ある日、飲み薬を水無しで飲む方法を教えてもらった。父親に。
あれは小学生の頃だっただろうか。何の薬だったかは覚えていない。父親が僕に『あのな、水無しでも飲めるんやで。見ときや。』と言って飲んでみせた。
僕は目を輝かせ、『すご! どうやったん?』と言った。『唾(つば)を溜めるんや。ほんで一気にグッと飲むねん。グッと。』と得意げな父親に、当時の僕は『凄いなぁ! おとん。』と素直に称賛した。
父親が息子に尊敬される状況。
それはおそらくごく普通の家庭によくある風景だ。
ただその種類の中でいうと、今思えば内容がだいぶ悪、ではある。この種類の話で「唾」みたいなワードはなかなか出てこない。
今書いていてもなんだったんだうちの父親は。と恥ずかしくなってくる。そしてそれに対して『すご!』と言ってる自分も子供とはいえ不甲斐ない。
この種類の中でよくあるのは、
父親『ほら父さんは力持ちなんだぞ。よし、この腕にぶら下がってごらん。』
息子『え? それはさすがに父さんでも無理だよ!』
父親『大丈夫だ。さぁ来なさい。』
息子『大丈夫かな? 僕だって大きくなって……』
『うわ! 凄いよ! 父さん! さすが父さんだ!』
父親『はははは。凄いだろう。』と、これが理想のパターンだ。
と言いたいところだったが、書いてる途中にこの父親もかなりキモい部類に入るなと思ってしまった。
最後の『はははは』がかなりキモい。
おそらく声が低い『はははは』である。本当に笑っているのではなく、優越感に浸る為だけの『はははは』だ。
あとなんか身体も無駄に鍛えてて、普通にジムの女性インストラクターとかをやんわりナンパしてそうな父親だ。
ではこれはどうだろうか。
父親『よし息子、キャッチボールだ。ほら行くぞ、それ!』
(バシッ)
息子『よし、父さん、僕も行くぞ、それ! あ……ごめん父さん!』
(バシッ)
父親『おっと。今のは父さんじゃなければ捕れなかったぞ。それ!』
(バシッ)
息子『おお、父さんはコントロールが良いんだね。』
父親『はははは、お前も練習すれば出来るさ、さぁ来い。』
と、これもキモいパターンである。
まず、『それ!』という掛け声がかなりナルシストを発揮しているし、何より息子にそれがうつってしまっている。これは父親の大罪である。そして何より『はははは』が出てる。これが出たらたらキモいのが確定してしまうのである。
次は『はははは』が出ないようなシチュエーションで考えてみたい。
息子『怖いよ父さん、僕やっぱり自転車なんか乗れなくて良いや!』
父親『大丈夫だ。息子よ。父さんが後ろを持っていてやるから。さぁ。』
息子『……うん、分かった。絶対だよ。よし! ……うわっ! 父さん! 見て! 進んでるよ! 父さんのお陰だけど、補助輪無しで初めて漕いだよ! 父さん!』
父親『ん? 息子よ。父さんは何もしてないぞ?』
息子『え? 何言ってん……うわぁー!』
(ガッシャン)
息子『痛ぁ……もう! ひどいよ父さん! なんで離すのさ!』
父親『ふっ、息子よ。お前は一人で自転車を漕いだんだよ。』
息子『僕が……一人で……そうか……僕が……やったぁー!』
父親『はははは!』
最悪である。
あいも変わらず『はははは』が出てしまったが、
それ以前に
『息子よ』
がまず終わっている。
息子と呼ぶ時点で終わってるにもかかわらず、よりによって『よ』が入るのがさらに終わり切っている。
あと今更だが自分の事を『父さん』と呼んでるのもかなりのパンチ力だし、そして途中の効果音、(ガッシャン)もなかなかのキモさを演出してしまっていた。
書いていて世の父親もなかなかのキモさである事を学んでしまった。
僕の父親の「飲み薬を水無しで飲み込む講座」が実は世の父親よりも幾ばくかマシであった事が、白日の下にさらされる事となってしまった。
うちの父親もなかなか悪くない。と思いながら僕は水無しで整腸剤を飲み込んだ。
良い子のみんなはけっして真似しない事だ。
(※編集部注)本文は筆者の幼少期の思い出をもとにしたエピソードです。
医薬品は、用法・用量を守って水またはぬるま湯で服用してください。
クロスロード凡説

「ネタにはしてこなかった。でも、なぜか心に引っかかっていた。」
そんな出来事を、リアルとフィクションの間で、書き起こす。
始まりはリアル、着地はフィクションの新感覚エッセイ。
“日常のひっかかり”から、縦横無尽にフィクションがクロスしていく。
「コント」や「漫才」では収まらない深掘りと、妄想・言い訳・勝手な解釈が加わった「凡」説は、二転三転の末、伝説のストーリーへ……!?










