2026年北中米W杯でベスト32進出を果たしたサッカー日本代表。スウェーデン戦で得点した前田大然選手の著書『がむしゃら なぜ俺は、こんなに走るのか——。』は、数えきれない挫折と、そこから這い上がってきた戦いの記録だ。著書の中で次戦の相手・ブラジルに言及している箇所がある。一部を抜粋してお届けする。
※内容は2026年5月13日時点
* * *
昨年10月、日本国内でパラグアイとブラジルと対戦するキリンチャレンジカップが行われた。W杯では南米のチームと対戦する可能性があり、そのデモンストレーションとして最適な機会だった。
スコットランドから飛行機に乗って日本へ向かう僕は、ひとつだけ不安要素を抱えていた。
代表合流直前に行われたセルティックの試合後、左太もも裏に張りを感じた。
ただ、ここ数年よくある症状だったので深刻な問題ではない。日本では試合が終わってすぐにケアできる環境があったけれど、セルティックではそれが難しかった。なので疲労が蓄積すると違和感を覚えることがあった。
今回に関しては、いつもよりも少しだけ強く感じたので、代表チームのメディカルスタッフと相談してMRI検査をすることになった。
すると患部に出血の症状があることがわかり、ひとまず別メニューで調整してパラグアイ戦には出場しなかった。
診断結果は、復帰まで4~6週間かかる肉離れだった。
自分としては痛みを感じていなかった。検査していなければ、おそらくプレーできただろう。
森保さんはすごく心配してくれた。ちょうど代表チームの常連組に怪我人が多かった時期ということもあって、慎重になっている様子だった。
ここで無理をして重症化したら手術しなければいけない事態になる恐れがあって、W杯本番にも影響が出てくる。それだけは避けたいので、代表活動から離脱することが決まった。
日本代表のメディカルスタッフの話では、僕の場合は負傷箇所の周りの筋肉が発達しているおかげで痛みを感じずにプレーできるらしい。逆に言えば、しっかりと完治すればもっと爆発的なスピードを出せる、とも。
結局、セルティックに戻ってから少しだけ別メニューで調整して、公式戦3試合を欠場した。復帰したのは10月末だったので、3~4週間は無理をしなかった計算になる。
代表チームとクラブでは怪我に対する考え方や処置方法も異なり、一概にはどちらが正しいとも言えない。僕はあくまでもセルティック所属の選手なので、クラブの方針を無視するわけにはいかないし、代表チームにもセカンドオピニオンという考え方がある。
自分に限らず、代表選手は全員がそういった環境に置かれている。
一刻も早く怪我を治して復帰することだけを考えながら、スコットランドへ戻った。
代表離脱後のブラジル戦は、セルティックのクラブハウスで怪我のケアをしながら見ていた。
キックオフはスコットランド時間で、まだ午前中だった。
ゆっくりとストレッチしながらタブレットに目をやると、日本代表の選手たちがカナリア色のユニフォームと対峙している。
前半は室内でほとんど見ることができたけれど、後半が始まった頃から外でランニングをしていたのであまり見ていない。前半が終わった時点では0対2でリードされていたので、試合結果が3対2の逆転勝利だったと知って驚いた。
日本にとって歴史的な勝利になったわけだから、その場にいられなかったのは少し悔しい。チームとしてはもちろんポジティブな結果で、8ヵ月後に迫っている本大会に向けて弾みがつく。
その一方で、W杯の舞台と親善試合はまったく別物だとも思っている。
強いチームになればなるほど、本番になると目の色が違う。
国単位の場合はW杯がそれに当てはまるだろうし、クラブ単位だとチャンピオンズリーグに出場するビッグクラブは本気度が違う。
でも今の日本代表の選手たちはそれを知っているので、必要以上に浮かれることはないだろう。自信にはなるけれど、あくまでもテストマッチでしかないのだ。
メディアやファン・サポーターが盛り上がるのは当然で、日本国内のサッカー熱が高まるのは良いことだと思う。
チームとしては浮かれることなく、W杯へ向けて準備を進めていくべきだろう。
僕個人は、周囲の動向に左右されることなく、しっかりと完治を目指す。
11月にも代表活動はあるので、セルティックで自分のパフォーマンスを見せて次のアピールチャンスを掴むことが先決になる。
ポジションを争う選手たちの動向はあまり気にしていない。
自分はタイプが違うと思っているし、出場機会が巡ってきた時に自分らしさを発揮する方が大事だ。
自信は、ある。
がむしゃら なぜ俺は、こんなに走るのか――。の記事をもっと読む
がむしゃら なぜ俺は、こんなに走るのか――。

サッカー日本代表・前田大然の初自叙伝。“俺を強くした、数え切れない挫折のすべて”
所属するセルティックではもちろん、日本代表でも活躍する前田大然。
だが、そのキャリアは決して順風満帆ではなかった。
サッカーを始めたのは小学4年生と早くなく、高校時代には“ある出来事”により部活動から除籍。
プロ入り後も順調なことばかりではなく、練習に行きたくない日もあった。
それでも――。
何度つまずいても、そのたびに壁を乗り越えてきた。
そしていつも、周りには支えてくれる人がいた。
支えてくれた人たちに恩返しをするために、
俺は、がむしゃらに走り続ける。
日本代表FW・前田大然が初めて明かす、
数えきれない挫折と、そこから這い上がってきた戦いの記録。
- バックナンバー











