散歩が好き、川が好き、定食屋が好き、喫茶店が好き。そんな小説家が、家賃5万円以内で住める町を探して、東京23区全部歩いて綴った『銀座に住むのはまだ早い』。その発売を記念して、いくつかの区のエッセイをご紹介します。

* * *
練馬区には、正直、そんなになじみがない。練馬区、と言われてすぐに名前が出てくる町は、そのもの練馬と光が丘ぐらい。
練馬という言葉自体は、子どものころから、練馬ナンバー、の形でよく耳にしていた。漢字までは知らなかったから、ラジオで聞いたのかもしれない。例えば床屋さんでの待ち時間なんかに。
今回はその練馬区。地図の緑色と青色を見た瞬間、おっと思った。
知っているからすんなり読めるが知らなきゃ読めない石神井。しゃくじい。石神井公園。
その名前の駅もある。まちがいなくそこが公園の最寄駅。決定。
この企画もいよいよ二十区め。回を重ねてきて、わかった。なじみがない区ほど町決めで迷わないのだと。何せ、情報がない。それはつまり、迷う原因となる情報もないということなのだ。
はい、SUUMOで検索。
駅から徒歩八分。築三十八年。六畳。家賃四万五千円。
五万円のワンルーム、の条件を無事クリア。都心を離れて練馬まで来れば、ちゃんとそうなってくれるのだ。
区の南西部に位置する石神井。それが含まれる町名は、石神井町まち、石神井台、下石神井、上石神井、上石神井南町、の五つだという。上石神井、のあとに、南、も付くと何だかややこしいが、それは措いときまして。
石神井公園は、石神井町と石神井台にまたがっている。そして西武池袋線の石神井公園駅は石神井町にある。
ということで、探索するのは、石神井町と石神井台の石神井公園部分、に絞ることした。
今回は駅名からしてもう、公園回と言っていい。
まずは石神井公園駅北口に出て、通りを北上。
左折して、大泉街道に入る。街道といっても広くはない。センターラインもない。住宅地のなかの道だ。
十分ほど西に進んでまた左折。都道とはいえその辺りでは一方通行路の井草通りに入る。
そこを一気に南下。西武池袋線の高架をくぐって、なお南下。
いよいよ石神井公園ゾーン。
とはいえ、まだ公園には入らない。素通り。並木道を楽しむ。並木といっても、高木。幹も太い。歩いているだけで、ちょっと沸く。
木の頂を見ようとすると、自然と空も目に入る。ビルだと空がふさがれたように感じるが、木だとそうは感じられない。隙間からも空の青が見えるからなのか。単に木のほうがビルよりは低いからなのか。
練馬区立石神井図書館に寄る。薄茶色の建物。趣のある図書館だ。
この企画で図書館には何度も寄っているが、初めから寄ろうとしているわけではない。たいていはその場で決める。
ただ、今回は初めから寄るつもりでいた。石神井図書館は自作『タクジョ!』にその名前を出しているからだ。
これは単なる偶然だが、『タクジョ!』ではさらに練馬図書館の名前も出している。青い建物、とそこまで書いている。
登場人物が石神井図書館にお邪魔したりするわけではないが、著者はお邪魔してみる。
僕の本は十数冊置かれていた。そのなかには『タクジョ!』もある。現物を見てしまった。
すなわち、借りられてはいなかった。残念。もっとがんばらねば。
図書館を出て、そのわきの旧早稲田通りへ。
『タクジョ!』では、そこで小さな事件が起こるのだ。というか。起こらないという形で、起こる。
主人公の大学新卒タクシードライバー高間夏子が危険な目に遭うというか遭わないというか。うまく逃げるというか逃げないというか。
と、まどろこっしい言い方をしてしまったが。フィクションとはいえ、結局そこで事件など起きていませんから、どうかご安心を。
で、そのすぐそばを流れているのが石神井川。
わきには小道もある。もはやおなじみとなった東京町なか川ならではの風景だ。

車は通れないので、歩きやすい。これはありがたい。距離を意識せずに歩ける。この感じで道が十キロ続いたら、知らないうちに十キロ歩いてしまうかもしれない。
でも今はそうもしていられないので、一キロほどで川を離れ、練馬区立和田堀緑地の和田堀緑道経由で石神井公園駅南口へ。
駅周辺のにぎわいを眺めて歩き、石神井公園通りに折れて、ランチ。
赤に白字で、中華、洋食、と頼もしいことが書かれ、店頭には食品サンプルまで飾られた辰巳軒さんに入る。
実際、メニューは豊富。洋食なら、ハンバーグにカツカレーにオムライス。さらにはカツレツにポークソテーにチキンソテー。中華も手抜きなし。麺に丼に一品もの。
ほかに、各種揚げものの盛合わせのセット。あじ三枚に串カツ二本とか、ポテト入りハムカツ二個にあじ二枚とか。そそり過ぎ。あるもの全部食いたい欲、をかき立てられる。
迷いに迷って、ちょっと贅沢。あまりにも意表を突かれたすき焼き定食を頂く。それは中華なのか、洋食なのか。

牛肉に豆腐にしらたきにねぎ、に生卵。定食とはいえ、ちゃんとすき焼き。おいしかったです。
次、すき焼きを食べられるのはいつだろう。これが最後だったりしてなぁ。
僕も五十すぎ。そう考えると、人生においてすでに食べ終えてしまったもの、は結構あるのかもしれない。これからは毎食、心していただきます。
さて後半。石神井公園通りを南下。やっと公園へ。
東京都立石神井公園。三宝寺池エリアと石神井池エリアに分かれている。前者が石神井台で、後者が石神井町だ。町またぎ。
石神井池のわきを歩く。
この池は細長くて広い。端から端まで十分弱かかる。ここではボートにも乗れる。ローボート、サイクルボート、スワンボート、の三種類があるらしい。
葛飾区編のお花茶屋では、五十すぎのおっさんなのにブランコに乗った。今度この池に来たときは、スワンボートに乗りたい。
オーバーフィフティスワンボート・アット・石神井パーク。いい。
石神井池の中心からやや西のところには島もある。石神井池中之島、だ。
これは行ってみたくなるなぁ、と思ったら、橋がかかっていたので行ってみる。
いざ上陸してみれば、木々が生えているだけ。何のことはないが、上陸できたこと自体がうれしい。何ごともそんなものだ。遠足は前日までが楽しい。
公園を東西に分ける井草通りを渡り、石神井池エリアから三宝寺池エリアへ。
石神井池が人工池であるのに対し、三宝寺池はもとからあったものらしい。確かにそんな感じはする。形が、何というか、自然なのだ。周りの木々もこちらのほうがずっと多い。
足に優しい木道を歩き、その池をぐるっと一周。
地図で見ると、池の西には野鳥誘 ゆう致ち 林というものがある。その言葉にちょっと笑った。誘致、が野鳥に伝わるかな、と思って。でも伝わればいい。来たれ、野鳥。
世田谷区編の世田谷にも世田谷城阯があったが、こちらにも石神井城跡がある。廃城になってから五百年以上経つらしい。まちがいなく、城が城として存在した期間よりずっと長い。
城跡は永久に城跡だ。
いや、でも。例えば百年二百年後には、いつまでも城跡とか言ってないでマンション建てちゃいましょうよ、なんてことになるのかもしれない。ならないでほしい。
そんなふうに考えると、いつも不思議な気分になる。
古いものは残すべし。それをずっと続けていけば、地球はいつか墓の類で埋め尽くされることになるんだよなぁ。理屈としては。
風化よりは消化を選ぶべきなのか。難しい。
また井草通りを渡り、石神井池エリアへ戻る。ここのB地区野球場やテニスコートや駐車場からは富士山が見えるという。
石神井公園通りに出て、コーヒータイム。居留珈さんに入る。贅沢すき焼きの流れで、よそにくらべれば安いブルーマウンテンを頂く。
うーん。美味。
などと言っている場合ではない。肝心の物件を見るのを忘れていた。
今日はいいんじゃないすか? という悪魔のささやきを無視し、大あわてで石神井公園通りから富士街道へ。
どうにか物件を確認。
警察署が近いので、心強い。このパターンは初めてだ。これなら空巣氏も少しはためらってくれるはず。
その代わり、僕が何かしたらすぐに刑事さんが来ちゃうな。歩いて来れちゃうな。あとで署に交通費を請求する必要もないな。いえ、もちろん、何もしませんけども。
最後にバタバタしたが、探索は終了。石神井公園前、とか言わず、公園名がそのまま駅名になっている町、石神井公園。たぶん、
園内と周囲の散策だけで一時間は歩ける。
時として場所が人を豊かにすることもある。
公園と共生。してみたい。
銀座に住むのはまだ早い

惹かれる。侮れない。ありかもしれない。……住みたい!
散歩が好き、川が好き、定食屋が好き、喫茶店が好き。そんな小説家が、家賃五万円以内で住める町を探して、東京二十三区、全部歩いてみたら……。
銀座が好きすぎて銀座に住みたい千葉在住作家が、いきなり銀座はないよなぁ、と二十三区で“住めそうな”町を探索することに。神田にたゆたう神保町。静かに元気な西荻窪。駅前キュートな下落合。何ともほどよい新大塚。未知を知る鐘ケ淵。……どの町も、みんなちがって、みんないい。スマホじゃなくて、地図を片手に歩きたくなる町歩きエッセイ。











