大学受験シーズンも終わり、春からの新生活に胸を躍らせる方も多い季節です。ふたりの女子大学生の連帯を描いた、真下みことさん『春はまた来る』は、ぜひこれから大学生になる方や、その親世代の方に読んでいただき、来る大学生活を健やかに過ごしていただきたいという願いも込められた一冊です。試し読みをお届けします。
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第二章
春はいつも、突然やってくる。昨日まではコートを着ないと寒かったくらいなのに、今朝起きたら二十度をゆうに超えていた。平年に比べてかなり遅かった桜も、気づけばもう散り始めている。
「二年になったら楽になるって聞いてたのに」
四月の初め、いつものように授業が終わった後、順子たちは学食に来ていた。隣の男子の愚痴を、本当に、と受ける。
「基礎実験まだあるんだね」
「まじでそれ。てか明日じゃん」
そう言いながら彼は再びプログラミングの課題に取り組み始めた。順子も明日が締め切りの英語の課題に取り掛かる。
入学から一年が経ち、順子たちは二年生になっていた。時間割を組むことを「履修を組む」と呼ぶのにも慣れ、定期テストはこの勉強会のおかげで乗り越えることができ、成績も中の上をキープしていた。テスト終わりに打ち上げに行って順子だけが烏龍茶を飲むのにも慣れた。同窓会だけではなく、やはりみんな飲酒はしているのだともわかった。
宮田くんはバイト先の居酒屋で彼女ができて、それから別れた。ずっと気になっていた同期に告白して付き合ってみたが、何かが違ったらしい。付き合う前はサバサバした感じだったのに、付き合った途端に宮田くんが他の女の子と会うのは全て嫌だと言ったそうだ。でも卒業できたからラッキーだったと、宮田くんはいつかの飲み会で酷く酔っ払った時に言っていた。卒業って? と順子が聞いたら、周りのみんなが何やらすごく慌てていたので、順子は烏龍茶しか飲んでいなかったのにとてもおかしくなって、いつになく笑ってしまった。
「今日、あの二人いないね」
隣の男子があたりを見回して言った。
「宮田くんと村井くん?」
実は気になっていたため、順子はすぐにそう返した。
「そーそー」
サークル、こんな早くにやるもんかな、と彼は独り言のように言ったので、順子はそれに対して何も返さなかった。
いつものお茶を片手に課題を進めていると、後ろの方から笑い声が聞こえてきた。それは聞き間違いでなければ宮田くんと村井くんの声で、順子はゆっくりと振り返る。
「えーこんな感じなのー? ウケるー」
宮田くんと村井くんの間に、女子が一人いた。花柄のトップスにデニムのミニスカートを合わせた、うちのキャンパスにはあまりいないタイプ。髪色も明るく、メイクもしっかりしている。
顔を上げると宮田くんと目が合い、順子はすぐに逸らした。自分とその女の子を比べられたくないと、無意識に思ったのかもしれない。宮田くんは特に気にする様子もなく、順子たちが座る席にやってきた。
「ここが、俺たちがいつも使ってるとこ」
宮田くんが女の子に説明し、彼女にも着席を促した。
「へえ、そうなんだ。指定席的な?」
「指定席とかじゃないけど、俺らはなんとなくこの辺に座ってるって感じ」
「ふうん」
女の子は長いまつげをパチパチと動かし、面白い、と繰り返し言っている。
「二人は知ってると思うけど、女子大ってめっちゃ警備が厳重じゃん?」
「確かに、新歓のときも中には入れてもらえなかったな」
村井くんが言った。
「そうそう。W大の中にこんなに簡単に入れるとは思わなかった」
「外のベンチでピクニックしてる家族連れとかもいるんだよ」
宮田くんが言った。すると彼女は面白いねえ、と呟くように言って、私たちの方を眺める。
「女子はこの子しかいないの?」
そう言って、彼女が順子を手で示した。順子が答えるべきか、宮田くんへの質問なのかわからなかったが、順子はゆっくりと頷く。そこでようやく謎の女の顔を見て、気づいたのだ。彼女が、倉持紗奈であるということに。一年ほど前に同窓会で見た時と比べて、服装や髪型、メイクが全て洗練されていたので、すぐには気づけなかった。
「うちの学科は男子九十人女子十人だから」
宮田くんが答えると、倉持紗奈は嘘、と笑った。
「男子校じゃん」
「でもまあ、ほら、女子いるから」
そう言って宮田くんが順子を見たので、順子は思わず俯いた。
「えーじゃあ仲良くしようよ。女子同士」
「あ、はい」
仲良くも何も元同級生なのだが、それをどう切り出せばいいのかわからない。
「私、倉持紗奈。宮田くんと村井くんとは同じサークルなの。ライムスマッシュってわかる?」
わからなかったが、おそらくサークル名だろう。
「あ、なんとなく」
「大学はこっから二駅のとこにあるT女子大」
「へえ」
それについては同窓会で聞いていた。
「ってか私、W大の女子って初めて喋ったかも。名前は?」
そう聞かれて、順子は話すなら今だと思った。
「あの私、国咲高校で」
「まじ? え、すごい偶然。私も国咲高校なんだけどー!」
倉持紗奈がいきなりテンションが上がったように笑った。
「え、W大現役で入った?」
「はい」
聞かれてすぐは、その言葉の意味がわからなかったが、これは浪人生である場合、学年が違う可能性を考えての発言なのだろう。
「嘘。名前は?」
「牧瀬順子です」
順子はなぜか、紗奈に対して敬語になっていた。
「倉持さんとは二年のとき同じクラスで」
「B組? で牧瀬? 牧瀬、牧瀬……。ああー! 牧瀬さん?」
「あ、はい」
順子としてはぎこちなく頷くしかなかった。倉持紗奈が思い出したのが、どの場面の順子なのかわからないし、もしかしたら思い出していないけれど合わせてくれた可能性もあったからだ。
その様子を、周りにいる男子はなんとも言えない表情で見守っていた。彼らからすれば、交わるはずのない世界が交わっているのだ。不思議に見えてもおかしくはない。
「なんか羨ましいなあ、学食でみんなでお勉強」
倉持紗奈がそう言ったので、宮田くんがすかさず、
「いつでも来なよ。紗奈は自分の課題とかやればいいし」
と笑顔で言った。宮田くんは、倉持紗奈のことが気になっているのだろうか。
「なんか校舎もコンクリート打ちっぱなしで地味だし、学食も黄緑っぽくて芋っぽくてださいし、けどそれがなんか温かみって感じでいいよねえ」
宮田くんの提案には答えず、倉持紗奈は伸びをした。
「みんなパソコン持ってるのが本当にウケる」
「え、大学にパソコン持っていかないの?」
別の男子が聞くと、
「持ってかないよ。重いし、授業では使わないし。基本パソコンは家にあって、レポート書く用、みたいな」
と倉持紗奈が言った。そうなんだ、とカルチャーショックを受ける様子の男子に、順子も驚きながら倉持紗奈を見ていた。
一年前と、どこが違うんだろう。とにかく明るい茶髪としか言いようがなかった髪色は、茶色と一言で表せない、絵の具を何色も混ぜたような複雑な色に変わっている。メイクもただの濃いメイクでもナチュラルメイクでもない、あか抜けた印象に変わっていた。というか心なしか、目自体が大きくなったような気がする。といっても、順子は髪を染めたこともメイクをしたこともないので、その印象が本当に正しいのかはわからないのだが。
結局その後、倉持紗奈と宮田くんたちは飲み会があると言って帰っていった。順子たちはひたすらに課題をこなす機械のようになった。
「英語の要約終わった?」
「基礎実験の事前レポートって手書き何枚?」
「データベース概論の課題解けた人いる?」
そんないつも通りの会話を繰り広げ、十八時を過ぎるとだんだんと人が減っていく。順子も例外でなく、十八時十分くらいに席を立ち、家路についた。
「ただいまー」
部屋に挨拶をして鍵を閉め、キーケースを玄関のフックにかける。洗面所で手を洗ってうがいをし、靴下を洗濯機に入れる。ワンルームの部屋に向かい、デスクにパソコンを置き、コードを繋いで充電を始めた。
家に帰ってからのルーティンは、一年間ずっと変わっていない。順子はため息をついて椅子に座り、明日の授業に合わせて教科書をリュックに詰め替えた。
今日、倉持紗奈が、うちの大学に来た。宮田くんと村井くんにどんな意図があったのかはわからない。けれど倉持紗奈が食堂に来て、順子と仲良くなりたいと言った。言葉の全てを真に受けるほど子供ではない順子だが、高校生のときに話しかけることすらできなかった人と、敬語になってしまったとはいえ話せたのだ。
そういえば入学当初、宮田くんたちと話すときも、同じような感慨を抱いていた。高校のときは交わることのなかった世界の人々。そんな言い方は大袈裟かもしれないが、順子にとってはそれが当たり前だった。
倉持紗奈はきっと、順子を覚えていない。空気を悪くしないように、思い出したと言ってくれたのだ。彼女は「上」の人だったが、彼ら一人ひとりが悪い人ではないのだと、順子は思っている。
そんなことを考えていると、スマホの通知が鳴った。

【倉持紗奈:順子ちゃん! 二年B組のグループ見てたら本当にいてびっくり! 友だち追加しちゃった♡】
読み終わり、順子は思わず眉を寄せる。
「え?」
高校では、クラス替えがあると新しいクラスでチャットのグループを作っていた。連絡事項を流したり、行事の写真を共有したりするのに使うのだ。順子も二年B組のグループには入れてもらっていたが、今もまだそれが残っているとは思っていなかった。そしてそれを使って倉持紗奈が順子を「友だち」に追加するだなんて、信じられなかった。
あまりに返事をしないのも失礼かと思い、順子はありがとうございます、とだけ打ち込んで返す。するとすぐに返事が来る。
【倉持紗奈:順子ちゃん硬すぎ笑】
これに関しては何を返せばいいのか見当もつかなかったので、順子は読むだけ読んで何も返事をしなかった。
倉持紗奈の目的は一体何なのだろう。そう考えたときに真っ先に思い出されるのは、去年の同窓会での「高学歴男子まじでちょろい」発言だった。サークル内だけでは飽き足らず、サークル外の高学歴男子を捕まえようとしているのだろうか。順子としては、自分の周りにいる男子が高学歴男子に分類されることに違和感はあっても、それが特に不快だとかそういう気持ちはなかった。だとしても、順子に連絡を取る理由は全くわからない。彼女の狙いはついに高学歴女子になったのだろうか。
今日は不思議なことがあったと思っていたところで、倉持紗奈からの連絡というさらに不思議なことが起こり、順子は何が何だかわからなかった。しかしそんなことを考えても意味はないのだと、順子はいつも通りご飯を食べてバイトの作業をし、普通に眠りについた。












