噴霧乾燥機は、国際的な輸出規制の対象になっている。だが、噴霧乾燥機を生物兵器に転用するには「特定の性能」が必要だ。その性能とは? ――。前代未聞の冤罪事件はなぜ起きたのか。権力の暴走はなぜ止まらなかったのか。NHKディレクターによる渾身のノンフィクション『冤罪の深層 追跡・大川原化工機事件』から一部抜粋してお届けします。
噴霧乾燥機が輸出規制の対象となったのは、日本も参加する、生物・化学兵器を規制する国際的な枠組み「オーストラリア・グループ」での2012年の決定がきっかけだった。
「オーストラリア・グループ」とは、通称「AG」と呼ばれ、イラン・イラク戦争で化学兵器が使用されたことを端緒に、化学兵器関連の物資や技術の輸出規制を目的につくられた有志国のグループである。1985年に発足以降、現在は、化学兵器だけではなく生物兵器関連の規制も目的に加わり、40を超える国や地域が参加している。
このAGの2011年6月にパリで開かれた会合で、噴霧乾燥機の規制が、参加国の一つデンマークにより提案され議論、翌年、各国の合意がまとまった。元々、同じ乾燥機の一種、液体を凍結させてから乾燥させる凍結乾燥機は規制対象とされていた。そこで噴霧乾燥機も技術的な進化により、生物兵器製造に転用されるおそれがあると見なされ、規制対象に加えられたのだ。
日本国内では、このAGでの合意を受け、2013年に噴霧乾燥機を輸出規制の対象とした。とはいえ、あらゆる噴霧乾燥機が規制対象となったわけではない。噴霧乾燥機自体は、元来、食品加工の分野で開発された民間の技術である。AGの規制は、健全な民間貿易まで妨げることは目的としていない。規制対象は、生物兵器製造に転用できる機械に限定した。具体的には、幾つかの「特定の性能」を持つ機械のみが規制対象となった。
その「特定の性能」とは何を指すのか、今回の事件で大きな焦点になった問題だった。それを定めたのが、AGでの合意内容を国内法令に落とし込んだ、経済産業省が所管する貨物等省令である。この省令に書かれた「特定の性能」を定めた一文、「定置した状態で内部の滅菌又は殺菌をすることができるもの」の解釈が、大混乱を引き起こすこととなったのだ。
この一文は、噴霧乾燥機で生物兵器を製造しようとした場合、製造にあたる作業員らが有害な菌にさらされるのを防ぐ「特定の性能」を意味する。仮に、噴霧乾燥機で生物兵器を製造しようとした場合、有害な菌を含んだ粉が機械内にこびりつくなど、内部に残留する。製品の取り出しや機械の洗浄の際、この残留した粉を作業員が触れたり吸い込んだりすれば、危険極まりない。
そのため、生物兵器の製造には、「定置した状態で」、つまり機械を分解しない、そのままの状態で、機械内部に残る有害な菌を「殺滅」できる性能が備わっていることが必要となる。
「滅菌又は殺菌」によって、内部に残留する菌を無害化できれば、作業員の安全性が確保でき、生物兵器製造に転用可能な条件の一つをクリアしたと見なされるのだ。
では、実際の輸出に際し、その製品が規制対象かどうかは、誰がどうやって判断するのか。現在の仕組みでは、その判断は第一に輸出者、つまり今回の事件で言えば大川原社が自ら行うとされている。国(経産省)は、輸出者が法令解釈などの判断に迷ったりした場合は問い合わせに応じるとしているものの、全ての輸出品を自ら検査するわけではない。膨大な輸出品の検査を全て国が行うというのは現実的に不可能だからだ。企業は、輸出品が規制対象に該当すると判断した場合、国に申請し、経済産業大臣の許可を得る必要がある。
今回の事例では、大川原化工機は、輸出する機械が「規制対象ではない」と判断していた。第一に、省令にある「滅菌又は殺菌をすることができる」という要件は、作業者が有害な菌などに曝露しないための規定だが、輸出する機械は特殊な密閉構造など曝露防止のための専用設計がなされていない。第二に、噴霧乾燥機で内部の菌を殺滅するとした場合、業界で一般的なのはCIP(Clean in Place)と呼ばれる特殊な自動洗浄機能を付加した機械だった。ところが、輸出した機械には、こうした機能は付加されていない。
このCIP付きの噴霧乾燥機は、静岡県富士宮市にある大川原化工機の研究施設、粉体技術研究所で実物を見ることができた。この施設には、噴霧乾燥機の導入を考える取引先に機械の性能を説明したり、実験的な粉体加工を請け負ったりするために、多種多様な噴霧乾燥機が置かれている。
その一つ、CIP付きの噴霧乾燥機は、横幅3メートル、高さ5~6メートルくらいの巨大な機械だった。化学薬液などを投入する専用の配管や、機械内に薬液等を拡散させる噴出口が備えられ、単体の機械というより、一つの生産設備といった趣である。装置を稼働させると、噴出口から勢いよく水流が噴出し、機械内部を洗い流すことができる。
大川原社長によれば、これまで抗癌剤の開発に使う等の用途で、CIPや曝露防止機能など、特殊機能を付加した機械を製造したことはあったという。しかし、そうした機械は通常の機械と比べてコストが格段に跳ね上がる。汎用機の簡単な改造で追加できる機能ではなく、専用の設計が必要となるからだ。
冤罪の深層

軍事転用が可能な精密機器を不正に輸出したとして、横浜市の機械メーカー・大川原化工機の社長ら3人が逮捕された。長期勾留ののち異例の起訴取り消しとなり、会社側は国と東京都に賠償を求めて提訴する。
元顧問の相嶋静夫さんは、拘留中にがんが判明し、無実を訴え続けるも、保釈が認められないまま亡くなった。
第一審で証人として出廷した現役捜査員は「まあ、(容疑は)捏造ですね」と証言。
衝撃の冤罪はなぜ起きたのか。
相嶋さんはなぜ無念の死を遂げなければならなかったのか。
調査報道大賞を2年連続受賞ほか各賞総なめのNHKスペシャル「”冤罪”の深層」シリーズ、ついに書籍化!











