4月になり、新生活に胸を躍らせる方も多いのではないでしょうか。ふたりの女子大学生の連帯を描いた、真下みことさん『春はまた来る』は、ぜひこの春大学生になった方や、その親世代の方に読んでいただき、この先の大学生活を健やかに過ごしていただきたいという願いも込められた一冊です。試し読みをお届けします。
* * *
(承前)
「警察に話しに行こう」
順子は少し考えてそう言ったが、紗奈は首を振った。
「嫌」
そう言って、紗奈は順子を睨んだ。
「なんで? こんなの、犯罪じゃん」
「でも、未成年飲酒だし」
「未成年飲酒?」
「私の誕生日、九月十五日だから」
「ああ、なるほど」
順子は自分が二十歳になっていたから気づかなかった。大学二年生にはまだ、十九歳で飲酒が許されていない人がいるのだ。
「それに警察に言ったら、私が悪いって言われるかもしれない」
そう神妙な面持ちで俯く紗奈に、今回の場合は悪いのは紗奈ではなく、相手のはずなのにと、順子は不思議に思った。
「やめてって、言わなかったの?」
順子は当然思い浮かんだ疑問を投げかける。すると紗奈はこちらを向いて、薄く笑った。
「言わなかったと思う?」
紗奈はこちらを軽蔑しているような眼差しで、順子はすぐにごめん、と謝った。
「何度も言ったよ。やめてください、やめて、お願いだからやめてください、本当にやめてください、今やめたら全部忘れるから、どうしてやめてくれないの。やめて、の言い方にこんなにバリエーションがあるなんて、自分でもびっくりするくらい」
「本当に、ごめん」
順子は続けて謝ったが、紗奈はまたその場面に戻ったかのように涙目になっていた。
「誰も、何も聞いてくれなかった。全部全部聞こえないふりで、自分たちのやりたいことを続けるの。その間私が何を考えてたかわかる? 自分を責めてたの。もう一人の子が来れなくなった時点で行くのをやめておけば、男ばかりの飲み会なんて断れば、王様ゲームを断れば、コールを断れば、少し酔ってきたところで適当な予定をでっち上げて帰っておけば、って」
「ごめん。私が考えなしで」
そう言うと、紗奈は黙り込んだ。麦茶も飲み干して、しばらくの間、順子の家は沈黙に包まれた。一人でいる時よりもずっと、部屋が静かに感じられた。紗奈は頭が痛いと言って再びベッドに向かった。順子は部屋を薄暗くし、紗奈が起きないように静かにできる課題、手書きのレポートなどをやっていた。
昼前の時間になったが、順子の家には人に出せるようなご飯はなかったので、どこかに食べに行こうかと思った。
「お昼、どうする?」
うとうとしている紗奈に、順子は小声で話しかける。家に帰らないの、とは、なんとなく聞けなかった。紗奈は何も返事をしなかった。
「うち、まともなご飯ないから、外で食べるとかどう? 駅前に出ればファミレスとかあるし」
「外、出たくない」
「でもうち、何にもないよ」
「多田さんに会うかもしれない」
そう言った紗奈の声は震えていて、順子は昨日握った紗奈の右手を思い出した。紗奈はまだ、昨日の恐怖の中にいるのだ。
「じゃあ、コンビニで買ってくるよ。何がいい?」
「何も食べたくない」
「そしたら適当に買ってきちゃうね。食べたくなければ食べなきゃいいから」
順子はそう言って席を立った。紗奈が食べなかった分は自分の食事にすればいい。財布を持って部屋を出ようとすると、後ろから声がした。
「帰ってきてくれるよね」
紗奈は心底不安そうに、ベッドから声を上げていた。順子はその様子が小さな女の子のように見えて、愛らしさと同じくらいの痛々しさを感じた。
「私はここに帰ってくるよ」
そう言って、順子は家を出た。

コンビニに行くまでのおよそ十分の間、順子は紗奈から聞いた話を頭の中で整理していた。紗奈のサークルの多田さんという先輩の家で行われた宅飲みで、紗奈が多田さんに酷いことをされた、ということで間違いないのだろう。その場には他に紗奈と同期の男子が二人いて、彼らもそれに加担したのだ。
アスファルトをスニーカーで蹴りながら、順子は考えを巡らせる。
話を聞いてまず思い浮かんだのは、宮田くんの言葉だった。
――俺、多田さんだけは尊敬してるんだ。
宮田くんのことは、順子だってよく知っているつもりだった。その宮田くんが尊敬する先輩が、そんなことをしただなんて、順子としてはまさかという気持ちだった。彼らはこういうことをするのは初めてだったのだろうか。話の流れを聞く限り、ゲームが盛り上がってついそうなってしまったというようにも、計画的に、常習犯的にやっているというようにも思えた。紗奈の話の通りであったなら、彼らは絶対に許されるべきではない。
「だけど」
順子はそこで立ち止まった。曲がり角を一つ通り越していたらしい。遅れて左に曲がり、くるりと道を戻る。
順子はそれから、自分でも残酷だと思う考えが浮かぶのを止められなかった。紗奈が言ったようなことがあったのだとしても、それは高学歴男子を捕まえたいと言っていた彼女の、自業自得なのではないかという考えだった。
――高学歴男子まじでちょろいから。
同窓会でそう言っていた紗奈の言葉を聞いて、嫌な気持ちになったのは嘘ではなかった。自分の友人が、ちょろいと言われていることに、反感を抱いたのは事実だった。
今回だって、そもそも紗奈が高学歴男子との出会いを求めてインカレサークルに入らなければ、起きなかった事件なのではないかと思った。しかしそれが最低な考えだということにも、順子は気づいていた。
ふと顔を上げると、いつも使うコンビニに着いていた。中に入ってカゴを取り、梅とおかかのおにぎりとミックスサンドウィッチ、カップに入っているインスタントの味噌汁とトマトスープを入れた。和風がいいと言われても洋風がいいと言われても対応できるようにしたつもりだった。レジで袋を買い、一応箸を二膳もらった。順子の家にも予備の箸はあったが、割り箸の方が綺麗だろうと思った。
先ほど頭に浮かんでしまった考えを振り払うようにして、順子は帰り道、何も考えないようにして歩いた。街にはいつもより人が多く、そこにいる誰もが、いつもよりも浮かれているように見えた。
「ただいまー」
いつものように部屋に挨拶をして鍵をフックにかけると、中から「おかえりー」という声がして、順子は一瞬驚いた。紗奈がいるのはわかっていたが、ただいま、と言っておかえり、が帰ってくるのが随分と久しぶりだった。手を洗ってから部屋に向かい、レジ袋の中身を紗奈に説明する。
「色々買ってきたけど、和風と洋風どっちがいい?」
紗奈は先ほどはいらないと言っていたが、食べ物を見たら気が変わったようで、
「おにぎりと味噌汁がいい」
と言った。紗奈はサンドウィッチなどを食べるイメージがあったので意外だったが、食欲があるというのはいいことだと思ったので、順子は少し安心した。
「お湯沸かすから待ってて」
小さなキッチンにある湯沸かしポットに水道水を注ぎ、それからスイッチを入れた。ゴー、と独特の音が鳴り、順子は冷蔵庫から麦茶を持って部屋に戻った。二人のコップに無言で麦茶を注いでいると、紗奈がぼんやりとそれを見ている。
「ごめん、麦茶、嫌い?」
今更だったがそう聞くと、紗奈は首を横に振った。安心してピッチャーの中身を注ぎ終わり、順子はキッチンに戻って新しい麦茶を作った。いつもの安い麦茶のパックを入れ、水道水を注いでいく。小さい頃、友達の家に行った時に麦茶の味が自分の家のと違うのが不思議だったが、うちの実家の麦茶と、順子がここで作る麦茶の味も少し違う。麦茶のパックと、それから水道水の味が地域によって違うとか、そういう理由なのだろうか。それとも味自体は実はみんな同じで、家ごとの柔軟剤や芳香剤の香りが、違うように感じさせているのだろうか。色が違っても味はほとんど同じだというかき氷のシロップと同じ原理で。
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春はまた来る

2月19日発売の真下みことさん『春はまた来る』に関する記事を公開します。
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