なぜ〈お金が足りない〉よりも〈ありすぎる〉ほうが、人は壊れていくのか?
裕福な家族ほど深い闇を抱えるのは、いったいなぜなのか?
支配、断絶、性犯罪、引きこもり──豊かさの陰で何が起きているのかを解き明かし、「幸福とは何か」を問い直す。幻冬舎新書『お金持ちはなぜ不幸になるのか』より、一部を抜粋してお届けします。
※本記事・書籍で紹介する事例は、個人が特定されないよう修正を加え、登場人物はすべて仮名とする。
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日本人の妬み嫉み
大阪大学社会経済研究所を中心とする研究グループは、日本経済低迷の一因として、日本人は諸外国と比べて他人の足を引っ張る傾向が強いことを挙げています。
九州工業大学名誉教授の佐藤直樹氏も、世間学の視点から日本では世間の同調圧力が独特の妬み意識を生み出していると分析しています。
「出る杭は打たれる」という言葉が示すように、日本に蔓延する妬み意識は、誰しも肌で感じたことがあるのではないでしょうか。もし宝くじで高額当せんしたら、あなたはその事実を公表できますか。おそらく公表した途端、周りの人の対応が変わったり、犯罪に巻き込まれる不安から秘密にする人の方が多いはずです。
アメリカでは、当せん者が新聞などを通して堂々と公表するケースは少なくありません。アメリカ人はそれを見て「なんてラッキーなんだ。もしかしたら自分にもチャンスが回ってくるかも」と希望を見出すという話を聞いたことがあります。
「あの人ばっかり」という僻みが先に立ってしまう日本とは対照的です。
芸能人でもない限り、たとえお金があっても、僻まれることを怖れてあえて質素に暮らしている人も少なくないでしょう。
なぜ日本では、それほどお金持ちが僻まれるのでしょうか。

私は、日本人の幸福感が「世間体」を基準にしていることに原因があると考えます。つまり、経済力や社会的地位といった表面的な比較からしか幸福を導くことができないのです。
しかし、本当の幸せとは自分の内面が満たされていることであり、他人が簡単に測れるものではないはずです。そもそも「自分にとっての幸福とは何か」を人生の中で深く考えたことがある人が、どれほどいるでしょうか。
「世間並み」であれば幸福だと信じ込んできた人も多いのではないでしょうか。
心が満たされていれば、他人を僻む必要はありません。裏を返せば、自らの幸福感を見出せないからこそ、僻みが生まれてしまうのだと思います。
日本では、突然お金が入った人々を容赦なくバッシングする風潮があります。2011年の東日本大震災の被災者で災害弔慰金を得た家族が嫌がらせをされたり、保険金を受け取った事故の遺族が誹謗中傷されるといった賠償金バッシングは、被災者・被害者を苦しめ続けてきました。
彼らは失った命や大切な財産と引きかえに金銭を受け取っているのです。しかしバッシングを怖れて、権利を放棄したり不本意ながらも受け取った額を寄付してしまった人々もいました。
世間の同調圧力は、個人の幸福を否定しており、強制的に共同体に奉仕させようとします。
本当はお金のあるなしで幸福感は測れませんから、お金持ちイコール幸せとは限りません。しかし、妬みや嫉みから生まれる同調圧力は、人々の間に分断を生み出してしまうのです。
前章までの事例からは、富裕層に生まれた人たちの交友範囲の狭さを感じます。妬み嫉みの強い日本だからこそ、同じような家庭環境の人々だけでコミュニティが出来上がり、歪んだ価値観が醸成されてしまうのかもしれません。
富裕層の加害者家族
銀行のシステムも変わり、あちこちで啓発が行われているにもかかわらず、特殊詐欺は減っていません。近年ではさらに悪質な高齢者宅を狙った強盗事件が多発しています。
格差社会の進行によって、富裕層が狙われ、犯罪被害に遭うリスクは高くなるかもしれません。一方で、富裕層が加害者と関係がないかと言えば、これまで紹介してきたように、決してそうではありません。
2022年、女優の三田佳子さんの次男の、覚醒剤取締法違反容疑での5度目の逮捕が報道されました。次男は未成年の頃から犯行を繰り返し、その度に三田さんは会見を開いて世間に謝罪してきました。
次男が未成年の頃、多額の小遣いを与えていた三田さん夫妻は、過保護だと激しくバッシングされました。
次男の逮捕は成人してからも続き、その度に息子への過度な経済的援助が取り沙汰され批判されていました。
成人した子どもにまで援助を続けることは経済力のある家庭でなければできないことであり、格差が広がる日本社会において嫉妬も相まって親の責任が厳しく問われます。
しかし裕福な家庭ほど両親が忙しく、子どもに構う暇がない罪悪感から、小遣いを与えすぎてしまうパターンはよくあります。お金は悪い仲間を呼び寄せるのです。
前科者や出所者の社会復帰支援組織は十分とはいえないまでも、全国に存在し、求めさえすれば助けてくれる人々はいます。
しかし、富裕層の加害者が、こうした社会的支援を利用するケースは非常に稀です。
本気で更生を支援する人々は、加害者の我儘は受け入れません。それに比べて親は、我が子が罪を犯しても甘く、手厚い援助を惜しまないのです。子どもからしたら、あえて厳しい環境に行くよりも、温室にいた方がいいに決まっています。
「二度と子どもに罪を犯させまい」と、親が面倒を見すぎてしまう状況こそが、逆に子の犯罪を助長しているのです。ターニングポイントがあるとすれば、親の資金が底をついた時です。
自分の力で生きていく他に選択肢がなくなり、そこで初めて自立更生の兆しが見え始めます。
家族の縁を切るのは難しいかもしれませんが、金の切れ目が縁の切れ目になるのです。

子を蝕む「金満病」
富裕層が経験する倦怠感や意欲の低下、浪費といった問題を、消費評論家は「裕福」という意味の「アフルエンス(affluence)」と「インフルエンザ(influenza)」を合わせた「アフルエンザ(金満病)」と呼んでいるそうです。
日本のテレビ番組でも紹介されましたが、2015年、米テキサス州の十八歳の少年が飲酒運転によって4人の命を奪う大事故を起こして、逮捕されました。
彼の血中からは法定上限値の3倍ものアルコールが検出され、検察は、禁錮20年を求刑しました。
ところが弁護側の心理学者が、少年は裕福な親に育てられた「アフルエンザ」を患っており、責任を問えないと主張しました。少年は、悪いことをしても親がお金で解決してくれるので、善悪の判断ができなくなったというのです。
弁護側の主張は認められ、少年は10年の保護観察処分が言い渡されました。少年は、刑務所ではなくリハビリ施設に送られることになったのです。
この判決は明らかに富裕層に有利で軽すぎると、全米から批判の声が上がりました。経済力で司法を動かせる超格差社会のアメリカの歪みを表す判決とも言えるでしょう。
「アフルエンザ」は、一見、突拍子もない主張に思えますが、私は一理あると考えます。お金で人を支配することを幼い頃から覚え、感覚が麻痺している子どもたちは日本にも存在します。
子どもは生まれてくる環境を選べませんから、その責任は子どもではなく、親にあることは間違いありません。貧困層でも富裕層でも、善悪の判断がつかなくなるような環境に子どもを置くことは、広い意味での「虐待」なのです。
貧困家庭で育った子どもたちは、経済的支援や教育の機会を与えられることによって、社会との繫がりを構築するケースが多いと感じます。一方で、先にも述べたように、与えられすぎている子どもたちは支援に感謝することができず、信頼関係の構築が難しいのです。
いずれにしても、歪んだ価値観は、できるだけ若いうちに修正されなければなりません。世間から同情を得にくい富裕層の子どもへの支援は、福祉の網の目からもこぼれ落ちています。一見、ただの我儘に思えるかもしれませんが、これは大人の責任なのです。
子に責任を問えないのなら、親を罰すべきだと考える人もいるでしょう。
私たちは、加害行為に対して制裁を科すことで問題の解決を図りがちですが、罰によって人が変わることはありません。
こうした場合、親もまた歪んだ環境で育ってきたことが少なくありません。したがって、親たちにも自らの問題に気づく機会が与えられることが必要なのです。

裕福な家庭の子どもは幸せか
近年、「親ガチャ」という言葉が流行っています。親によって子の将来が左右されてしまうという意味です。
確かに、人が成長するうえで家庭環境がいかに重要かは、加害者家族と接していて痛感しています。
しかし、親にお金があれば幸せかといえば、必ずしも経済状況だけで幸福が保証されるとは思いません。
DVや虐待は富裕層家庭でも起きています。子どもの意思を無視して受験勉強を強いる教育虐待は、富裕層家庭で頻繁に起きています。
進学にあたって親の収入が少ない場合、奨学金制度が利用できますが、親に収入があれば利用できません。したがって、経済力のある親こそ自分の意思を押し付け、レールを敷いてしまい、子どもはそこから逃れられない状況が起こるのです。
親がエリートや著名人であることは、子どもにとって大きなプレッシャーになることも少なくありません。
子どもは親を選べないのですから、「お金持ちだから恵まれている」と一方的に羨んだり、そうした価値観を押し付けたりすることで、家庭に悩みを抱える子どもの心を閉ざしてしまわないよう、大人たちは注意しなければなりません。
地元の名士の子による犯罪というのも多数、受理した経験があります。田舎のお金持ちはとにかく目立つのです。前章の柏崎圭吾のケースがまさにそうですが、地元の人たちは皆、自分を知っていて、常に監視されているような緊張感の中での生活は、相当ストレスフルだと想像できます。
地域でいじめられたり、いじめられる恐怖からいじめっ子になったというケースもよく聞きます。いずれも、家庭環境という本人が選べない事情から生ずる問題です。
著名人や富裕層の子どもが事件を起こすと、必ずと言っていいほど「親が甘やかしたからだ」といった批判が上がります。
しかし、親が援助を与えすぎてしまう背景には社会不信があり、「お金があるなら自分でなんとかしろ」という世間からのプレッシャーが、問題を家庭に閉じこめているのです。
宗教・スピリチュアルとの親和性
あえて乱暴な言い方をすれば、人の不幸に群がるのが宗教です。重大事件が起きると、あらゆる宗教者が自宅にやってきたと、加害者家族が証言することがあります。
「お金は汚いものだから家族を不幸にする。すべて寄付しなさい」
と言われ、財産をすべて宗教団体に寄付した家族もいます。
確かに、子どもが引きこもるというのは、家にある程度の財産があるからこそ可能であり、生活費が底をつけば家から出ていくしかありません。
家族がお金を払うことによって解決する問題は、確かにあります。しかし、家族が問題と向き合いさえすれば、宗教の力を借りなくとも解決は可能なのです。
ところがプライドの高い人たちは、問題と向き合う、つまり自分の非を認めるということがなかなかできません。それゆえ、宗教やスピリチュアルという、原因追究をしない曖昧な世界に逃げ込みたくなるのでしょう。
富裕層にはエリートも多く存在します。2023年7月、北海道札幌市中央区の繁華街「すすきの」のホテルにて、首が切断された男性の遺体が発見されました。殺人と死体遺棄などの容疑で逮捕されたのは当時20代の女性で、その父親と母親も逮捕されるという前代未聞の猟奇殺人です。
家庭で両親は娘を「お嬢さん」と呼び隷従させられ、娘は父親を相手にSMプレイを行うなど、厳格な医師の家庭からは想像もつかない倒錯した家族に注目が集まりました。
主犯の女性の父親は精神科医です。本来、問題を起こしそうな人に対し歯止めをかけるべき立場の人間が、子どもの犯行に加担したことを責める論調も数多くありました。
実は本件同様に、家庭に問題を抱えている医師たちは数多く存在します。他人に対しては理性的であっても、家族のことになれば冷静さを失うのが普通の人間です。
しかし社会的地位の高い人たちほど、困りごとが生じた時に他人に頼る発想がありません。それゆえ問題を拗らせ、いつの間にか制御できない状況に追い込まれてしまうのです。
医師や弁護士は家庭の悩みを同業者には知られたくないという人も多いことから、宗教やスピリチュアルの世界が居場所になることもあります。悪い人々は、富裕層の弱点にうまくつけ込み、あの手この手で搾取していくのです。
稼がない生き方
内閣府の調査によると、日本の引きこもり人口は15歳から64歳まで推計146万人。80代の親が50代の子を支える「八〇五〇問題」も深刻化しているといわれています。
私は拙著『高学歴難民』で、博士課程や専門職大学院で学位を取得したにもかかわらず、就職できずに社会を彷徨う人々を取材しました。
明治時代から昭和初期にかけて、高等教育機関を卒業しながら経済的に困らないことから就職せず、自由な生活を送る人々は「高等遊民」と呼ばれていました。
私は「高等遊民」と「高学歴難民」を明確に区別しています。前者は経済的に余裕がありますが、後者は困窮に近い状態です。第1章の高橋葵や第2章の花山隆史は「高学歴難民」というより「高等遊民」です。働いてはいませんが、生活には困っていません。
それでも花山隆史の妹は働かない兄を恥と考え、婚約者との結婚も兄によって破談になりました。実際、ニート・引きこもりと呼ばれる人々の中には、花山のように生活に困らない人々も存在しています。
では、家族が何に困っているのかといえば、世間体です。特に、働かない男性に対して世間は厳しい目を向けます。時には、犯罪者予備軍のような扱いさえ受けることもあるのです。
一方、現在は共働き家庭が主流となっていますが、少し前まで専業主婦は当たり前で、子どもが問題を起こせば、働いている母親が責められることもありました。未婚の女性については「家事手伝い」という肩書もまかり通っていましたが、男性には通用しません。
第5章の鈴木悦子の夫も働いていないわけではないのですが、妻の手伝いをするアルバイトという身分であることから、劣等感に苛まれ、犯罪に手を染めました。
これからの時代、稼がない男性を「男のくせに」と否定せず、「専業主夫」という生き方も認められるべきだと私は考えています。
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“豊かさの裏側”を知りたい方は、幻冬舎新書『お金持ちはなぜ不幸になるのか』をお読みください。
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お金持ちはなぜ不幸になるのか

裕福で、何不自由なく暮らしているはずなのに――なぜ“お金持ち”ほど深い闇を抱えてしまうのか。
そんな家族の実像を見つめた新書『お金持ちはなぜ不幸になるのか』が刊行されました。
お金が人を駄目にし、家族の歯車を狂わせる瞬間を描きながら「幸福とは何か」を根底から問い直す衝撃の一冊。
本書から、その核心に触れる一部をお届けします。
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