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『栄光のバックホーム』(試し読み)

2025.12.04 公開 ポスト

#5 2度の治療と失った光中井由梨子(劇作家・演出家)

脳腫瘍の後遺症に苦しむ中、引退試合で見せた「奇跡のバックホーム」。伝説のプレーから4年後、横田慎太郎さんは28歳でこの世を去った。人々に愛され希望となった青年の生涯を、母親の目線で描いた、感涙のノンフィクションストーリー『栄光のバックホーム』。

横田さんの自伝『奇跡のバックホーム』と『栄光のバックホーム』を原作とした、映画『栄光のバックホーム』が、2025年11月28日に全国で公開。

映画の公開に合わせて、『栄光のバックホーム』の試し読みを全6回でお届けします。

*   *   *

第二章 奇跡のバックホーム

 


あの日を、忘れません。

2017年2月。一本の電話が私たちの長い長い旅路の始まりを告げる汽笛のように鳴り響きました。

慎太郎は前年のシーズンを不完全燃焼で終えたものの、年が明けてすぐに沖縄の宜野座での一軍キャンプに呼ばれました。今年こそは、とやる気を奮い立たせていたそうです。

私は仕事が休みで朝からのんびりと家におりました。夕方から買い物にでも出かけようか、と思っていた時のことです。スマホに着信がありました。画面に「慎太郎」の文字。

あまり良くない知らせの気がしました。そのような予感がした時は、とっさに元気に振る舞ってしまうのが私の癖です。

「あら、慎太郎! どうしたの、元気?」

『あ、うん、元気』

電話口の慎太郎が、自分の口から出た言葉に戸惑っているような感じがしました。

『今日さ、病院行った』

「あ、そう。怪我?」

『ううん』

「なに」

『脳腫瘍だって』

一瞬、何を言われたのか分かりませんでした。

「え、なに?」

『の……』

それっきり、慎太郎の言葉が途切れました。心臓がドン、ドンと内側から叩くように鳴り始めました。いったいなんなのだ? のう、しゅよう?

『もしもし、お母さんですか?』

耳慣れない男性の声が聞こえました。球団のトレーナーの方でした。

『すみません、本当に突然なのですが、大阪までいらしていただくことはできますか』

頭の中ではグルグルとさっきの慎太郎の言葉が渦巻いて、声がよく耳に入りません。息子はいったいどうなってしまったのだろう。

『では、お待ちしております』

時が止まったようでした。考えることができず、動くこともできません。心臓はドクドクと鳴り続けています。

「とにかく……」

真之の番号を押しました。飛行機を手配しなければ……真子にも連絡しなければ……。

「お父さん、今すぐ帰ってきて……」

 

前年の夏頃から慎太郎の原因不明の頭痛は次第に激しくなり、夜も眠れないほどになっていたといいます。暮れ頃から目にも異常が現れるようになっていました。視界に黒いラインが入る、ボールが二重に見えるといった症状で、キャンプ中もミスを繰り返し、様子がおかしいと察したコーチが練習を中断させて病院に行かせたそうです。

事情を知って飛んで帰ってきた夫と共に、その日のうちに飛行機に乗り、大阪へ向かいました。慎太郎と顔を合わせたのは、大阪にある大学病院の待合室でした。キャンプを離脱し、大阪に戻って再度、精密検査を受けたとのことです。

病院の大きな自動ドアを抜けると慎太郎の担当スカウトだった田中秀太さんが待っていてくださり、私たちに駆け寄ってきました。

「どうぞ、こっちです」

秀太さんは泣き出すのをこらえるかのような表情で、急ぎ足で案内してくださいました。診察室の前のソファに座っている慎太郎は、じっと目を閉じていました。

「慎太郎」

声をかけるとハッとこちらを向き、立ち上がりました。一瞬、笑ったようでした。よく日に焼けた顔、たくましい体つき、伸びた背筋。この子のどこに病気があるの、と腹立たしいような気持ちになりました。

「大丈夫だからね」

近づいてそう言いますと、息子は目を潤ませました。よく見ると、目の周りが腫れています。ああ、泣いたのか。たくさんたくさん、泣いたんだな。

ほどなくして診察室に呼ばれ、精密検査の結果を3人で一緒に聞きました。

「いったん、野球は忘れましょう」

担当医の言葉に、慎太郎は、少し口を開いた状態で、じっと先生の顔を見つめていました。目が左右に動いて、焦点が定まりません。何か言いたいのでしょうが、なんと言えばいいのか分からずにいる様子です。先生は続けてこれからの治療法を説明してくださいました。

手術を2回行うこと。ひとまず応急処置のための手術、そして開頭での腫瘍摘出手術。手術の後も、再発させないための抗がん剤治療、放射線治療と続き、退院までに半年ほどの時間を要するだろうということでした。

想像もしたくない恐ろしい用語が次から次へと飛び出して、私はもう逃げ出したくなっていました。

「慎太郎は」

夫がふいに口を開きました。

「治りますか」

先生は頷きました。

「一緒に治しましょう」

すると、押し黙っていた慎太郎が急に大きな声で言いました。

「先生、僕は野球がしたいんです」

一瞬言葉に詰まったように、先生は慎太郎を見つめました。

「治っても、野球ができる体でないとダメなんです」

野球ができる体。筋力と体力が充分にあり、すべての神経が健康に整った状態の体。

「野球ができる体にしてください。神経は一本も傷つけないでください」

驚くほどにはっきりと、慎太郎は言いました。先生は黙ったままでした。

命が助かるかどうかの瀬戸際に、どうして野球のことなど考えられるのだろう。しかし息子は真剣でした。まっすぐに背筋を正して先生を見て、これだけは絶対に譲らない、といった構えでした。この強さは、いったいどこから来るのでしょう。

「分かりました。もう一度野球ができるようにします」

ついに先生がそう言うと、慎太郎は「お願いします」と頭を下げ、唇をぎゅっと嚙みしめました。

この時、この大学病院に阪神球団のチームドクターがいたことでスムーズに治療ができたそうです。さらにそれだけではなく、球団の方が慎太郎をなんとか助けたい、と手を尽くしてくださったおかげでスムーズに入院できたことを後になって知りました。

慎太郎は皆からも期待されている選手で、チームの主砲として戻ってきてほしいのだという球団の想いを受けた病院は、医療チームを編成し、全力を尽くすことを約束してくださいました。

慎太郎はこうして、球団からの全面的なバックアップのもと、「グラウンドに帰る」ことを前提に治療をスタートさせたのです。

 

慎太郎を一人で頑張らせることは、最初からまったく考えておりませんでした。

「この部屋で私も寝泊まりします」

病院のスタッフの方は驚いたようで、それはできないと言いました。どんなに近しい家族でも、患者と寝泊まりするほどの付き添いはこれまでしていないというのです。

「でも、世話をする人間がいないといけませんから」

「皆様、毎日通って来られていますよ」

「通いでは、夜中は一緒にいられませんよね? 本当に必要なのは、夜だと思うんです」

「夜勤のスタッフがおります」

「スタッフの方は、この子一人に付きっきりというわけにはいかないでしょう」

「ですが……」

病院側もさぞ困ったことでしょう。しかし私の決意は揺らぎませんでした。慎太郎がこの現実に耐えるために、私にできることは一緒に耐えること。そして一緒というのは、心も体も常に一緒でなければ意味がない。

傍にいなければ、と強く思ったのです。私の異様な熱気が伝わったのか、最終的に病院は許可してくださいました。

話を聞いた真之はさすがに「本気か?」と驚きました。

「本気ですよ。仕事も辞めます」

ただ、私はよくても真之までそうするわけにはいきません。この頃、真之は学生野球資格回復研修制度を通じて、日本学生野球協会から資格回復の適性を認定され、鹿児島商業高校野球部のコーチを務めておりました。真之にとっても夢の一つだった甲子園を、今は生徒の皆さんと共に目指す日々を送っています。私は真之がふたたび野球の表舞台に立てたような気がして喜んでおりました。

生徒への責任もあり、真之は鹿児島に帰らねばなりませんでした。何より一家の大黒柱が仕事を辞めてしまっては入院費も払えません。あまりの出来事に、お金の計算などする余裕はありませんでしたが、半年間の入院と治療に要する費用を用意しておかねばならないのです。

「そうか……お母さんが倒れないようにせんとな」

「私は大丈夫。絶対に、大丈夫です」

こうして、慎太郎との二人三脚が始まったのです。

 

2月半ば。有休を取って大阪にやってきた真子が、スポーツ新聞を携えて病室に入ってきました。慎太郎は1回目の手術を翌日に控えており、食事の後で少し眠っていたので、私は真子とロビーに出ました。真子は私のために着替えや、こまごまとした生活必需品を持ってきてくれていました。

「体調不良、だけしか書いてない」

真子がスポーツ紙を広げて言いました。

現段階では、病名は公表しないことになりそうだと、秀太さんから聞いていましたが、さりげなく『横田、体調不良のため欠場』と書かれた小さな記事に、安堵と虚しさが同時に押し寄せました。

「お母さんは大丈夫なの? 睡眠とか……」

「思ったより快適よ」

入院して1週間以上、私は毎日慎太郎のベッドの横のソファで眠っておりました。

「病院内にコンビニもレストランもあるし、不自由ないわよ」

「倒れないでね」

真子が念を押すように言いました。

2月16日。1回目の手術の日。慎太郎は朝からまったく食欲がありませんでした。

「ほんの少しおでこを切って、内視鏡を入れます。2時間程度で終わりますよ」

先生は事もなげにおっしゃいましたが、慎太郎は完全に震え上がりました。

「おでこを、切る!?」

血の気が引きますが、それでも治療としてはまだ序盤。ここからもっと過酷な闘病が待っているかと思うと心が萎えます。ですが、

「麻酔があるんだから、寝てるだけでなんにも感じないわよ」

と、私は笑って言いました。

実際、この手術はあっという間に終わりました。あんなに怖がっていた本人も、終わってみると案外ケロリとしていて、術後2日目の朝などは、5時にゴソゴソと起き出してトレーニングウェアに着替えています。

「どこ行くの?」

「走ってくる」

飄々とした顔で病室を出ていきました。この手術のおかげで、不快だった目の症状や肩こりなどがすべて消えたそうで、安心したのだと思います。

「ちょっとでも動いておかないと。このまま練習に合流したらおいていかれるから」

ジョギングを終えて戻ってきた慎太郎は、床に座ってストレッチを始めます。

「でもね、慎太郎、まだ退院はできないわよ」

「もう元気だよ」

「あと1回、手術しないといけないから」

「え?」

最初の説明をすっかり忘れてしまっていたのか、慎太郎はびっくりして私を見つめました。今の手術はただの応急処置で本番は次なのだと言うと、一気にげんなりしてしまいました。

「マジかよ……」

「まあ、次もどうせ寝てるだけだから、平気よ」

私は笑いながら自分の朝食の支度を始めました。

 

2回目の手術は3月30日に予定されていました。

手術までは特に治療もなく、慎太郎は毎朝ジョギングをして部屋でストレッチし、昼間は見舞いの球団関係の方と面会したり、スマホでチームの動画を視聴したりして、比較的忙しく過ごしていました。しかし、さすがに手術前日ともなると、否応なしに緊張が高まってナーバスになり、口数も減っていました。いったん鹿児島に帰っていた真之が、ふたたび病院へやってきました。

「野球部はいいの?」

慎太郎が鹿児島商業の部員たちの心配をすると、夫は「みんな俺がいなくても頑張って練習してるよ」と答えました。心なしか、父が来てくれたことを慎太郎は喜んでいたようです。その日の夜は、二人とも野球の話ばかりをしておりました。

翌朝9時。

看護師さんが迎えに来て、慎太郎は立ち上がりました。私は慎太郎の手を握りました。緊張のためか、その手が冷たくなっています。

「では、行きましょうか」

看護師さんがそう言った瞬間、なぜか「もし失敗したら」という思いが一気に押し寄せました。もし手術が失敗して、意識が戻らなかったらどうしよう。そのまま目覚めることなく……。最悪の事態を想像して不安でたまらなくなり、握った手を一層強く握りました。

「行ってきます」

慎太郎は私の気持ちを察したのか、手を握り返して優しく離すと、看護師さんの後について廊下を歩き出しました。

「頑張れよ!」

「待ってるからね」

戻ってきて。絶対に戻ってきて。野球なんかできなくなったっていい。生きてさえいてくれたらいい。それだけでいい。神様、お願いします。お願いします。

それから、真之と二人でただ、待合のソファに座っておりました。1時間、2時間、3時間と、刻々と時間は経っていきます。昼時を過ぎても、食事のことなど考えもしませんでした。

15時頃、真子から状況を尋ねる何度目かのLINEメッセージが届きました。手術はまだ終わりません。16時になると、気持ちがソワソワし始めました。しかし17時になっても18時になっても、いっこうになんの報告も来ません。19時を回った頃、どうしようもなくなり、ナースステーションに向かいました。

「あの……手術はどうなっていますでしょうか、始まって10時間経っていますが……」

「まだ続いています。大丈夫です。安心してください」

その看護師さんの笑顔に人心地がつきました。気がつけば、両手を強く組んでいたのか、手の甲にくっきりと爪の痕がついていました。

夜は更けていきます。24時を回り、さすがに心配した真子が「どうなってる?」と電話をかけてきました。私も真之も、一滴の水も飲んでおりません。トイレにも行っておりません。体の機能が麻痺してしまったかのようでした。

時計が3時に近づいておりました。ふいに、手術中のランプが消えました。

「終わった……!?」

少し経つと額に汗を滲ませた先生がいらして「成功です」とおっしゃいました。

その一声で、一気に体の力が抜けました。

「腫瘍はまだ初期の段階だったのですべて摘出できました」そう先生はおっしゃいました。私も夫も何度も何度も頭を下げました。

「ありがとうございます……!」

神様、ありがとうございます。

病院の先生方、看護師の方、皆様全員を拝みたいような気持ちでもう一度頭を下げました。

手術室からベッドに横たわった状態で出てきた慎太郎は、まだ麻酔が切れておらず、昏睡状態でした。顔は鬱血してパンパンに膨れ、まるで別人のようです。その姿を見た瞬間、涙が込み上げてきました。頑張ったね、本当によく頑張ったね。偉かったね。そう言って優しく撫でてやりたい。

「ありゃ違う人だな。慎太郎じゃないよ」

隣で真之がボケたことを申します。この期に及んで天然さを発揮しなくてもいいのに。

「慎太郎です」

「いや、顔が全然違う」

「慎太郎ですって! よく見てください」

さすがに腹が立って声を荒らげると、看護師さんも「慎太郎さんですよ」と苦笑いをしました。病気というものは恐ろしい。思わずそう思いました。その人の顔かたちや、人間性まで、まったく違うものに変えてしまう。太陽のように健康で、愛嬌もある慎太郎は今、別人のようになって横たわっています。けれど──

どんな姿になっても、一緒にいよう。

強く思いました。これからどんな体になっても、彼の見た目や、性格や行動が変わっても、慎太郎は慎太郎、その魂だけを見続けていよう、と。

 

その日の昼間、ぼんやりと慎太郎の意識が戻ってきました。

私はずっとベッドサイドに腰掛けて、様子を見ておりました。手術が終わってもろくに食事は喉を通らず、かろうじて水分だけはとりながら、夫とかわるがわる息子を見守っていたのです。

彼がわずかに首を振り、目を開けようとしているので慌てて「慎太郎!」と呼びかけました。

「うん……」

「よく頑張ったね」

「うん……」

息子は目を開かないまま、ぼんやりとした声で答えます。

「痛かった?」

「ううん」

「眠ってた?」

「うん……、海の中にいた……」

「海?」

「うん、海の中で、魚と泳いだ。……気持ち良かった」

慎太郎はそう言って、また眠りに落ちていきました。

それからしばらく経ち、もう一度慎太郎が目を覚ましました。今度は大きな息をフーッと吐き出し、はっきりと目を開けました。

「慎太郎」

息子は何度か瞬きをしました。天井をじっと見上げています。

「起きたか」

隣にいた夫もその顔を覗き込みました。慎太郎は、一層目を見開いて天井を見つめました。私の声も、夫の声も、聞こえていないかのように目の奥に力がありません。何かが変だ、と私は思いました。

「見えない」

次の瞬間、慎太郎が呻くように言いました。

「え?」

「見えない……見えない……」

何度も瞬きをしながらしきりに天井を見つめています。

「慎太郎!」

「見えないって、なんだ」

「見えない、なんにも見えない!」

強く呻きました。

「大丈夫、大丈夫だから!」

「見えないよ!」

夫が看護師を呼び、続いてすぐに先生が入ってきました。先生は穏やかに、

「一時的な後遺症です。安心して」

と、慎太郎を落ち着かせようとしましたが、息子は暴れ出さんばかりに言いました。

「どうすればいいんですか。見えなかったら野球できません、野球できなかったら、僕はどうすればいいんですか!」

「いずれ見えるようになりますから……!」

先生の言葉を聞きながらも、慎太郎の体は震えていました。

恐怖よりも、やり場のない怒りに満ちているようでした。

手術前の誓約書には、術後の後遺症について書かれた項目があり、説明を受けていました。でも、まさかここまでの事態になるとは、彼自身も想像していなかったことでしょう。この時、慎太郎はほとんど何も見えず、声のするほうを見ても誰だか分からない、すぐ傍に何があるかも分からない真っ暗闇に突き落とされてしまったのです。

「大丈夫、大丈夫」

呪文のように繰り返しながら、私は自らの恐怖心を抑えつけるように、ただひたすらに慎太郎の手を握っていました。

日が落ちても、慎太郎はショックのあまり、ただじっと天井を睨み、動けない体を震わせておりました。

涙すら、流れませんでした。

どんな姿になろうと息子は息子である、変わりはないと思っていましたが、突然視覚を奪われた息子を目の前にして、それすら悠長な考えだったことに気がつきました。

なぜ自分がこんな理不尽な仕打ちを受けねばならないのか、慎太郎の物言わぬ横顔が、怒りに染まっていました。

たしかに命は助けてもらった。

しかしこれから歩む道は、先の見えない、真っ暗なトンネルになってしまった。

この傷ついた横顔を、あの京セラドームでの開幕戦の日に想像できただろうか。満員の観衆の前で、輝かしい未来に向かってこの子がバットを振ったのは、つい去年のことじゃないか。

「どうして……」

何度も言うまいと思ってきた言葉が口をついて出てしまいました。

「どうしてこんなことに……」

喉の奥に、つっかえていた何かが迫り上がるような感覚に襲われ、私は慌てて立ち上がりました。そっと病室から出てトイレに行こうと思ったのですが、なぜか廊下の先のエレベーターに飛び乗りました。

病院の最上階には、展望台があります。話には聞いていましたが、一度も上がってみたことがありませんでした。思いつくままに展望台のフロアに降りた私の目に飛び込んできたのは、眼前に広がる美しい大阪の夜景でした。

窓ガラスに近づくと、遠くに観覧車と太陽の塔が見えます。そしてちょうど造幣局の桜が満開でした。ライトアップされて白々とした姿を浮かび上がらせています。あの有名な桜並木の下で、今頃大勢の人がお花見をしていることでしょう。

「綺麗……」

そう言った瞬間、こらえていたものが溢れ出しました。喉の奥から塊のようなやりきれなさがぐっと迫り上がって噴き出しました。涙が後から後から流れ落ちました。泣いちゃいけない、泣いちゃいけない、と心で言い聞かせながら、それでも止めることができません。

世の中は私たち家族の苦しみを置き去りに、何事もなかったかのように流れていきます。

健康であることが当たり前のように、ただ夢を追いかけて笑ったり怒ったりしながら過ごしてきた毎日から、こんな風に一気に変わってしまうことがあるのか。ついこの間までいた世界と、今、自分がいる世界があまりにも違いすぎて、その絶望にこの先、耐えられるか分からない……。

いったいどうしたらいいのだろう。

白く光る桜並木を見つめながら、ただ涙が流れるに任せていました。

泣くだけ泣いてしまうと、少しだけ落ち着いてきて、屋上にはちらほらと人影があることに気づきました。

車椅子に座った入院患者らしき人とその家族がいます。彼らも言葉少なに、大阪の夜景を眺めています。あの人たちも今の私と同じく、世の中から取り残されたように感じているのだろうか。眼下に広がる“普通の生活”を、遠く、愛おしく感じているのだろうか。

たしかに、病気になることは苦しい。けれどもっと苦しいのは、これまで当たり前にできたことができなくなることなんじゃないだろうか。好きなことを取り上げられ、生きる意味を見失うことなんじゃないだろうか。

だとすれば、今私のやるべきことは、暗闇を彷徨う慎太郎に光を見せてやることだ。それがこの子を預かった私の使命なのかもしれない。

慎太郎にこの夜景を見せよう。必ず見せよう。

それまではもう二度と泣くまい。

もし、泣きそうになったら、笑ってやろう。

私は踵を返し、病室へと急ぎ足で戻りました。

そっと病室の扉を開けると、薄明かりの中で慎太郎がこちらを向いたのが分かりました。

「お母さん」

慌ててベッドサイドに駆け寄りました。

「なに? 慎太郎」

慎太郎は、薄目を開けてぼんやりとしていました。

「いるなら、いい」

そう言って瞼を閉じ、眠りに入りました。

「ここにいますよ」

呟くようにそう言いました。そしてそっと我が子の頬を撫でました。

 

それから約2か月という長い間、慎太郎の視界は暗いままでした。

先生や看護師さんから「時間が経てば見える」と言われ続けていましたが、息子はこの閉ざされた暗闇を彷徨っている間、ほぼ無口で、何を考えているのかまったく分かりませんでした。食事もトイレに行くのにも私が手を貸しました。おそらくそれも最初は嫌だったのでしょう。しかし見えなければそれすら一人ではできません。

このままでは体より先に彼の精神が参ってしまう。そう思った私は、風や匂い、音など、視覚以外の五感をより強く感じることができるように、慎太郎を車椅子に乗せて病院内の庭や、あの展望台にも連れていきました。そして歩きながら、

「すぐ見えるようになるからね、大丈夫よ」

と呪文のように繰り返していました。そうやって自分を奮い立たせるだけでなく、「見えるようになる」と言霊を使って現実を引き寄せようとすら思っていました。

最初の頃はどこへ連れていっても慎太郎の表情はこわばったままでしたが、庭で穏やかな風に吹かれるのは好きなようでした。じっと気持ちよさそうに目を閉じているので、

「ここの風は甲子園からの風だもんね」

と言いますと、

「さすがにそれはないでしょ」

とあっさり言い返されてしまいました。

術後1か月は傷口がまだ完全にはふさがっておらず、慎太郎が傷口を搔いたりしないように、寝る時は互いの手首を輪ゴムで繋いだうえ、慎太郎の手に鈴をつけました。慎太郎が手を動かしたら、私が起きて手を傷口から離すためです。最初の頃はしょっちゅう鈴が鳴り、私はまるで夜泣きする赤ちゃんを抱える母親のように、睡眠不足に陥りました。しかし傷口から雑菌が入ってしまうとまた手術せねばならないと聞いていたので、もう二度とあんな大変な思いはさせまいと必死でした。

慎太郎がナーバスな状態であることを、球団もよく承知していましたので、この期間はお見舞いを遠慮してくださっていました。私のほうには「様子はどうですか」と連絡が入りますし、病院からも随時報告が上がっていたとは思いますが、何も知らされていなかった慎太郎は、球団の人が誰も来なくなったことにひどく不安を覚えていたようでした。

「契約、切られるかな」

ある時、ベッドの上でそう呟きました。

「まさか! 治療だってこんなにバックアップしてくださってるじゃないの」

「でも、最近誰も来なくなったし……目が見えなくなってから」

「それは……」

言いかけてハッとしました。このまま本当に目が見えなければ……契約は確実に打ち切りでしょう。もしそうなったら、慎太郎はいったいどうなってしまうのでしょう。

「大丈夫よ」

そう口では言いましたが、不安も致し方ない、と思いました。もう1か月以上も見えない日が続き、最初はあった希望も日に日に削られ、息子の中では「ずっとこのままかもしれない」という不安と恐怖が確信めいたものになってきたようでした。

一方、シーズンが開幕してもいっこうに姿を見せない慎太郎について、阪神ファンの間で様々な憶測や心配の声が上がっていました。依然として球団は情報を外に出さなかったので、SNS上では、精神的な病ではないか、もう引退するんじゃないか、とまで騒がれるようになっていたのです。それと同時に、慎太郎を心配する多くのファンの方々からお見舞いの品やお手紙が毎日のように虎風荘に届くようになりました。

ある時、寮長さんがパンパンに膨らんだ紙袋を2、3個抱えて病院まで来てくださいました。

「ファンレターがあんまりたくさん届くんで、たまりかねて持ってきましたわ」

そう言って取り出したのは、ぶ厚い封筒の束でした。

「慎太郎、ファンの皆さんから手紙届いたよ!」

「え……」

慎太郎のベッドに束をのせて手で触らせてやると、その数に驚いたようでした。

「こんなに……?」

私はベッドサイドに腰掛け、最初の一通の封を切りました。

 

『一日も早い復帰を祈っています』

 

私は丁寧に書かれた手紙を一言一句のがさず音読していきました。一通目を読み終わると、次の一通を開封しました。

 

『どんな状態か分からないけれど、横田さんが帰ってくるのをいつまでも待っています』

 

一通一通、開いては閉じ、開いては閉じ、声に出して読んでいくうち、胸に込み上げるものがありました。手紙のほとんどが手書きで、小さなお子さんから若い女性、ご年配の男性、主婦、高校球児に至るまで様々な年齢層の方々が送ってくださいました。

その文面から、込められた想いや願いがひしひしと伝わってきました。慎太郎の似顔絵を描いてくださる人や、千羽鶴を折ってくださる人もいました。息子はなんと愛されているのだろう。こんなにも多くの方から応援されているのか、と胸が熱くなっていきました。時が経つのも忘れて読み続け、ふと顔を上げますと、目を閉じてじっと聞いていた慎太郎の目からは、静かに涙が流れていました。

「慎太郎」

手を止めて、そっと手を握ってやりますと、涙は後から後から流れて頬を伝い、ベッドの布団の上にぽたぽたと落ちていきました。傷だらけで、顔も青白く、次第に痩せ始めている体をさすりながら「良かったね」と繰り返しました。

一日では読み切れない量の手紙を何日もかけて読み、しばらくするとまた寮長さんが新しく届いたものを持ってきてくださる……そんなことが繰り返されました。その時は知りませんでしたが、球団の公式SNSやホームページには、さらに多くの声が寄せられていたそうです。

 

ある穏やかに晴れた日、車椅子を押して慎太郎と庭に出ました。

季節は5月になっていて、暖かな木漏れ日が風に揺れています。慎太郎は春風に耳を澄ましながら、空に向かって目を開きました。

「お母さん」

久しぶりに息子の声は凜としていました。

「俺、やっぱり野球やる。この目標からは、絶対に逃げないことにした」

私は驚いて慎太郎の顔を見つめました。

「このまま視力が戻ってこなかったとしても、諦めないでいたら、いつか必ずできる日が来ると思う。それが目標。目標は絶対、達成する。ずっとそうしてきたし。病気より、目標を成し遂げる力のほうが強いんだって、俺は実証したい」

風が、慎太郎の言葉をすくい上げて空に舞わせるように吹きました。

 

病気より、目標を成し遂げる力のほうが、強い。

 

子どもの頃から一つ一つの目標を着実に達成し、積み上げてここまで歩いてきたことは、誰よりも私がよく知っています。慎太郎にとって目標とは、そうなったらいいな、というレベルのものではありません。必ず達成する、という確実な未来なのです。

今、彼はこれまで設定してきた中で最も難しく、大きな大きな目標に向かって、一歩を踏み出そうとしています。きっと息子はやるでしょう。誰がなんと言おうと、達成するでしょう。不可能を可能にしてみせるでしょう。

だって、昔からそういう子なのですから。

「慎太郎なら、やるだろうね」

私の言葉に慎太郎は笑いました。そう、笑ったのです。手術以来初めて。

暗闇の世界でなお、“目標”を見出して初めて、笑うことができたのです。

関連書籍

中井由梨子『栄光のバックホーム 横田慎太郎、永遠の背番号24』

脳腫瘍の後遺症に苦しむ中、引退試合で見せた「奇跡のバックホーム」。伝説のプレーから4年後、横田慎太郎は28歳でこの世を去っ た。阪神はその年に38年ぶりの日本一。歓喜の中心で舞ったのは、横田選手のユニフォームだった。人々に愛され希望となった青年の生涯を、母親の目線で描く。絶望と挑戦、そして絆。感涙のノンフィクションストーリー。

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『栄光のバックホーム』(試し読み)

2025年11月28日に映画『栄光のバックホーム』が、全国上映します。

その原作の試し読みをお届けします!

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中井由梨子 劇作家・演出家

 

一九七七年兵庫県出身。劇作家・演出家・演技指導講師。九六年、神戸で旗揚げされたガールズ劇団・TAKE IT EASY! に座付き作家として入団。二〇〇五年に活動拠点を関西から東京へと移す。一〇年劇団CAC中井組の座付き作家・演出家に就任し、一三年まで活動。一八年二月にmosaqueを結成。映画「20歳のソウル」の脚本・プロデュースを担当。

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