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冤罪の深層

2026.01.19 公開 ポスト

社是は「平和で健康的な社会づくり」。その企業の製品が“生物兵器に転用可能”と疑われた理由とは?石原大史(NHKチーフディレクター)

不正輸出の疑いで逮捕された会社役員は、「武器商人にはならない」という信念を掲げ、仕事の誇りにしていた。なのになぜ、そんな疑いを――。前代未聞の冤罪事件はなぜ起きたのか。権力の暴走はなぜ止まらなかったのか。NHKディレクターによる渾身のノンフィクション『冤罪の深層 追跡・大川原化工機事件』から一部抜粋してお届けします。

(写真はイメージです)

「どこでも見ていってください。隠すものなどありませんから」

大川原社長が社内を案内してくれた。オフィスフロアは、一面ほとんど仕切りがなく、あちこちで社員同士の立ち話が行われていた。物作りの会社らしく、会社名が刺繍(ししゆう)された作業着姿の技術者と、スーツ姿の社員らが入り交じって仕事をしている。大川原社長は、スーツの上から上半身だけ作業着を羽織るというのが長年の習慣だという。

大川原社長は、元々、京都大学で化学工学を学んだ技術者だった。大学卒業後、他社でキャリアを積んだ後、父、大川原嘉平さんのつくった大川原化工機に入社した。社長業の傍ら、長年複数の粉体加工に関連した学会の幹部を務めるなど、研究熱心な姿は社の内外で知られている。現在も大学の研究者らと日常的に議論を行い、技術改良や製品開発のアイデアを蓄積することに余念がないという。

オフィスの壁面に大川原社長が定めた社是が掲げられていた。「平和で健康的な社会作りに貢献する」。この社是は先代の社長、嘉平さんの考えが元になっているという。嘉平さんは、太平洋戦争中、関東軍の一員として満州で従軍。敗戦後しばらくはシベリアに抑留された。帰国後、大川原化工機を立ち上げてからも、平和への思いは人一倍強かったのだという。

役員だった島田さんは、この社是を書き写し、自席のよく見える場所に置いていたと教えてくれた。海外貿易に携わることが長かった島田さんは、「武器商人」にはならないという信念が仕事の誇りだったという。大川原化工機では、自社製品が軍事転用などされないよう、輸出先に誓約書への署名を求めるなど、会社独自のルールを定めていた。そのルール作りを主導したのが、島田さんだった。

2人の話を聞くにつけ、こんな企業が、生物兵器製造に転用可能な機械の輸出を疑われたとは、にわかには信じられない気持ちになった。社内を歩いても、容疑から想像するような、後ろ暗い秘密めいた雰囲気は全く感じられないのだ。

容疑をかけられたものと同型の噴霧乾燥機も、本社1階の展示室に、何も隠すことなく堂々と置かれていた。噴霧乾燥機は高さ1・5メートル、横幅2メートルぐらいの金属製の機械だ。液体を粉状に加工するために用いられる。機械内部で液体を噴霧し、そこに付属の電気ヒーターで熱風を加え瞬時に乾燥、粉として取り出すことができる。英語名は、SPRAY DRYER。機械の仕組みがそのまま製品名になったというわけだ。

一見なじみが薄い機械だが、実は、多様な「粉」を作り出すことで、私達の暮らしを下支えしている技術だという。元々、牛乳を粉ミルクに、コーヒーを粉末コーヒーにするなど、食品加工の技術として欧州で開発され、100年以上の歴史を持つ。日本では即席麺などの粉末スープの製造にも、この技術が使われている。

液体を噴霧、乾燥させて粉末にするという仕組みそのものは、100年前から存在するというだけあって、それほど高い技術力は必要ではないという。一方、大川原化工機では、製造する粉の粒子の大きさや均一性を追求することで、独自の技術を磨いていった。液体を噴霧するノズルや噴霧方法などを工夫し、幾つもの特許を取得している。近年は、医薬品の製造や、半導体、リチウムイオン電池の材料製造にも欠かせない機械となった。

加えて噴霧乾燥機を使えば、一部の菌を生きたまま粉状にすることもできるという。ビフィズス菌や乳酸菌などを粉末にした食品を目にしたことがある人も多いはずだ。だがこれが、軍事転用の可能性、つまり有害な菌を粉にして兵器化するという、生物兵器製造に転用可能という容疑につながった。過去には粉末化した炭疽菌を使用したテロ事件も起きている。そうした用途に使用されるのを疑われたのだ。

とはいえ、この機械で本当に生物兵器は製造可能なのか、大川原社長に尋ねてみた。「感染性のある毒物、危険性のあるものはやれない。粉がふぁーっと出てきちゃうんで、周辺の人が感染しちゃう。危なくてやれないですね」

社長の説明は明確だった。会社が製造する通常の噴霧乾燥機は密閉構造になっていない。粉末を製造する過程で、熱風の排気や機械の開閉などにより一部の粉が周辺に拡散する。粉ミルクや粉末コーヒーの製造では問題にならないが、毒物や危険物となると話は別だ。拡散した粉で周辺が汚染され、作業者が危険にさらされる。そのような用途は想定していないし顧客に勧めもしない。それが、捜査が始まる前までの大川原化工機の当たり前の理解だった。

関連書籍

石原大史『冤罪の深層 追跡・大川原化工機事件』

軍事転用が可能な精密機器を不正に輸出したとして、横浜市の機械メーカー・大川原化工機の社長ら3人が逮捕された。長期勾留ののち異例の起訴取り消しとなり、会社側は国と東京都に賠償を求めて提訴する。  元顧問の相嶋静夫さんは、拘留中にがんが判明し、無実を訴え続けるも、保釈が認められないまま亡くなった。 第一審で証人として出廷した現役捜査員は「まあ、(容疑は)捏造ですね」と証言。 衝撃の冤罪はなぜ起きたのか。 相嶋さんはなぜ無念の死を遂げなければならなかったのか。 調査報道大賞を2年連続受賞ほか各賞総なめのNHKスペシャル「”冤罪”の深層」シリーズ、ついに書籍化!

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冤罪の深層

軍事転用が可能な精密機器を不正に輸出したとして、横浜市の機械メーカー・大川原化工機の社長ら3人が逮捕された。長期勾留ののち異例の起訴取り消しとなり、会社側は国と東京都に賠償を求めて提訴する。
 元顧問の相嶋静夫さんは、拘留中にがんが判明し、無実を訴え続けるも、保釈が認められないまま亡くなった。
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石原大史 NHKチーフディレクター

石原大史 いしはら・ひろし
NHKチーフディレクター。2003年NHK入局、現在コンテンツ制作局「ETV特集班」所属。制作した番組にETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」(第66回文化庁芸術祭大賞)、ETV特集「薬禍の歳月サリドマイド事件50年」(第70回文化庁芸術祭大賞、第41回放送文化基金賞・最優秀賞)、ETV特集「ペリーの告白~米国防長官・沖縄への旅~」(第55回ギャラクシー賞奨励賞)、NHKスペシャル「空白の初期被ばく 消えたヨウ素131を追う」(第56回JCJ賞)など。NHKスペシャル「〝冤罪〟の深層~警視庁公安部で何が~」で第74文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。著書に『原発事故 最悪のシナリオ』(NHK出版)、共著に『ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図』(講談社)がある。

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