性加害事件が次々と発覚し、無自覚な加害者が生まれる背景には、どのような構造があるのでしょうか。ハーバード大学医師、内田舞氏による『ジェンダー・ジャスティス 社会の無意識が生み出す性と権力の構造』は、個人を断罪するのではなく、社会を考える本として多くの方に読んでいただきたい本です。3月25日の発売を前に、「はじめに」をご紹介します。

権力構造、沈黙を生む文化、被害者よりも組織を守る論理
この数年、日本の芸能界やテレビ業界をめぐって、性加害やハラスメントに関する報道が相次いでいます。
こうした出来事に触れるたび、強い怒りや失望を感じた人もいれば、戸惑いや居心地の悪さを覚えた人もいたでしょう。
はじめに明確にしておきたいのは、本書は特定の事件の真偽や人物の責任を断罪することを目的としたものではない、という点です。
本書は、「個人を裁く本」ではなく、「社会を考える本」です。
私自身、個々の告発内容が事実かどうかを断定する立場にはありません。
しかし、それらの報道をきっかけに可視化された社会の「反応」や「認知」については、立ち止まって考える必要があると感じています。
なぜ、長年問題視されなかったのか。
なぜ、声を上げることがこれほどまでに難しかったのか。
そして、問題が明るみに出たとき、なぜ社会はときに過剰とも受け取られかねない反応を示すのか。
本書が向き合うのは、こうした問いです。
2023年末、タレントの松本人志氏をめぐる性加害疑惑の報道が大きな注目を集めました。
報道では、過去の会食の場で、女性が強い心理的圧力を感じる状況に置かれたとする証言が紹介されました。
ここで重要なのは、個々の行為の詳細ではありません。仕事上の立場や力関係の差がある場面では、「断ることが難しい」、あるいは「嫌なことがあった後も声を上げられない」状況が生まれ得るという構造が、多くの人にとって現実的なものとして受け止められた点です。
パワーバランスの不均衡は人の判断や行動に多大な心理的な影響を及ぼしますが、社会的に「強い」立場にある側にとって、弱い立場の尊厳が侵害されていることは、往々にして見えにくいものです。そしてときに、弱い立場に置かれた当事者自身ですら、深く傷つきながらも、それを「仕方のないこと」と受け入れてしまうことがあります。
このニュースに触れ、「あの場の空気は想像できる」と感じた人が少なくなかったこと自体が、社会の現実を示しているように思います。
同様に、タレントの中居正広氏と元フジテレビ女性アナウンサーとの間で起きたとされる問題では、業界内の力関係や、女性を「品(しな)」として扱う慣習などが背景にあったと指摘されました。第三者委員会による調査を経て、放送局のガバナンスや業界体質そのものが問われる事態へと発展したことは、この問題が個人の資質だけでは説明できないことを示しています。
これらの報道では、「女性の上納」や、飲み会後に女性を「お持ち帰りする」といった表現が使われることもありました。 本来、これらは物品に対して用いられる言葉です。 女性がそのような言葉で語られ、違和感なく通じてしまう社会そのものが、女性の尊厳の軽視を象徴していると私は感じています。
さらに、日本社会により深い衝撃を与えた出来事として、長年にわたり国民的アイドルを生み出してきた芸能事務所、ジャニーズ事務所をめぐる性加害問題があります。創業者である故ジャニー喜多川氏による未成年者への性加害が、被害者の証言や国内外の報道を通じて広く知られることになりました。
この問題が突きつけたのは、特定の個人の加害性だけではありません。長年にわたり被害の声が存在していたにもかかわらず、それが十分に検証されず、沈黙が維持されてきた社会構造そのものです。
事務所の圧倒的な影響力、芸能界の閉鎖性、メディアとの力関係、そして「夢を壊してはいけない」「業界の常識だから」という空気。こうした要素が重なり合い、被害者の尊厳よりも、組織やブランド、経済的利益が優先されてきました。
このような構造は、日本社会に特有のものではありません。
アメリカを中心に広がった #MeToo 運動では、映画業界、企業、政治の世界において、長年黙認されてきた性暴力やハラスメントが次々と告発されました。また、カトリック教会における聖職者による児童性虐待、さらに国際的なスポーツ界においても、指導者や組織の権力の下で被害が隠蔽されてきた事例が数多く報告されています。
これらに共通しているのは、 権力構造、沈黙を生む文化、被害者よりも組織を守る論理が温存されてきたという点です。
問題が明るみに出た後も、「誰を排除するか」に注目が集まり、「なぜそれが可能だったのか」という問いは、十分に共有されないことが少なくありません。
性加害疑惑が報じられた芸能人は、活動休止や引退という形で表舞台から姿を消すこともあります。 社会的責任を問われ、支持を失うこと自体は避けられない面があるでしょう。
しかし私は、こういった「キャンセル・カルチャー」そのものが健全な解決策だとは考えていません。一人の人物を排除することで、社会が抱える構造的な問題が解消されるわけではないからです。
また、「今ならこの人を叩いていい」という空気が生まれた瞬間、個人に対して過剰な攻撃が集中し、再起の余地すら与えられない状況が生まれます。その構造は、正義の名を借りた集団的ないじめと重なる部分があり、社会に新たな暴力を生み出す危険性をはらんでいます。
性加害は、加害者と被害者の間だけで完結する問題ではありません。
加害を黙認、あるいは助長してきた組織。
「噂は聞いていた」「あり得ると思っていた」と問題を認識しながら、声を上げる人を守らなかった業界。
バラエティ番組で女性に際どい発言をさせ、容姿を揶揄し、性的に消費することを笑いとして許容してきた社会。
こうした背景が変わらない限り、同じ問題は形を変えて繰り返されます。
本書では、性加害がなぜ起きるのか、その背景にある社会構造、パワーバランス、そして無意識の偏見を読み解きながら、性加害を起こさない社会をどう作るのか、被害を受けた人の安全と尊厳を、社会としてどう守るのか、について考察し、提言していきます。
社会に共有されている認知は、文化として深く根付き、無意識の中に刻み込まれています。
それを変えるには時間がかかります。
それでも、自分自身の無意識に目を向けることから、社会は少しずつ変わっていくはずです。
本書が、そのための静かな出発点になればと願っています。












