「宿題をしない」「受験が近いのに焦っていない」「親として何をすべきなのか」――そんな子育ての悩みを抱えてはいないでしょうか?
子どもが自立へ向かうために必要なのは、子どもを一人の人間として尊重し、「叱らない」「ほめない」「比べない」こと。アドラー心理学の教育思想をもとに、親や教師が子どもとどう関わればよいのかをやさしく解説した、岸見一郎氏の最新作『アドラーの教育論 対等と自立』。本書の一部を再編集してご紹介します。
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叱られると自分に価値があると思えなくなる
勉強を含め課題に取り組む勇気を持てるためには、自分に価値があると思えなければならないことを見てきました。ところが、今の教育は子どもたちにそう思わせないものになっていることを本章と次章で見ます。
大人は子どもが何か失敗をした時、またよい成績を取れなかった時に叱ります。問題行動をした時も叱ります。アドラーははっきりと次のようにいっています。
「罰すること、諭すこと、説教することでは何も得ることはできないことはいくら強調してもしすぎることはない」(『個人心理学講義』)
叱ることの何が一番問題かといえば、自分に価値があると思えなくさせることです。自分が今しがたしたことについて叱られるのであれば納得できるかもしれませんが、過去に遡っていつ何をしても失敗ばかりしている、あなたは悪い子だというようなことをいわれたら、自分に価値があると思えなくなります。自分のことが好きになれなくなるという意味です。
叱られることで、そのように自分のことが好きになれなかったり、自分が弱くて不完全な人間であると見なすようになると、そのことを課題を解決できない理由にします。
また、子どもを叱ることは他者を仲間とは思えなくさせます。叱ると、叱った人と叱られた子どもの心理的な距離は必ず遠くなります。大人の犯す大きな間違いは、叱ることでこの距離を遠くしておいてから、教育しようとすることです。教えなければならないことは多々あります。しかし、心理的な距離が遠ければ、大人のいっていることが正しいと思っても、受け入れようとしなくなります。子どもであれば大人が教えなければならないことは多々あるので、そうであってはいけないのです。これは大人同士でも同じです。
叱る大人を仲間と思えない子どもは他者に貢献しようとは思わなくなります。子どものためだと思って叱っている人がいるかもしれませんが、貢献感を持てた時に、自分に価値があると思えるのですから、子どもがそう思えなくすることは決して子どものためにはなりません。
また、叱られて育った子どもは大人の顔色を窺い叱られないようにふるまうようになります。そうなると、自分で自分の行動や自分自身の価値を認めることはできなくなります。
一般に、叱られて育った子どもは「いい子」になるかもしれませんが、人間としてはスケールが小さくなり、自分で創意工夫しなくなります。自分で考えて行動して叱られるくらいなら自分では何も考えずに大人がいうことをしておこうと考えるようになると、今何をするべきなのかを自分では判断できなくなります。

結果さえ出せばいいと思う
よい結果を出せなければ叱られるという経験を繰り返すと、とにかく結果さえ出せばいいと思うようになることがあります。勉強(大人になれば仕事)は結果を出すことが求められます。医師になって病者を救いたいという動機が純粋でも、医学部に合格できなければ医師になることはできません。
それなのに、子どもを叱ると、叱られないためにはどうすればいいかと考え始めるようになります。しかし、結果だけが問題であれば、必ずしも良心的に行動する必要はないことになります。カンニングをしてでも合格しさえすればいいことにはなりません。
教師が自分の指導を棚上げにして、子どもに悪い点数のついた答案用紙を家に持ち帰らせると何が起こるかという想像をすることは必要です。子どもは親に叱られるでしょう。そうすると、やがて答案用紙を隠すようになります。カンニングをしたり、試験を受けなかったりします。試験を受けなければ結果が出ないからです。
勉強に限らず、仕事でも叱られることを恐れて失敗をしたのに隠すようになる人は自分にしか関心がなく、力があっても自分のためにしか勉強しなくなります。

即効性はあるが有効ではない
叱る代わりに何ができるかはすぐ後で考えますが、叱ることには即効性はあっても、教育の方法としては有効ではありません。自分に価値がないと思うようになること、心理的な距離を遠くすること、結果さえ出せばいいと思ってしまうようであれば、叱ることをやめなければなりません。
即効性があっても有効でないというのは、叱られたらすぐに問題行動をやめても、またすぐに同じことが繰り返されるということです。また、叱る先生の前では勉強をしても、自発的に勉強しようとはせず、見張っている人がいなかったら勉強しなくなってしまうというようなことです。
叱ることでは問題は続くことを親や教師は知っていても、それに代わる方法を知りません。もう少しきつく叱れば行動を改めるだろうという希望を捨てることができないので、毎日同じことの繰り返しになってしまいます。
そうであれば、叱ることの程度が足りない、つまり、もっときつく叱れば子どもは改心して問題行動をやめたり、勉強するようになることは決してなく、叱るという方法そのものが教育の方法として有効でないということです。
叱らないだけでは十分ではない
それでは、叱る代わりに何ができるのか。大人が子どもの自尊心を傷つけるような言葉を発しなくなるだけで、子どもが元気になることはありますが、ただ叱るのをやめるだけでは事態はいよいよ収拾がつかなくなることがあります。
先に「問題行動」という言葉を使いましたが、正確には、大人が問題だと判断する行動という意味です。実質的な迷惑を及ぼす行動は放置することはできませんが、子どもが勉強しないというような本人にしか影響が及ばない行動は、問題行動ではありません。子どもの課題であり、勉強しないことの結末は子どもにしか降りかからないので、原則的には親は口出しをすることはできません。もちろん、叱る必要もありません。

ただ「やめなさい」と毅然とした態度を取る
ただし、実質的な迷惑を及ぼす行動であれば、それは止めなければなりません。叱ってはいけないというと放任を勧めていると思う人がいますが、そうではありません。実質的な迷惑を及ぼす行動は放任するわけにはいきません。
もしも自分がしていることが他者に実質的な迷惑を及ぼしていることを知らないのであれば、丁寧に言葉でそういうことはしてはいけないと教えればやめるでしょう。
しかし、幼い子どもでなければ自分のしていることが叱られる行動であることを知らないはずはありません。自分の行動がどういうものかを知っている場合でも、叱る必要はありません。毅然とした態度でそれはしてはいけないことだと教えればいいだけです。その際、感情的になる必要はなく、ただ言葉でそれはしてはいけないと伝えればいいのです。
ところが、毅然とした態度を取ることは簡単ではありません。ただ「やめなさい」といえばいいのに、感情的になってしまい、威圧的になってしまうからです。毅然とした態度と威圧的な態度の違いは、周りにいる人が怖いと感じるかそうでないかでわかります。威圧的な人の言動はただそれが向けられる人だけでなく、周りにいる人にも向けられているように感じられ、当事者でないのに怖く感じます。
叱ることは、国家間の関係では戦争に相当します。戦争が外交に頼らないで問題を解決しようとすることであるように、叱ることは話し合いをしないで問題を解決しようとすることです。アドラーが教育が世界を変えると考えたのは、家庭や学校などで感情や力ではなく言葉を使うことで問題を解決することが当然と見なされるようになれば、戦争は必要ではなくなるからです。
責任を取ることを教える
次に、責任を取ることを教えることです。先に引いたアドラーの言葉の中にある「特別の配慮」をするというのは、失敗したのにその責任を取ることを免除することです。責任を取らなくてもいいことを学んだ子どもは大人になっても謝罪せず、それどころか、部下に責任を転嫁しようとするようになるかもしれません。失敗の責任の取り方は先に見ましたが、それができれば叱る必要はありません。
叱られてでも注目されようとする
叱られると知って問題を起こしているのであれば、叱られれば注目されることを学びます。叱られたくないでしょうが、叱られてでも注目されたいと思うのです。そのような子どもは叱ったのにいうことを聞かないのではなく、叱るからこそ問題行動をするようになります。親が一番困ることを一番困るタイミングで仕掛けてきますから、多くの親は叱らずにはいられませんが、叱られたい子どもを叱ることにあまり意味はありません。叱られるとその場ではやめてもまた同じことを繰り返すのは、適切な行動をしていても注目されないからです。
ほめられて育つとほめられないと気がすまなくなる
適切な行動をした時に注目されないとなぜ不満なのかは次章で見ますが、ほめられて育つとほめられないと気がすまなくなるのです。難しい問題がありますが、適切な行動に適切に注目したら、やがて問題行動をしなくなります。適切な行動に注目するというのは既に見たように、貢献に注目することです。適切な行動をした時はもとより生きていることで他者に貢献していることを教えたら、問題を起こしてまで注目されようとしなくなります。子どもの視点からいえば、普通にしていてもいいと思えることには勇気がいります。
叱ることで問題行動をやめさせることはできません。闇が光を当てたら消えるように、適切な面に注目しなければなりませんし、適切な面に注目するというのは、子どもの行動、さらには存在が他者に貢献していることを教えることです。
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アドラーの教えを実生活に生かしたい方は、『アドラーの教育論 対等と自立』をお読みください。
アドラーの教育論

「叱らない」「ほめない」「比べない」――それは、子どもを放っておくことではない。子どもを一人の人間として尊重し、自立へ向かう力を信じるための、アドラー心理学にもとづく教育のあり方だ。親がよかれと思ってやっている、「叱る」「ほめる」「先回りして手を出す」、こういった「教育」は、時に子どもの決断力や責任感を奪ってしまう。大切なのは、子どもを支配するのではなく、対等な関係の中で見守り、勇気づけること。本書では、アドラーの教育思想をもとに、子どもの自立を支える親や教師の関わり方をわかりやすく解説。競争、承認欲求、劣等感、受験、失敗、課題の分離、見守る勇気――。子育てや教育の現場で直面する問題を通して、子どもとの関係を見つめ直し、親自身の肩の荷も軽くなる一冊。子育て中の親はもちろん、教育関係者、親子関係や対人関係に悩むすべての人に向けた、実用性と教養性を兼ね備えたアドラーの教育論。











