引っ越しを考えている。かれこれ3ヶ月くらい考えている。
考えているのはここ3ヶ月ほどだが、サイトを見てからゆうに半年は過ぎている。というのも物件のサイトを見るのが好きなのだ。
家の間取りを見るというのはテンションが上がるし、自分が住んだらこうしようといった妄想にふけることが出来る。
この家は良いかもしれない、引っ越しても良いかもしれない、ただ決め手が無い、もう少し駅から近ければ……。バルコニーが広ければ……。そう考えているうちに他者からの申し込みが入り、募集が終了となる。実はこれも悪くない。
そうか、これがNTRという物なのか? そうなのかもしれない。
NTRという物にこれまで全く共感出来なかった。
自分の女を寝取られて興奮するという奴はどうかしてると思ってたが、やっと分かった。狙っていた家を取られた時は、横取りしてくれてありがとう。といった謎の感謝さえある。
それともう一つ、「まだこの物件サイト生活を続けられる」といった安堵感なのか。引っ越してしまってはサイトを見なくなる。そうだ。この時間が好きなのだ。付き合う前が一番楽しいのと同じか。
付き合ったらケンカしたり気を遣ったり妥協したり、色んな義務も生まれてくる。それと同じで、いざ住んだら嫌な所も見えてくる。
なるほど。サイトを見てるうちは「良い家だなぁ」と酒が美味い。
そうか、物件探しは恋愛と同じだったのか。
そしてまた違うパターンがある。
絶対に住めないような家賃が100万を超えるような家の間取りを見て、それをアテに酒を呑むことも出来るのだ。これはなんとも言えない時間だ。絶対に手の届かない女を眺めている気分だ。
僕が将来家賃に100万も払うことは絶対に無いだろう。
だが、それでも見ていて惨めな思いがある訳ではなく、むしろ光悦感に浸ることが出来る。
そうか、これが「推し」というやつなのか。
恋愛なら高嶺の花に好意を抱いてしまうと自己嫌悪や自己卑下に陥るところだが、馬鹿高い物件を見ている時は自分に似つかわしくないことはとうに理解しており、憧れのアイドルを見るのはこのような感覚なのではなかろうか。
僕は「推し」という物が今まで居たことが無かったし、理解が出来なかった。『どうせ恋愛感情なんだろ? 付き合いたいんだろ?』と冷やかしたりしたこともあったが、これを機に猛省せざるを得ない。
逆に僕が今、100万円の物件の間取りを見ている時に『お前どうせ住みたいんだろ? 住みたいだけだろ?』と揶揄われたらそいつのことを嫌いになる可能性すらある。
僕は家賃の高い家に住みたい訳じゃない。家賃の高い家の間取りに見惚れていたいのだ。けっして勘違いしないでもらいたい。
そしてまた違うパターン。
これは非常に稀有なパターンではあるが、「地方を歩いた時にふと目についたマンションの間取りと家賃を調べる」という行為だ。
大阪や東京の住んだことのある地域なら大体の予想はつくが、地方だとそうはいかない。『え? この広さでこんなに安いのか? 大阪より余裕で安い。東京でこの値段だったら風呂無し四畳半だぞ!』とテンションが上がるのである。
地方をなんとなく歩いている時があるが(仕事柄、このようなことがかなりある)、その何気ない散歩に凄く彩が生まれる。これは方言を話す女性が魅力的に思えてくるパターンに似てるかもしれない。普段と聞かない言葉遣いをされると新鮮に感じる。
いや、違うか。これは地方の居酒屋が安くて美味いのと同じか。
最後まで恋愛で例えたかったがこれは無理もない。
逆に無理して苦し紛れな終わり方にしなかった自分の謙虚さを褒めたい。
昨今はスマホで何でも出来るようになった。
故に退屈という時間はほぼ感じなくなっているのではないだろうか。
皆さんもスマホを触っていると気付くと5分、10分どころか1時間経っていることも身に覚えがあるはずだ。
周りがスマホでゲームや漫画や映画を楽しむ中、僕だけが物件のサイトを眺めるという状況が、まだまだこの先3~4ヶ月は続きそうだ。
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クロスロード凡説

「ネタにはしてこなかった。でも、なぜか心に引っかかっていた。」
そんな出来事を、リアルとフィクションの間で、書き起こす。
始まりはリアル、着地はフィクションの新感覚エッセイ。
“日常のひっかかり”から、縦横無尽にフィクションがクロスしていく。
「コント」や「漫才」では収まらない深掘りと、妄想・言い訳・勝手な解釈が加わった「凡」説は、二転三転の末、伝説のストーリーへ……!?










