明治以降、欧米追随だった日本の美術界から、独自の作風で世界的評価を得る作家が登場する時代になりました。その立役者の一人がミヅマアートギャラリーの創設者、三潴末雄氏です。3月5日発売になった文庫『アートにとって価値とは何か』は第一線のギャラリストの奮戦記であり、価値創造の舞台裏です。現代美術がさらにおもしろくなる本書より、「第三章 アートマーケット激動の中で」の一部を抜粋してお届けします。

会田誠の代表作『あぜ道』も信じられない値段
作家の値打ちを評価してもらうには、ギャラリー内だけでなく、大きな国際展など、なるべくハイレベルな展覧会に出展し、多くの人々の目に触れるようにする必要がある。そのため、まず第一に作家の最初のファンとしてギャラリストが作品を所有した上で、その価値をマーケットの論理に変換し、絶えずプロモーションのための情報を発信していかなければならない。
作家とギャラリストの関係はギャラリーによって様々だが、ミヅマの場合は作家とスタッフが年がら年中、一緒に酒を飲み、とことん人間的に付きあっていくのが流儀になっている。
90年代のはじめ頃は、作家たちは金もなければ、他に行くところもないので、ギャラリーに集まって夜な夜な宴会を繰り返していた。夜中に来ても必ず酒があるとみんなが思っていて、終電のなくなった1時過ぎになると「お前、なんで来たの」「いや、ここに来れば必ず開いていて、酒があるから」「お前、宿代わりに寝にきただけだろう」みたいな連中もいたくらいである。
そんな付きあいの深い作家の一人が、会田誠だ。95年に会田を紹介してきたのは、現在もミヅマギャラリーのご意見番作家の松蔭浩之だった。
青山地区のアートイベント「モルフェ」でのグループ展に「久保荘」の写真を出品した会田と話をしたら、絵描きだというので作品を持ってこさせた。そこで、今では代表作の一つとされている『あぜ道』を持ってきたのだった。正直に言ってびっくりした。「これ、いくら?」と訊いたら30万円だと言うので、即購入した。
彼のその年の収入はこれだけだったようだ(なお、現在『あぜ道』は豊田市美術館のコレクションになっている。開館当時の美術館の学芸員に「将来的に会田誠の展覧会やコレクションを充実させるから」と懇願され、わたしと会田との出会いの記念碑的な作品を手放したのである。残念ながら、まだ豊田市美術館はこの口約束を履行してくれていない)。
当時の会田は、大森にあったレントゲン藝術研究所のグループ展「fo(u)rtunes」(1993年)でデビューしたばかりだったが、誰もろくに作品を買おうとしなかったそうだ。それで展示の終わった作品を捨てていくと会田が自嘲的に言ったら、スタッフの女性(現・山本現代オーナーで椹木野衣夫人の山本裕子氏)が「そんな。会田さん、ふさいじゃ駄目よ。わたし、1枚買う」と、展示作品の『ブルータス』を数万円だかで買ったのが唯一の売り上げだったという(この作品は現在、高松市美術館のコレクションに収まっている)。
会田の作品を見て、どうしてこの才能を見抜けなかったのだろうかと世の中の見る目のなさにびっくりしたと同時に、フリーの会田にプロポーザルできる僥倖に感謝した。
その少し前の時期に、デビュー間もない村上隆もわたしのところに作品を持ってきた。それは彼の最初の個展「TAKASHI, TAMIYA」(1991年)で展示されていた、タミヤ模型をモチーフにした小さめの作品だった。話を聞くと、スカイ・ザ・バスハウスの白石正美から紹介されてきたとのことで、一通りのプレゼンを受けた。わたしはせっかく来てくれたのだからと、彼の作品を今では考えられない安い値段で買った。
わたしの記憶では、村上の作品を最初に買ったのは白石でこちらが2番目のケースだったはずなのだが、彼が最近ラジオ番組『FM芸術道場』で話したところによると、どうやらわたしが買った時点では白石は紹介しただけで、購入はしていなかったらしい。わたしが購入したあと、再び村上が白石を訪ね、わたしが「白石君も買わなければ駄目だ」と言ってました、と申し入れたら、改めて白石も買ってくれたという話だったそうだ。それが本当ならば、初めて村上の作品を買ったのはわたしということになる。いずれにしてもその家宝はいまだに手元にある。
些細な前後関係はともかくとして、初めて他人に作品が売れたときの村上の嬉しそうな表情は今でも忘れられない。そのときの喜びを若い作家にも経験させるために「GEISAI」を組織したのだと、のちに村上から聞いたことがあった。実に義理堅い男である。
このようにして、村上隆と会田誠という、以後の日本の現代アートを代表する両アーティストのデビュー当初に出会うことができたのは、本当にギャラリスト冥利に尽きる。
なお、その『紐育空爆之図』は、一連の「犬」シリーズなどとともに「アートフェア」東京の前身にあたる「日本コンテンポラリーアートフェスティバル(NICAF)」に出展したのだが、これも期間中にはさっぱり売れなかった。そこで「犬」シリーズのうちの『月』はわたしが自分で買ったのだが、『紐育空爆之図』とともに、のちに精神科医の高橋龍太郎がバブル後に暴落したオーストラリアの土地を売ってできた資金(200万円位)で購入している。
高橋龍太郎は、売れない時期から会田に目をかけてくれた数少ない目利きの一人で、ミヅマで開いた「男の酒〜ミレニアム〜」(1999年)という個展でも、ろくに売れるような作品がない中、ベニヤ板に描いた『ジューサーミキサー』のエスキースを30万円ほどで買ってくれたりしていた。それが本展の唯一の売り上げだった。
こうして高橋コレクションに加わったことが、その後の会田の飛躍にとっては非常に大きなきっかけの一つになった。
会田のみならず、1997年から本格的に日本の若手現代アート作家たちの作品を網羅的に蒐集している高橋コレクションは、かつてわたしが東京都現代美術館に対して「かくあるべし」と提言した蒐集スタイルに、現状最も近いことをしている動きと言えるのかもしれない。
志を同じくする氏の貴重なコレクションには、まったく頭の下がる思いだ。しかしながら、2000点にも及ぶコレクションを見せる常設の場がないのは残念な話でもあり、日本の文化的損失だ。
アートにとって価値とは何か

2026年3月5日発売の文庫『アートにとって価値とは何か』について。
カバー作品:
宮永愛子《夜に降る景色 ー時計ー》2010
ナフタリン、ミクストメディア 22.4 × 30.5 × 19 cm 撮影:宮島径
©︎ MIYANAGA Aiko
Courtesy of Mizuma Art Gallery











