これまでに数多くの企業案件を手がけてきた弁護士にとって、今回の事件の展開は、最初から「極めて不自然」だった――。前代未聞の冤罪事件はなぜ起きたのか。権力の暴走はなぜ止まらなかったのか。NHKディレクターによる渾身のノンフィクション『冤罪の深層 追跡・大川原化工機事件』から一部抜粋してお届けします。
私が取材を始めた時点で、「起訴取り消し」から、およそ1年が経過していた。この間、東京地裁は、逮捕された2人と相嶋さんの遺族に対し、勾留期間の補償として、国規定の満額の支払いを認めた。決定において東京地裁は、仮に刑事裁判が始まったとしても「無罪判決を受けるべきと認められる十分な理由がある」との判断を示していた。
これらの経過によって事件が「冤罪」であることは確定していた。しかし、刑事裁判が行われなくなったことで、事件の「深層」を明らかにする機会はなくなった。誰がどんな判断をした結果、事件が引き起こされたのか。その責任は誰が担うのか。全く明らかにされないまま、事件は蓋をされようとしたのである。
そこで大川原社長らは、起訴取り消しのおよそ1カ月後にあたる2021年9月に、国や東京都(警視庁)を相手取り、当時の捜査が違法だったなどとして、5億6000万円あまりの損害賠償を求める訴訟を提起した。裁判を通じ、公の場で真実を明らかにすることが、提訴の目的の一つだった。
この訴訟の原告側代理人を務めつつ、事件について不可解な点が数多くあると発信を続けてきた人物がいる。捜査開始以前から現在に至るまで、大川原社の顧問弁護士を務める高田剛弁護士だ。高田弁護士は、マスコミやSNSなどを通じ、事件の詳細を解説するとともに、真相の解明を広く訴えていた。
私が高田弁護士の事務所を初めて訪ねたのは、取材を初めて間もなくの頃だった。高田弁護士が代表を務める法律事務所は、大手町の一等地のオフィスビルにあった。事務所のホームページには、得意分野として企業法務、会社訴訟、不正調査、税務争訟など、いわゆるビジネス案件があげられていた。冤罪事件の弁護というと、人権派弁護士が手弁当で支えるような世界を想像していたため、最初はそのギャップに驚いた。
「これは作られた事件だと私は思いますよ」。事務所で初めて面会した高田弁護士は、開口一番、そう訴えた。高田弁護士は、これまで数多くの企業案件を扱ってきた経験から、事件の展開が「極めて不自然」だと話した。
実は大川原化工機は、今回の捜査が始まる前までは、輸出規制を所管する省庁である経済産業省と協力関係にあったという。経産省は、2013年に噴霧乾燥機の規制を日本で始めるにあたり、トップメーカーである大川原社に何度も意見を求めていた。経産省といえども、日本で生産される膨大な産業用機械の一つである噴霧乾燥機について、特別な知識は持っていない。頼られた大川原社は、経産省職員らの機械の視察や意見提出など、求められた協力は断ったことはなかった。高田弁護士は、そんな企業が、警察によって突如逮捕されるとは、今まで聞いたことがないという。
「元々大川原は、法律を作る段階から経産省に協力をし、法律ができてからも大川原のやり方、解釈が間違っているという指摘は、経産省から一度も受けていない。そんな中、警察がいきなり動き、捜索差し押さえ、逮捕と事件になっていきました。通常、経済法の分野では、こういう経過を辿るのは非常に珍しい。やはり監督官庁が業界をリードする、指導するというのが原則です。それが全くない状態で警察が捜査をするのは非常に戦略的と言いますか、なんらかの目的がなければ普通はやらないです」
加えて高田弁護士は、捜査開始から逮捕に至る過程の特異さも指摘した。公安部が、強制捜査に入ったのは2018年10月。強制捜査は、会社の関連施設や役職員の自宅など14カ所に及び、パソコンや携帯電話、関係書類など6000点を超える証拠を押収する徹底したものだった。
その2カ月後、大川原社長を含め50人あまりの従業員を対象に、任意の事情聴取が始まった。大川原社長は「やましいところはないのだから説明すれば分かってもらえる」との方針で、およそ1年半のあいだに、延べ300回近い事情聴取に全面的に協力した。
通常業務を続けながら、これだけの協力をすることは、会社にとって大きな負担だったのは間違いない。それでも会社は、社員らの事情聴取にさかれた時間も勤務時間として給与を支給し、交通費まで出すという念の入れようだった。こうした経過を見てきた高田弁護士にとって、2020年3月の逮捕は、寝耳に水だった。
「逮捕してまでやらなきゃならないことがないと。全てこちらから情報や認識も提供していますので、逮捕の必要性がない案件だと考えていましたから。まさか逮捕とは、と」
高田弁護士含め大川原側は、仮に会社と公安部の見解の違いが問題とされても、せいぜい軽い行政処分などで済むだろうと考えていたという。ところが、その見立ては大きく覆された。3人は逮捕により身柄を拘束され、その様子はマスコミにも大きく報じられた。会社の信用は傷つけられ、経営が危うくなったのは先述した通りである。
会社側の試練はさらに続いた。事件を否認した3人の保釈が簡単には許されなかったのだ。高田弁護士は逮捕直後の見立てとして、最短で2カ月程度で保釈されるだろうと、社長らに説明していた。しかし、再三にわたる保釈請求は却下され続け、結果、1年近く勾留が続くこととなった。もはや捜査はやり尽くしたはずなのに、どうしてここまで勾留を続けるのか。高田弁護士は、「人質司法」という言葉を意識せざるを得なかった。「人質司法」とは、罪を認めないと懲罰的に身柄拘束を続ける日本特有の悪習とされる。
「やはり人質司法の問題は存在するんだと。保釈まで11カ月の時間がかかる、それも最終的に『起訴取り消し』となる事件でです。身に覚えのないことで長期間身柄拘束される可能性が誰にでもある。これは非常に恐ろしい。このまま拘束されると、家族や仕事はどうなるだろう、友達からどう見られるだろう。そういうことを必ず考えます。そうすると身に覚えがなくても従ってしまう。これを放置すれば、非常に危険な社会になってしまうと思います」
高田弁護士は、事件について広く知ってもらうため行動に出た。国と都を訴えた損害賠償訴訟の費用の一部をクラウドファンディングで調達することを社長らに提案、了承を得た。公共性のある裁判の支援を目的としたWEBサイト(CALL4)に、原告被告双方の主張や、裁判で開示された資料などをアップロードし、誰でも閲覧できるようにした。
「大川原社長が常々言っているんですけども、やはり真実を明らかにする。なぜ何もしてない、普通の頑張っている中小企業が疑われ、逮捕・起訴されたのか。それは果たして正当なものだったのか。それをしっかりと表に出すこと、そして世の中の方々に知ってもらうこと。それが一番です」
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冤罪の深層

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