脳腫瘍の後遺症に苦しむ中、引退試合で見せた「奇跡のバックホーム」。伝説のプレーから4年後、横田慎太郎さんは28歳でこの世を去った。人々に愛され希望となった青年の生涯を、母親の目線で描いた、感涙のノンフィクションストーリー『栄光のバックホーム』。
横田さんの自伝『奇跡のバックホーム』と『栄光のバックホーム』を原作とした、映画『栄光のバックホーム』が、2025年11月28日に全国で公開。
映画の公開に合わせて、『栄光のバックホーム』の試し読みを全6回でお届けします。
* * *

日本の球児たちの目標。誰もが憧れる聖地。
それが、甲子園です。
当然、プロに行くと決めた慎太郎の第一の目標は、甲子園出場でした。プロ野球選手になるにしても、甲子園に出場しているのといないのとでは、将来に大きく差が出てきます。よく知られた話ですが、ドラフト会議では甲子園で活躍した選手たちから指名がかかることが多いのです。そしてその闘いは中学からすでに始まっているのです。
慎太郎の野球部でも、中学2年時にすでにどの高校へ行きたいか、ということが部員たちの間では話題となっていました。慎太郎はいつも迷わず「鹿児島実業高校」と答えているようでした。
県内屈指の強豪である“鹿実”は甲子園の常連校。プロ野球選手も多く輩出する、間違いなく全国トップクラスの野球部です。
もちろん本人が望む場所へ行かせてやりたいのですが、鹿実の野球部は全寮制で練習も大変厳しく、親元を離れてやっていけるのかが心配で、できることなら家から通える高校へ行ってくれないかと密かに思っておりました。
「慎太郎、高校どうするかしらね」
ある時、真之にそう言いますと、
「鹿実だろう。慎太郎なら入れる」
「問題は入った後ですよ」
「入ってしまえばこっちのもんだよ。泣いて戻ってきても絶対に家には入れん」
と、鬼のようなことを言います。
「この間、監督さんと話をしたんだけどな、大会で慎太郎のプレーを見た鹿実のコーチが勧誘に来たんだと。あんまり上手いから3年生だと思ったらしくてな。まだ2年生だと聞いて、びっくりしとったそうだ」
真之は満足げに笑っています。
事実、慎太郎の周囲からの評価は非常に高く、本人もそれを自覚しているようでした。だからこそ、自分は特別なのだ、という思いがより一層、厳しいスケジュールをこなすための原動力になっていたような気がします。
「うちの子は慎太郎くんに凄く憧れているのよ」
同じ野球部で同級生のお母さんから、そのように言われたこともありました。
1年生の頃、練習が休みの日にその友人の家に部員が遊びに来た時、他の子たちはゲームや漫画を持ち寄っていたのに対し、慎太郎だけは『週刊ベースボール』を持ってきて一人熱心に読んでいた、というのです。話を聞いた時は、なんと協調性のない……と呆れてしまったのですが、友達はみんな「横田はプロに行くんだから」と納得していた、と。
「監督さんが、慎太郎くんはチームでも一目置かれていますってさ」
しかし、そう言う真之は、なぜか慎太郎に自ら野球を教えることをしませんでした。たまにアドバイスを求められると応えはしているのですが、自分から進んで指導することはなく、私にはそれが不思議でした。息子が自分と同じ道を目指すことを喜んでいるのに。
一方で、地元の子どもたちには進んで野球を教えますし、将来的には中学や高校の野球部の監督をやってみたい、などと言うのです。
だから、
「よその子を教えなくても慎太郎に教えてやったらいいじゃないですか」
と聞いてみましたが、
「慎太郎はいいんだ。あいつはあいつでやっていくだろうから」
と、なんだか達観したような返事をします。週末に行われる試合も、私は欠かさず応援に行きましたが、夫は仕事を理由に行ったり行かなかったりで、慎太郎からすれば、少し寂しい気持ちもあったのではないかと思います。
そんな父と息子でしたが、3年生が引退し、2年生が部活の主役となり始めた秋のことです。
相手チームのグラウンドを借りて練習試合が行われていました。私は真之と並んでスタンドで応援をしていました。先輩もいない気楽さから、慎太郎たち2年生のチームには少し浮かれたような空気が流れていたのです。慎太郎もその日はベンチでチームメイトと大声で話したり、笑い合ったりすることが目立っていました。試合も快勝で、浮かれた雰囲気のままゲームセット。
試合後、鞄を持ってグラウンドから出ようとする慎太郎と仲間たちは、保護者会から差し入れされた栄養ドリンクを手にしていました。チームメイトの一人がドリンクをラッパ飲みし、慎太郎もそれに続きました。そのうちに一人がドリンクを別の選手に飲ませようとふざけ始め、悪乗りした彼らはドリンクをこぼさんばかりの勢いでじゃれ合いながら、グラウンドを横切ったので、それを見咎めた顧問の先生が注意をしておりました。
スタンドから一部始終を見ていた真之は、物も言わずスッと立ち上がり、出ていきました。私も、慌てて後に続きました。
グラウンドの入口付近に、帰りのバスが停まっており、乗車を待つ野球部員たちが溜まっています。そこに慎太郎の姿もありました。
すると真之は大股で慎太郎に近づくなり、周囲の目も顧みず、いきなり慎太郎を殴りつけました。
「ちょっと待って……!」
驚く部員たちをかき分け、私は真之の傍に駆け寄りました。殴られて地面に転がった慎太郎は、いったい何が起こったのか分からずに啞然としています。
「あの態度はなんだ!」
真之が怒鳴りました。
「え……」
慎太郎はすっかり面食らって、目を白黒させています。
「お父さん、ちょっと……」
「あんな態度でグラウンドを出る奴があるか!」
その場にいた全員に響き渡るような大きな声でした。他の部員も、保護者の皆さんもすっかり驚いて真之と慎太郎を見ておりました。息子はなんとか立ち上がり、
「ごめんなさい」
と小さく呟きました。
顧問の先生が走ってきたので、真之は先生に「失礼しました」と頭を下げると、その場を離れました。私はまた慌ててついていきましたが、慎太郎のことも気になり、振り返りました。慎太郎は顧問の先生に促され、バスに乗り込んでいきました。
「みんなの前で叱らなくても……」
真之に追いついた私は、大股で歩く夫と並んで歩きながら言いました。こんなに激怒した真之を結婚以来見たことはありませんでした。真之はそのまま押し黙り、家に帰ってもずっと無口でした。
その夜、シュンとうなだれた慎太郎が帰宅し、ノロノロと玄関の戸を開けました。いつもはランニング代わりに走って帰宅してくるので、なんだか可哀そうに思えてしまいます。あえて明るく「おかえり」と声をかけて迎え入れると、息子は居間に入って真之の傍に腰を下ろし、小さな声で、
「今日は申し訳ありませんでした」
と詫びました。
「どうして殴られたか、分かっとるのか」
「ふざけてジュース飲んだから……」
「慎太郎。グラウンドは神聖な場所やぞ。誰もが立てるわけやない。お前たちは当たり前のように野球ができていると思っとるだろうが、違う。一生懸命努力して、あの場所に立てるならどんなことだってやるという気持ちで、頑張って、頑張っても、中に入れん奴もおる」
慎太郎は唇を嚙みしめ、うつむきました。
「グラウンドに敬意を払えん奴に、野球をやる資格はない」
私は台所に立ったまま、真之の言葉を聞いておりました。
毎朝5時に起床して、時間を惜しむようにトレーニングを重ね、一日一日きっちりと目標を立て、プロ野球選手への道をひたすらに歩む息子が、グラウンドへの敬意を持っていないわけはありません。
「すみませんでした。……試合が楽勝だったので、浮かれてました」
慎太郎は、小さな声でそう言いました。
「相手チームのことを考えろ。試合である限り勝ち負けはあるやろ。けどそれは優劣とは違う。勝ったからってお前らはなんも偉くないし、得意がる意味もない」
「……はい」
「野球の上手さより、何より大事なのは礼儀だぞ。それを忘れたらあかんぞ」
慎太郎はもう一度「はい」と言うと、深々と坊主頭を下げました。
2011年。
息子は念願の鹿児島実業高校に入り、実家を出て寮へ入りました。
「泣いて帰ってきても家には入れるな」
と真之は申していましたが、私はいざ帰ってきたら喜んで迎え入れてやろうと密かに思っておりました。内心、可愛い息子を手放したくないだけだったのかもしれません。しかしそんな親の気持ちとは裏腹に、慎太郎は家に帰りたいのではないかなどとは微塵も感じさせないストイックさで、1年生の秋、いきなり四番を任されました。
その知らせを聞いた時には、私は思わず「凄い、凄い!」と大騒ぎしましたが、真之はあまり喜びはせず、
「結果を出さんと意味がない」
と、渋い顔をしておりました。なぜ真之が、慎太郎に野球を教えなかったのか。きっと息子の素質を誰よりもさきに見抜いていたからでしょう。もう少し出来の悪い子だったら手取り足取り教えていたけれど、慎太郎は父親と同じ域、もしくはそれ以上に達することのできる子でした。ある意味で父親のライバル的な存在だったのかもしれません。
慎太郎が家を離れ、我が家はそれまでのように“ちびっこアスリート”のルーティンに巻き込まれる忙しなさはなくなったものの、私にとっては、ますます息子が遠い存在になっていくような、変な寂しさがありました。
練習のない土日、盆や正月に息子が帰ってくるたびに、どんどん顔が大人びていくのが分かるのです。家に帰っても会話はあまりなく、休むことなく黙々とトレーニングに打ち込んでいました。
慎太郎はいつの間にか「プロ野球選手になりたい」から、「ならなければならない」という使命感に駆られているようでした。もちろん、誰かに強制されたわけでも影響されたわけでもありません。自分との固い約束を果たすべく、毎日鬼気迫る様子でした。その気迫はプレーにも出て、豪快なスイングで長打を次々と放ち、地元の新聞にも“プロ注目のスラッガー”と写真が載るようになりました。
その頃から私は慎太郎の将来をより一層、本気で考え始めるようになりました。プロ野球選手になるということはどういうことなのか、親にはどんな覚悟がいるのか、あらためてきちんと向き合い始めたのです。
「慎太郎、頼むぞ!」
「なんとかこの回を抑えてくれ!」
試合では、ピッチャーというプレッシャーを背負い、渾身のプレーで期待に応える。それはプロ野球選手さながらの姿でした。そんな息子の姿を誇らしく思うと同時に、ひどく遠く感じられるようになっていきました。
「あれは、誰の子だろう?」
ある日、試合を見ながらそんなことが頭をかすめました。
いや、紛れもない慎太郎だ。私が産み、育てている子だ。けれど、彼に手が届かないような、距離が遠く離れているようなこの感覚はいったい、なんなのだろう。
この不思議な感覚は、日を追うごとに色濃くなっていったのです。
真之にも、他の誰にも、理解できないでしょう。慎太郎は、どこか別の星から来て、私は一時だけこの子をお預かりしているだけなのだ、という不思議な感覚。
今も、それは私の中に残ったままです。
3年生になる頃には“絶対的エース”として背番号1を背負い、高校生活のすべてを野球に捧げ、私たち家族でさえ近寄りがたいほど、身も心も鋭利に研ぎ澄まされていきました。
プロ野球選手になる。そのために。
絶対に叶えたい、叶えなければならない夢。
甲子園。
高校球児にとっての絶対的聖地での大会出場をかけた、最後の夏が目前に迫っていました。
2013年7月23日。鹿児島県立鴨池野球場。
太陽がギラギラと照りつける真夏日となり、詰めかけた観客のために1時間も早く開場が行われました。第95回記念鹿児島大会。鹿児島実業高校対樟南高校の決勝戦です。
鹿児島実業は、前日の準決勝、県立鹿屋工業高校を9対4で下し、波に乗っていました。慎太郎が子どもの頃からずっと夢見た大舞台まであと一つです。
私は真之と真子と共に、野球部保護者席のスタンド前方に陣取りました。この勢いのまま、今日は何がなんでも勝ってほしい。小学校、中学校、高校と、すべての時間を野球のために捧げ、甲子園というただ一点だけを見つめて厳しい練習に耐えてきたのです。今、私にできることは、大声で声援を送ることだけでした。
私たちの隣には、スタンドから溢れんばかりの野球部員たちがいました。共に過酷な練習に耐えながら、甲子園を夢見ながら、グラウンドに立つことができない仲間たち。ベンチ入りできた選手は、この大勢の仲間たちの想いを背負って戦うのです。
一球入魂。それは両チームとも同じこと。
試合開始のサイレンが鳴り響きました。
1回表の鹿実の攻撃は無得点に終わり、その裏、樟南高校の攻撃が始まりました。
背番号1番。身長185センチ。マウンドに立つ慎太郎の背中は、息子とは分からないほど大人びて、凜としています。
「慎太郎ー! しっかり、やれー!」
真之が叫びました。
「横田ー、頼むぞー!」
「横田ー!」
スタンドから次々と彼の名が叫ばれました。その声が聞こえたのか、慎太郎は帽子のつばに指をかけて軽く会釈すると、大きく左手を振り上げ、第一球を樟南打線に投げ込みました。
夏の太陽は鈍く光り、この先の長い闘いをじっと睨むように照り続けています。
鹿実の野球部で過ごしたこれまでの2年間、慎太郎は、一度も甲子園に行くことができていませんでした。夏のトーナメント戦も、春の選抜も。甲子園に行くために選んだ進路でしたから、本人としては「最後の夏は絶対に」という強い想いがあったに違いありません。
0対0で迎えた3回表、鹿実の攻撃。
ツーアウトに追い込まれたところでキャプテンの福永選手がヒットを放ち、出塁しました。
鹿実は、野球以外の部活もトップクラスで、スタンドで応援してくれている吹奏楽部、チアリーディング部も非常にレベルが高く、野球部の控え部員も大勢いますから、攻撃の際の応援は、地鳴りかと思うほどの大音量となります。
「四番、ピッチャー、横田くん」
その名前が呼ばれると、私はいてもたってもいられず、立ち上がって、
「慎太郎ーー!」
と叫びました。
「ここで先制すれば試合の流れを持ってこれる」
真之も真子も立ち上がります。慎太郎はバッターボックスに入り、マウンドを睨みました。
樟南高校のエース、山下敦大投手は慎太郎と同じく左投げです。準々決勝、準決勝、と完投を続けているにもかかわらず、疲れを見せないクールな佇まいでした。
「この試合は山下くんとの一騎打ちだな」
真之が唸るように言った、その瞬間──
カキン!
大歓声を切り裂き、打球が左中間へ飛びます。ぐんぐん伸びる大きな当たり。
「入れ!」
思わず叫びました。惜しくもボールはフェンス前でワンバウンド。慎太郎は父親譲りの俊足で二塁を蹴ります。外野手が送球しようとした時には、三塁を回った福永選手がホームベースを駆け抜けていました。慎太郎は三塁へ全力のヘッドスライディング。
「よっしゃ、先制!」
鹿実スタンドは歓声と興奮に包まれました。泥だらけになって立ち上がり、ヘルメットを外した慎太郎が白い歯を見せて笑いました。
「山下のスライダーをタイムリースリーベースか」
「いいですね」
私たちの目の前を、話しながら通り過ぎる人がいました。鹿実のコーチと、スーツを着た背の高い男性です。男性の視線の先には三塁に立つ慎太郎がいました。
「しかし彼の持ち味は、あのガッツですね。序盤から泥だらけだ」
「はい、全力プレー以外、知らない子ですから」
コーチの言葉に男性は笑い、二人はネット裏へ歩いていきました。
「スカウトの人だね」
真子が隣で囁きました。
ふたたび、大歓声がスタンドから湧き上がりました。
五番の大迫選手がヒットを放ち、慎太郎がホームに戻ってきました。これで2点の先制です。いける! 私は確信しました。今年は行ける、夢の甲子園へ! 浮足立ったのはスタンドだけではありません。おそらくグラウンドでプレーする慎太郎たちも、甲子園という文字が大きく、手の届くところに見えてきたことでしょう。
その回の裏で1点を返されましたが、そのままゲームは進みました。わずか1点差。私は中盤で必ず追加点が入るだろう、と強い気持ちでおりました。
5回表、ランナー三塁の場面で慎太郎に打順が回ってきました。先制点を叩き出した四番の登場にふたたびスタンドが揺れます。
ツーアウト、ランナー三塁のチャンス。この時、慎太郎の頭にあったのはきっと、ホームランだったことでしょう。山下投手に1ボール2ストライクに追い込まれてからの4球目。
あ! と私は声を上げました。
大振りの空振り三振。
「ああ、くそっ……!」
内角の膝元へ鋭く沈む独特の変化球、スクリューでした。慎太郎はバットが空を切ったことが信じられない様子で、口惜しげに打席を離れていきます。山下投手は、ホッとしたようにチームメイトに笑顔を送りました。後で知った話ですが、彼は、やがて来るであろう鹿実との決戦の日に備え、このスクリューを秘球として、ずっと封印してきたそうです。抑えたかったのは当然、慎太郎の長打でした。
私はなんだか嫌な予感がしました。
一分一秒も無駄にせず、人生のすべてを野球に捧げてきた慎太郎が、甲子園に行けない、などということがあるだろうか。もしダメなら、彼の18年間はいったいなんだったのか。
そんなことがあっちゃダメだ、今日は絶対に勝たねばならない。そう、勝つべきなのだ……。
そんな私の身勝手な願いとは裏腹に、ゲームの流れは樟南高校へと傾き始めました。
6回裏。慎太郎はマウンドを降り、レフトを守っていました。
ツーアウト二塁からタイムリーを打たれ、同点に追いつかれると、続くバッターがレフト前に鋭い打球を放ちました。鹿実スタンドから悲鳴のような声が上がり、ボールは慎太郎の前へ。ランナーが三塁を回り、すぐさま捕球した慎太郎は、素早くホームへ送球しますが間に合わず、逆転を許してしまいました。
「うそ……!」
落胆と不安の空気に鹿実スタンドは覆われました。この逆転はかなり痛い。グラウンドの慎太郎は汗を拭い、仲間に向かって何か大声を出しています。悔しいと感じている暇はありません。今、この瞬間は、どんな感情よりもボールを追いかけるほうが先なのです。そうすることでしか、未来は見えません。私は叫びました。
「たかだか1点! ここから、ここから!」
7回表。鹿実は名門の意地を見せ、1点を返して試合を振り出しに戻しました。勝利の女神がどっちに微笑んでもおかしくない均衡状態のまま、8回、9回表と得点は動かず、ついに9回裏を迎えました。
ツーアウト二塁三塁。もしヒットを打たれてしまったらサヨナラ負けです。しかしここを抑えて延長戦に突入すれば、勝てる。
大音量を響かせていた鹿実スタンドはしんと張りつめて、誰もが祈るようにグラウンドを見つめています。
私は両手をぐっと握りしめて緊張感に耐えていました。
「頑張れ……頑張れ……頑張れ……!」
打席にはこの試合、ずっと一人で投げ続けてきたエースの山下選手が入りました。きっと、心も体も疲労困憊でしょう。延長戦に一番持ち越したくなかったのは、彼かもしれません。1ボール2ストライクまで追い込まれ、打った球はサードへ転がりました。
「サードゴロ!」
よし、スリーアウトだ! 確信した次の瞬間、打球がイレギュラーしてサードのグローブを弾きました。
「え!?」
ショートがカバーし、すぐ一塁へ送球しました。が、聞こえたのは「セーフ!」の声と、割れんばかりの樟南スタンドの喝采。そして、ホームインしたランナーと共にグラウンドで飛び上がる選手たちの歓喜の声。
終わったのです。
私はただ茫然としてグラウンドを見つめました。
「嘘でしょ」
「終わった……」
真之が大きく息を吐きました。真子も涙ぐんでいます。周囲を見回すと、野球部も、吹奏楽部も、チアリーディング部も保護者たちも、みんな泣いています。グラウンドで膝を折り、突っ伏して泣く鹿実の選手の姿がありました。
まさか、本当に。本当に、敗れたなんて。
あの子が、人生を懸けた甲子園に、行けないなんて。
私はグラウンドに、慎太郎の姿を探しました。
息子はレフトのポジションから離れず、じっと立っていました。立ち尽くしていました。
泣いているのだろうか。それとも……。
試合終了のサイレンが鳴り響く中、慎太郎は、ゆっくりと、うなだれる仲間の輪のもとへと戻っていきました。
「ああ、くっそぅ……!」
鹿児島代表は樟南高校、と見出しが躍る地元新聞を目にして、真之は朝からずっと悔しがっておりました。家族の誰よりも悔しがっていたと思います。
しかし当の本人、慎太郎は……
敗戦の翌日からグラウンドでバットを振っていました。
「絶対にプロに行く。球団はどこでもいい。育成でも、入れてくれるならどこだって行く。社会人野球には行かないよ。プロ以外、まったく考えてないから」
慎太郎の決意は最初から変わりません。息子の辞書には“妥協”という文字がありません。疲れたからまぁ休んでもいいか、頑張ったからまぁこの辺りでいいか。そんな風に自分の意思を変えることは絶対にないのです。「甲子園出場」という夢を絶たれた翌日、慎太郎の目標はさっさと「プロ入り」に書き換わっていました。
親としても、ぼんやりはしていられませんでした。
ある時、鹿実の監督さんが私たちに会いに来てくださいました。
「プロ志望届を出したら、いくつかの球団から声がかかった。ドラフトで指名されると思います。ご両親も心の準備をしていてください」
「本当にプロに入れますか。甲子園も出てないのに?」
「慎太郎くんは走攻守三拍子揃った逸材です。どの球団も狙ってきますよ」
監督さんは大きく頷かれました。真之は妙にウキウキとして、
「俺はドラフトじゃ4位だった。慎太郎は何位かな」
と楽しそうです。
「親子で順位争っても仕方ないでしょ」
私は楽しみより、心配と緊張が勝っていました。そんなに期待していて、もしどこからもお呼びがかからなかったら……と悪い想像ばかりしてしまいます。
10月24日。ドラフト会議当日。
私は真之と共に学校へ参りました。野球部の中でプロ志望届を出していたのは慎太郎一人だというのに、すでに地元のマスコミや全国のスポーツ記者もたくさん来ていて、予想以上の騒ぎにさらに緊張が高まりました。
私たちの待機場所は校長室でした。ドラフト会議が始まる前に、監督さんが真之と共に部屋を出ていきましたが、私はギリギリまで中にいようと思い、一人で部屋に残りました。どの球団でもいい、何位でもいい、育成でもいいから誰か、誰か、慎太郎に手を挙げてほしい。プロに入れてやってほしい。
神様、甲子園の夢が叶わなかった代わりに、この願いだけはどうか叶えてください。
もしこれで叶わないなら、もう努力なんて信じられません。
これまでのあの子以上に、いったいどれだけ努力すれば夢を叶えてくれるというのです?
そんなことを一人悶々と思いながら、私はひたすら待っておりました。いつ会議が始まるのだろう。まだかしら、まだかしら……。ところが、待っても待っても誰も呼びに来てくれません。おかしい。もう始まっていてもいい頃なのに。
すると、急に廊下が騒がしくなりました。
「阪神2位、阪神2位!」
誰かが興奮して叫んでいるのが聞こえます。
阪神、2位? なんのこと?
と思った瞬間に、いきなり部屋のドアが開き、校長先生が入ってきました。
「お母さん! 何してらっしゃるんですか」
「始まるのを待ってます」
「とっくに始まってます。慎太郎くん指名きました。阪神の2位です!」
え!?
私は急いで部屋を出ました。隣の部屋に入ると、報道の方々がさかんにフラッシュをたいています。中央に大きなテレビがあり、その前で野球部の監督さんと慎太郎がしっかりと固い握手を交わしています。
「横田慎太郎くん、阪神タイガース2位で指名されました! おめでとう!」
監督さんの言葉に大きな拍手が湧き起こり、慎太郎は周囲に向かってガッツポーズを見せました。その顔には喜びよりも安堵のような表情が浮かんでいました。すぐに報道陣によるインタビューが始まり、慎太郎にマイクが向けられました。息子は硬い表情で、しかしはっきりとした言葉で言いました。
「日本を代表するプレーヤーになりたいと思っています」
ああ、飛び立った。
今、この瞬間、慎太郎は私の手を離れた。
子どもの頃から、どこかからお預かりしたような子だと思ってはきたけれど、そのどこかとは、野球界なのかもしれない。今、私はその野球界へ、彼をお返しするんだ。そんな妙な感慨が私の胸に迫り、自然に涙が溢れました。
慎太郎は仲間たちに胴上げされ、大人たちからは背中を叩かれ、周囲はすっかりお祭り騒ぎになっていました。阪神球団は従来、最も欲しい高校生を2位で指名することを通例としているそうですが、甲子園出場経験のない選手を選ぶのは珍しいそうです。それだけ慎太郎の伸びしろに賭けてくださったということでしょう。
周囲の盛り上がりとは裏腹に、慎太郎はどこか飄々としていました。翌日も、また黙々とバットを振り、浮かれた様子は全然なかったと、後に監督さんが教えてくださいました。
『栄光のバックホーム』(試し読み)

2025年11月28日に映画『栄光のバックホーム』が、全国上映します。
その原作の試し読みをお届けします!











