「猿のような容貌」の足軽から天下人へ——。立身出世の代名詞として知られる豊臣秀吉。近年の研究では、その「どん底」の正体が、私たちが知る「貧農」とは全く異なる姿であった可能性が浮上しています。
歴史学者・呉座勇一さんが史料と最新研究をもとに、秀吉と弟・秀長をはじめとする豊臣一族の実像と神話のギャップをひも解いた最新刊『真説 豊臣兄弟とその一族』。本書より、これまでの常識を覆す「秀吉の出自」に関する一節を公開します。
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非農業民説の検討
秀吉が非農業民だったのではないかという見解は、実は半世紀以上前から存在する。すなわち秀吉の出自は、木地師・鍛冶師、遊芸の徒といった漂泊の民と深い関わりを持つという推定である。
けれども、非農業民説が歴史学界で本格的に検討されるようになったのは二十一世紀に入ってからである。
東京大学名誉教授の石井進氏が遺作『中世のかたち』で、秀吉が連雀(れんじゃく)商人(行商人)と深い縁があったことを指摘したのだ。

妻・ねねの親族も「行商人」だった?
石井氏は、秀吉の親類縁者には、遍歴を繰り返す商人や職人が多かったこと、青年時代には彼自身も針の行商をしながら今川氏への奉公を目指したことに着目した。石井説で特に注目されるのは、逸話集『祖父物語』(清須翁物語)の記事に光を当てた点だろう。
同書は、十六世紀末、尾張国清須朝日村の柿屋喜左衛門(かきやきざえもん)が、織豊期を生きた祖父の見聞談を書き留めた聞書であり、織田信長・豊臣秀吉らの逸話が収録されている。
この『祖父物語』によれば、秀吉が信長から美濃に七千石を与えられた時、ねねの伯父(母の兄)で、清須で「レンジヤク」の商いをしていた杉すぎはら原七郎左衛門(しちろうざえもん/家次)を七百石で召し抱え、秀吉が出世して加増されたら、その石高の十分の一を与えると約束したという。また、秀吉は若い頃は杉原七郎左衛門の下で働いていたという。
石井氏は杉原家次が連雀商人であることに注意を喚起した。そして連雀商人の起源や商人集団のルールなどを記した「連尺之大事(れんじゃくこのだいじ)」など、連雀商人に伝わる秘伝の巻物を読み解き、連雀商人が傾城(けいせい)や白拍子(しらびょうし)などの遊女と同列に扱われており、卑賤視(ひせんし)れていたことを明らかにした。
杉原家は賤民(せんみん/被差別民)的な存在であった可能性があり(もちろんその場合、杉原七郎左衛門家次という立派な名前は、秀吉の家臣になった時につけられたのだろう)、その家から妻を迎えた秀吉もまた、賤民的な存在であったことがうかがわれる。
さらに石井氏は、京都において針商売を営んだ人々が被差別民と関係するという網野善彦氏の指摘に示唆を受け、針売りが差別の対象であったと説き、秀吉の出自を賤民的な非農業民に求めている。

出生地は「農村」ではなく「都市の周縁」だったのか
歴史学者の服部英雄氏は、石井氏の研究を発展させ、秀吉の出自を被差別民として捉え直すことで、さらに深い分析を行っている。これまで紹介してきたように、秀吉は一般に尾張中村で生まれたと考えられている。
しかし服部氏は『祖父物語』に「秀吉は清須ミツノガウ戸の生まれ」とあることに注目した。服部氏は、これを清須の市町であるミソノ(御園・見曽野)であると推測し、「清須ミソノ生誕説は、農民ではなく、都市民としての秀吉を示唆している」と述べている。
清須は水陸交通の要衝であり、多くの人が行き交う都市的な場であったが、同時に卑賤視される人々が集住する地域でもあった。清須には乞食村があり、処刑された死体の処理や野良犬の捕獲など、社会的に低く見られる業務が行われていた。服部氏は、秀吉が幼少期に乞食村など非差別的な環境に身を寄せていた可能性を指摘している。
また服部氏は、『祖父物語』に秀吉の姉婿である三好吉房(みよしよしふさ)が綱差(つなさし)であったと記されていることに着目する。
綱差は鷹匠の下で鷹場の管理を行う職で、鷹狩りの際に獲物の鳥が必ず潜んでいるように、大型鳥類が住みやすい環境を維持し、時に餌付けをしておくことが仕事だった。鷹の餌に犬の生肉を与えるには、市中をうろつく野良犬の捕獲に従事していた河原ノ者との業務提携が必要だった。綱差は被差別民ではなかったが、被差別民である河原ノ者と接点があったのだ。
「最下層からの逆転劇」は学術的な事実か、それとも虚像か
この服部氏の見解に対しては、『祖父物語』の信憑性を高く見積もり、一次史料とほぼ同様に扱っているという歴史研究家の渡邊大門氏の批判がある。
加えて、農民と非農業民を過度に対比する捉え方にも疑問がある。江戸時代の農民は、農作業の合間に薪取りや炭焼き、大工や鍛冶など農業以外の副業を行うことがあり、これを「農間渡世(のうまとせい)」「農間稼(のうまかせぎ)」と言った。中世においても農業以外の生産活動や商業活動を行う農民はいたはずで、秀吉が放浪期に薪取りや針売り、鍛冶などをやっていたとしても、秀吉が卑賤視された非農業民(被差別民)であったことの証明にはならないのではないか。
秀吉が被差別民という中世社会の最下層から這(は)い上がって天下人になり、中世社会に終止符を打ったというストーリーは劇的で魅力あふれるものだが、思い入れが先行しているようにも感じられる。現時点で言えるのは、秀吉が貧しく、低い身分の存在であっただろうということに留まる。

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