人気お笑い芸人の見取り図・盛山晋太郎さんが初めてのエッセイ『しばけるもんならしばきたい』を刊行! 2020年から約5年間つづったエッセイでは、日々テレビで活躍する盛山さんが、どんなことを考え、どんな風に過ごしているのか、その一端を覗き見られる一冊になっています。また、書籍化に当たり、2025年の盛山さんが当時の自分を振り返って書いた「いまがき」も収録。さらにさらに、約8割のエッセイには、盛山さんによる挿絵もついています。
そんなエッセイ集から、試し読みをお届け。盛山さんが本当に恐れている地元の先輩・大原くんについて書いた一篇です。
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地元の先輩
(小説幻冬2020年7月号掲載)
この世で一番恐ろしいもの。
災害、霊、高齢者の運転。人によって色々あるだろうが、僕にとっては間違いなく「地元の先輩」だ。
10代の楽しかった青春時代を思い出すときに必ずセットで付いてくるのは、一つ上の先輩方にずっと怯おびえて過ごしてきた日々だ。
特に怖かったのが大原くん(仮名)。僕らの中学のいわゆる番長と呼ばれる存在。それも“飛び級”で中二のときから。悪の象徴。『ドラゴンボール』に出てくるフリーザのモデルは大原くんちゃうんか? と思えるほど。親たちがよく言う「○○さんところの息子とは遊んだらあかんよ!」のルーツみたいな人。それでいて天狗の存在を本気で信じるほどのピュアさも持ってる、少しおバカな人。何が腹立つって、顔はDragonAsh の降谷建志似のイケメン。
大原くんはとにかく無茶苦茶だった。
下校の時間になると学校の正門を出てすぐの空き地で、大原くん率いる一つ上の先輩が10人ほど毎日たむろしていた。ヤンキー人気スポットの“学校から離れた大人の目につかない公園や空き地”では溜まらない。決まって正門前。そして、ゾロゾロと帰っていく生徒たちを品定めするかのように眺める。みんな、強制的に悪魔たちの前を通って帰るしかなかった。
僕は毎度、その日最高の緊張感を持って正門を出る。そしてこれも毎度、大原くんが「盛山ぁ~」と呼ぶ。あの高くねっとりとした悪魔の声は、今でも簡単に思い出せる。「盛山ぁ~」。死んだお爺ちゃんの声よりも鮮明に思い出せる。
「お~盛山ぁ~さようならの挨拶がないのぉ~」
ねっとりボイスとともに、ドスンッ! と僕の胸に向かって力いっぱいの正拳突きが放たれる。
これだけでも無茶苦茶な話だが、何が一番無茶苦茶かというと、僕は目を合わせてしっかりと「お疲れ様です。さようなら」と言っていたのだ。悪魔だ。
皆さんも学生の頃、教師に「挨拶はしっかりと」と叱られた記憶があると思うが、僕は教師ではなく一つ上の先輩にいつも注意されていた。正拳突きというオプション付きで。しかも挨拶しているのに。
ほぼ毎日下校時間になると正門前でたむろしており、横を通り過ぎるときに声をかけられるので、僕らのグループはそれを「検問」と呼んでいた。下校時間になると校舎の2階の窓からこっそり検問があるかどうかの確認をして、行われていたら裏口から帰る、行われていなければ正門から帰る、という習慣がいつしかできていた。
(まぁ裏口から帰っても電柱に隠れていた別の先輩が顔を出して「はいハズレ♡」と言って蹴られていたが)
しかも数いる生徒の中で、毎度その検問に引っかかるのが僕らのグループだった。というのも僕の地元には「ふとん太鼓」という秋祭りがあり(岸和田のだんじり祭みたいなニュアンスです)、大原くん率いる先輩集団はもちろん、僕らのグループの中の何人かが青年団に入っているということもあって、他の同級生たちと比べて関係性は濃ゆい方だったからだ。関係性が濃ければ濃いほど親密度が高くなり良いと思っていたが、僕らの場合は結果、オモチャにされていたのだった。
実際、検問のときの大原くんたちの目は、高速道路の出口で待ち構える警察官のような鋭く威圧的な目ではなく、トイザらスで興奮しながらオモチャを探しているときの子供の目だったのだ。
他に、こんなこともあった。
昼休みになれば僕ら男子は、急いで弁当を食べてグラウンドに走っていくのが恒例。全男子たちのグラウンド陣取り合戦に勝ちたいし、なにより1分でも長くみんなでサッカーをしたいからだ。そのためなら授業中に弁当を食べる「早弁」の技だって、リスクを冒してでも駆使した。
ある日、いつものように残りの弁当を飲み物のようなスピードで食べてグラウンドに着くと、広い運動場のど真ん中で大原くんがあぐらをかいて座っていた。
邪魔やなぁ……と思いながらも、僕らに何か言ってくるわけでもなくただ座っているだけなので(どんな昼休みの過ごし方や)、気にせずサッカーを始めた。最初は大原くんにボールが当たらないように気を遣って遊んでいたが、夢中になってくるとだんだん白熱するのがスポーツというもの。友達が蹴った緩いボールが転がっていき、座っている大原くんにトンッと当たった。
一瞬全員に緊張が走った。しかし、当たったのは亀のような速度の緩いボールだったので、「なかったことにするのが得策」という暗黙の合意のもと、それまでのサッカーの空気を取り戻そうと各々が走り出した。その瞬間、ボールを脇に挟み大原くんが勢いよく立ち上がった。
「ボケこらぁ~誰じゃあ~今蹴ったやつは~」
身の危険を感じた全員は「あいつです!!!」と言わんばかりに、一斉にボールを蹴った友達を指さした。僕ら中学生男子の絆はあまりにも脆かった。躊ちゆ躇うちよなくコンマ5秒の速さで友達を売った。訓練を受けたわけでもないのに軍隊ぐらい全員の動きが素早く合っていた。
大原くんは「お前かこらぁ!」とそいつ(生け贄)のところに勢いよく走っていき、顔を殴り腹を蹴って
「パスの精度が低いんじゃカス」と吐き捨て、校舎に帰って行った。ものの数秒だった。
体罰が横行していた時代とはいえ、強豪校のサッカー部でもなくただの昼休みのサッカーで、パスの精度で殴られた友達が不憫で仕方なかったが、大原くんが帰ってくれたことにどこか全員ホッとしていた。
「大丈夫か!?」とみんなで駆け寄ると「おお、大丈夫や……」と言って僕らを冷ややかな目で見たアイツの顔は忘れない。ちなみに34になった今でも親友だ。アイツがどう思っているかは分からないが。
この日から昼休みサッカーは“グラウンドのど真ん中で座っている大原くんに絶対に当てない”という、ハンドよりも重い絶対ルールが追加され、ドリブルとパスは右サイドと左サイドのみで、中央には誰も守備につかないという、サッカーかどうかも分からないスポーツになった。

そんな僕らも中二の頃に一度、反旗を翻そうと計画したことがあった。休み時間に廊下の隅に集まり、会議が開かれた。一人が「俺らは一個下にも舐められだしてる。このままやったらあかん。もう殺そう」と言い出した。
先輩方にオモチャにされている僕らを日頃から見ているせいだろう。一つ下の後輩たちの僕らへの対応が同級生、もしくは更に後輩に接するようなものになっていた。上下関係に厳しいのが祭り文化であり、男だ。先輩のオモチャとはいえ、僕たち14歳はそれが悔しかった。
大好きな昼休みサッカーも返上して生み出された作戦はこう。
「夜中に大原くんちに行き、2階の大原くんの部屋の窓に石を投げてガラスを割る。誰じゃあ! と怒って出てきた大原くんを全員のチャリンコで轢ひく」
アホ丸出しや。殺す気なんて端はなからない。それでも中学生たちは自信に満ち溢れていたし、正義を貫こうとしていたのだ。現代版の一揆。
早速その日、各々が家を抜け出して夜中に集まった。それぞれが拾って持ち寄った石は、窓ガラスを割るなんて到底不可能な驚くほどの小石だった。埃、いや粒子レベルのサイズだ。みんな同じサイズだったので、驚いたリアクションを取るものは誰一人いなかった。
「よっしゃ、はじめるか……」
と、2階の窓に向かって粒子サイズの小石を投げるが届かない。届かないというか、絶対に当たらないように、池の鯉に餌を与えているかのような下手投げ。もちろん気づくわけもなく、起きてこない大原くん。
5分ほど家に粒子を投げるという謎の行為を続け「これくらいにしといたろか」と誰かが言い、解散した。
中学生たちは、夜中に先輩の家を5分にわたってすこーし汚しただけだった。それでもどこか「やり返してやった」と満足げに帰路についた。悪魔宅に近寄るとは、それほど勇気のいる行為だったのだ。
これらの思い出を書いていて、ふと思った。
正直あの日々のことは書けることがまだまだある。中学卒業編、高校編、社会人編……と、10がゴールだとしたら、今はまだ0.0001くらいだ。言いすぎて良いなら、2京文字は必要だと気づいた。
ちなみに大原くんは今、ちょっと口の悪いお腹が出てるおっさんになっている。数年前、大原くんと飲む機会があった。奥さんのお腹にお子さんがいるらしく、生まれてくる子供の名前について嬉しそうに真剣に話していた。
「盛山ぁ~名前ってのはなぁ~唯一無二やないとあかんぞ~。俺の息子の名前はええぞ~、拳って書くねん、なんて読むか分かるか~?」
「ケンですか?」
「アホか~だからお前はアホやねん~」
「正解教えてくださいよ!」
「ナックルやがな~大原ナックルにするねん」
「アホはあんたや!!」
数ヶ月後、無事に生まれたと人づてに聞いた。結局名前は奥さんが付けたらしい。
「今回の話は悪口でもなんでもなく、ただ思い出に浸っているだけだということを大前提で読んでいただきたいです」
と補足したくなる自分は、おっさんになった今でもまだまだ大原くんが怖いんやなぁと改めて思う。
大原くん、しばけるもんならしばきたい。好きやけど。好きやけど一発しばかせて。
2025年盛山のいまがき
この2年後くらいに大原くんからのLINEの返信を怠ったら「お前俺のことなめとんのかコラ」と電話で20分くらいガチギレされて電話ごしに平謝りすることになる。やっぱりしばきたいもんはしばきたい。
しばけるもんならしばきたい

見取り図・盛山晋太郎さんのエッセイ『しばけるもんならしばきたい』の試し読みをお届けします。











