームーンです」
か細い声でそう言って、私は足早にステージを降りた。
完全に飲まれた。口を開く直前、急に怖くなって無難な方に逃げてしまった。無難な職業選択が美少女戦士なのだから幼稚園とはつくづく異常な場所である。数多のセーラームーンの一人になってしまった屈辱を、私はしばらく引きずった。
小学校に入ると、もう少し現実味のある職業が夢として語られるようになり、私も新たな将来の夢を模索しはじめた。最も身近な職業である学校の先生や、ピアノを習っていたことからピアノの先生が有力候補であったが、それこそ無難すぎるような気がしていた。
「ほのかは絵が上手いから、画家さんになったらいいんじゃない?」
母からそう提案されたこともあった。「画家さんって何するの?」と聞いたら、「絵葉書の絵を描くんだよ」と言うので、なんだそのピンポイントな仕事は、と思った。机に向かい、絵葉書を大量生産している自分を想像すると、なんだかつまらなそうだった。
小学2年生くらいの頃だったろうか。学校の提出物に将来の夢を書く欄があって、試しに「お医者さん」と書いてみたことがあった。母から「なんて書いたの?」と聞かれたので見せたところ、「あらっ! お医者さんになりたいの? いいじゃないお医者さん!」と、明らかに目の色が変わったので、子供ながら不審に思った。当時の私にとっては、学校の先生もピアノの先生もお医者さんも、ただ身近な職業というそれだけだった。
ちょうど同じ時期、幼馴染の家族と一緒に、北海道の京極町という田舎町で開催されたのど自慢大会に出場したことがあった。各チーム2曲ずつ披露することになっており、私を含む子供たちは『およげ!たいやきくん』を威勢よく歌い、母たちは山本譲二と木梨憲武の『浪漫-ROMAN-』を完璧に歌い上げ、我々は見事優勝を果たした。その大会のゲストはなんと山本譲二で(それを踏まえての選曲だったようだ)、母たちのデュエットを大層褒めてくれたらしいが、その辺りのことはあまり覚えていない。記憶に残っているのは、優勝が決まったあと、山本譲二からマイクを向けられたことである。
「優勝おめでとう! よかったねぇ! お嬢ちゃんは、将来何になりたい?」
「お医者さん」
すると、観客席から「オオ〜!」と歓声が上がった。山本譲二も母に向かって、「いやあ、娘さん将来有望ですねえ!」などと持ち上げている。その異様な反応に、私は怯んだ。何やら過剰な期待をされ、このまま思いもよらぬところに担ぎ上げられそうな危険を感じた。その一件以来、将来の夢について、「お医者さん」よりも「学校の先生」や「ピアノの先生」と答えることが多くなった。結果的に、私の理数科目の成績は学年が上がるにつれて右肩下がりとなったので、賢明な判断だったと言える。そしていつしか、将来の夢を無闇に聞かれる年代は過ぎていった。
「将来の夢ってある?」
久しぶりにそんなことをストレートに聞かれたのは、すすきのの大衆居酒屋だった。個室でもない、テーブルがずらりと並んだフロアのど真ん中で、その問いは放たれた。一緒に飲んでいたのは、大学時代に同じバイト先だった先輩である。卒業してからしばらく会っていなかったが、私が札幌で就職したことを聞きつけて、飲みに誘ってくれたのだった。
その先輩とは、バイト中、客のいない暇な時間帯に、カウンターの中であれこれ語り合った思い出がある。大学を卒業する間際になってもまだ進路を決めていなかった先輩は、「バイト先の社員になる」「業界大手を目指して就活する」「独学でその道を極める」など、自分の今後の選択肢をルーズリーフに書き出して、それぞれを選んだ場合の道のりをフローチャートにまとめていた。それを見ながら一緒にああでもないこうでもないと話し合う、他愛もない時間があった。
そんな先輩から将来の夢を聞かれて、私はぎくりとした。その頃の私は、いつかきっと物書きになるという何の根拠もない自信を誰にも話すことなく持て余していた。
「夢ねえ……」
テーブルに肘をついて視線を外した私に、先輩は続けた。
「やりたいこととか、叶えたいこと、ない? 海外旅行でもいいし。このまま普通に仕事するだけでいいの? もっとお金ほしくない?」
「……はい?」
「夢を叶えるにはさ、お金がいるわけ。俺も今、自分のやりたいことのために頑張ってんのよ。そういうビジネス教えてくれる人がいるからさ、長瀬も一緒にやらない?」
人生初のマルチ商法勧誘であった。私のぎくりを返せ。先輩のフローチャートに、そんな未来は書かれていなかったはずだ。
私はいろんな感情を表情筋に込め、口角を上げた。
「夢とか別にないっすね! 今がいちばん、今のままで大満足。お金なんていらない!」
口座残高が三桁になったり、飲み代をリボ払いしたりしているのでどう考えてもお金はあった方がいいし、無邪気に夢と呼べるほどの輝きはないが、それらしき野望もある。だが、私は断言した。とにかく断言した。その毅然とした向上心のなさに先輩も呆れたのだろうか、拍子抜けするほどあっさり解放された。
「将来の夢はなんですか」
何度も聞かれたあの頃の「将来」に、私はもういる。その事実に急かされるように、足早に繁華街を抜けた。
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\今がいちばんだけど、読み返さずにはいられない! ユーモアあふれる思い出たち/
note主催の創作大賞2024で双葉社賞エッセイ部門を受賞した、人気エッセイストの長瀬ほのかさんによる新連載。北国(北海道)に生を受けた彼女は、学生時代、独身時代をどう過ごして今にいたるのか? 今の長瀬さんを形作った思い出の日々をたどる連載エッセイです。
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