
地中海の小国マルタへやってきた原口さん。裁判所を傍聴していると、なぜか自己紹介を求められて……? 和やかな空気の裏に広がっていたのは、移民労働と多文化が交錯する現実でした。マルタ編、前編はこちら
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裁判官がフレンドリーだったのは間違いなかった。3件見た裁判の3件目、詐欺(というか文書偽造)の事件で私は法壇の上から自己紹介を求められた。被告人がベトナム系だったからアジア人の顔をした私も関係者だと思われたのかもしれない。
マルタでは裁判所の法廷言語もマルタ語なので、英語⇔マルタ語の通訳がついて審理が行われていたが、とはいえ法曹たちもみんな英語がわかるので、ついマルタ語への翻訳を待たずに英語で発言している場面がたびたびあった。その都度裁判官が注意するのだが、そんな裁判官も英語でしゃべっちゃったりしていて、ハッとしたりしていて、なんだか和やかだった。
和やかの一環でいち傍聴人の私にも会話が飛び火し、「君の名は?」と聞かれ、挙句「マルタへようこそ!」「マルチーズわかる?」である。よそ者慣れしているのか、ただそういうキャラなのか。でもまわりの人も和やかに私に話しかけてきた。「マルチーズはわかりません」と私は答えたが、それでも飛び交う英語の端々から、被告人が身分証(国民IDカード)を偽造した罪に問われていることはわかった。
コロナが収まった後に再興してきた観光業界を支える労働力が足りず、アジアの各国に超速でビザを出しており、それゆえにマルタにアジア系人口が増えていると、知ったのは年が明けて隣の島「ゴゾ」へ行った後であった。
ゴゾはずいぶんマルタ本島と雰囲気の異なる島だった。本島から北西にたった5、6kmにもかかわらず、きらびやかな本島と異なって自然が豊かで牧歌的な穏やかさがあった。オアフ島に対するハワイ島や、沖縄本島に対する奄美くらい違う。
海は青く空も青く、街に人はまばらで、濃いクリーム色をした建物が静かに連なっていた。観光客もバスの本数も少なく、発車するとすぐになにもない緑の道になった。要塞がいくつかあり、ビーチは静かだった。バスでは通勤客の南アジア人と隣り合って少ししゃべった。
Airbnbのオーナーはゴゾ出身だと言った。ここらの人々はみんなマルタ出身と言わず、ゴゾのローカル民だと言う。本島以上に外世界から長年侵略され続けたこの島には独自のアイデンティティがあり、独自のワインやチーズ、独自のサッカーナショナルチームさえあるのだった。パブでは英語で「mulled wine」と呼ばれるホットワインが提供されながら、ゴゾのサッカーチームの試合がやっている。
現地合流した姉さんと4泊5日、毎日マルチーズ・ワインで乾杯して年越しをした。マルチーズ・ウサギとマルチーズ・チーズを食べていたが、結局シーフードが一番だよねという話になり、結局海外で生活している私たちが美味いと合意したのはマグロのタルタル(ほぼ鮪なめろう)、ムール貝にキリッと冷えたゴゾのワインだった。マルタ沖ではクロマグロを養殖しているらしい。地中海でマグロ? と私たちは驚いた。
年末年始は店が開いてない可能性があると言われ、酒とツマミが切れるのをおそれてスーパーをハシゴした私たちに、スーパーや土産物屋で働くたくさんのアジア系の人たちが話しかけてくれた。ネパール出身の人が「今はビザがゆるくてペーパー1枚で入れるから、アジア人は一大コミュニティよ」と教えてくれた。コルカタ出身のウェイターとはベンガル語で話した。
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さて、和やかだと思っていた文書偽造の裁判の判決は、オンラインで簡単に見つかった。どうやら思ったほど和やかな事件ではないらしい。マルチーズをAI翻訳した程度の情報ではあるが、被告人はほかのベトナム人労働者にあっせん業者と装ってお金を巻き上げていたなどという事実も認定されているようだ。翌2月に判決が出て、懲役刑と罰金刑を課されたらしいが、はっきりと刑期はわからなかった。マルチーズ文書の限界であるが、あっせん業者を名乗れるくらいにはたくさんの人々が来ているのだとわかった。
地中海が人々の行きかう「道」だった時代、ここは沿岸部の町から来た人たちのるつぼだった。西はカタルーニャから東はオスマンまで、北はローマから南はカルタゴまで。今もるつぼではある。だが地中海の「道」性は今も残っているのだろうか。
地中海を海だけ切り出した地図の真ん中を見つめながら、その凪いだ平面のきわにある諸都市を思い浮かべる。
南端のチュニスを思い、西端のバルセロナを思い、東端、トルコ沿岸のぎりぎりに浮かぶキプロスを思う。それからアルジェのカスバ(要塞)から見下ろした青い海を思う。どの町も、クロマグロを養殖するこの海の道に、今でも面していて、そしてこの海の外から人がたくさん入ってきているのだ。
3件目の事件の裁判官は私という「ノン・マルチーズ」にやさしかったのではなく、私も「マルチーズ」のようなものだと思ったのかもしれない。そういえば2件目のドラッグ事件は北アフリカ系の被告人の事件だった。私はそろそろ、いついかなる時も自分を「よそ者」と思う癖をやめた方が良いのかもしれない。
続・ぶらり世界裁判放浪記

ある日、法律事務所を辞め、世界各国放浪の旅に出た原口弁護士。アジア・アフリカ・中南米・大洋州を中心に旅した国はなんと133カ国。その目的の一つが、各地での裁判傍聴でした。そんな唯一無二の旅を描いた『ぶらり世界裁判放浪記』の後も続く、彼女の旅をお届けします。
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