「紅茶の国」として知られるスリランカ。
そのイメージの裏側に、かつて世界を席巻したコーヒーの歴史があったことを、どれほどの人が知っているだろう。
病害によって一度は消え去ったコーヒー産業。
失われた時間を取り戻すように、島の各地で芽吹きはじめた小さな希望を、コーヒーハンター・田才諒哉さんが、現地で追った。
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スリランカと聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろう。多くの人が真っ先に連想するのは、紅茶ではないだろうか。世界中のティーラバーを魅了する「セイロンティー」の産地として、スリランカはあまりにも有名だ。
でも実は——スリランカには、眠っていた“コーヒーの物語”がある。
かつてこの島国では、コーヒーが主要産業だった。19世紀半ばにかけて、ヨーロッパ市場へ向けて大量に輸出され、山々はコーヒーの木で覆われていたという。だが、1870年頃、運命は暗転する。さび病という病気がコーヒーの木を襲い、島中のコーヒー農園が壊滅的な被害を受けた。そのコーヒーの代替品目として、導入されていったのが紅茶だ。イギリスの植民地政策も相まって、スリランカは一気に「紅茶の国」へと舵を切っていった。
そして、コーヒーは、島の歴史の中へ静かに消えた。
そんなスリランカで今、「コーヒーを取り戻そう」という動きがはじまっている。それを象徴するのが、「Lak Parakum(ラク・パラクム)」という、この地の古代王の名を冠した新品種だ。高い収量を誇りながらも病気への耐性が強く、さび病被害の歴史を繰り返さないために生み出された品種といえるだろう。スリランカでは、このラク・パラクムを中心に、コーヒーの普及が再び、少しずつ進んでいる。
スリランカは、海ノ向こうコーヒーでもまだ取り扱ったことのない国だ。今回僕たちは、国連開発計画(UNDP)が実施するプロジェクトの一環で、コーヒーの専門家として渡航することになった。今まで紅茶を中心に栽培していたプランテーション農園の耕作放棄地で、新たにコーヒー栽培をはじめるという取り組みだ。
今回の旅では、島の中心に位置するヌワラエリヤを中心に農園を巡った。同行するのは、政府の研究機関や輸出農業局などで定年まで勤め上げ、ラク・パラクムの開発と普及にゼロから深く関わってきた、まさにスリランカコーヒーの“生き字引”のような教授だ。年齢不詳、もう70歳近いのではないだろうか。コーヒーのこととなると、話し出したら止まらない。名前がとても長く、呼ぶ度に舌を噛んでしまいそうになるので、敬意も込めて「プロフェッサー」と呼ぶことにした。
「この木がね、ラク・パラクムだよ」
プロフェッサーがそう言いながら木を撫でる姿には、研究者というより、長年連れ添った友人へのまなざしに近い優しさがあった。プランテーション農園を一緒に歩きながら、失われたコーヒーの歴史と、再生への希望を何度も語ってくれた。
農園巡りを終え、コロンボの街に戻ると、そこにはまったく別のスリランカの顔があった。洗練された内装のコーヒーショップ。店内には、紅茶ではなくコーヒー片手に語り合う大学生やビジネスマン。
「紅茶の国」と思われているスリランカで、コーヒーが再び息を吹き返そうとしている。

もちろん、課題は山ほどある。生産量もまだ少ないし、品質の向上、マーケットづくり、若い世代の参入。やることは尽きない。それでも僕たちは、スリランカのコーヒーの未来にワクワクしている。
たとえば、海ノ向こうコーヒーのこれまでの他のアジアの国々での経験を活かして、品質の良いコーヒーをつくるための研修ができるんじゃないか、世界的に有名なスリランカ人のバリスタを育成するなんてこともありえるかもしれない、と頭の中でいろんな構想が膨らんでくる。だって、かつては世界を席巻したコーヒー産地なんだから。プロフェッサーのような、コーヒーに情熱を注ぐ人たちがいるから。眠っていた物語は、目覚めたばかりなのだ。
ラク・パラクムをはじめとするスリランカのコーヒーが、もう一度海を越えて世界中のカップに届く日。そのとき、僕たちもその再生のはじまりに立ち会っていたといえたら、なんてロマンのある話だろう。
今も、スリランカの山のどこかで、プロフェッサーはきっとコーヒーの木に語りかけている。「さあ、もう一度一緒に、物語をはじめよう」と。

幻のコーヒー豆を探して海ノ向こうへ

──元・国連職員、コーヒーハンターになる。
国連でキャリアを築いてきた田才諒哉さんが選んだ、まさかの“転職先”は……コーヒーの世界!?
人生のドリップをぐいっと切り替え、発展途上国の生産者たちとともに、“幻のコーヒー豆”を求めて世界を巡ります。
知ってるようで知らない、コーヒーの裏側。
そして、その奥にある人と土地の物語。国際協力の現実。
新連載『幻のコーヒー豆を探して海ノ向こうへ』、いざ出発です。










