
「ウェルカム to マルタ!」
裁判長は朗らかに言った。面食らう私に立て続けに、
「きみ、マルチーズわかる(Do you know Maltese)?」
英語でもイタリア語でもない現地の言葉「マルチーズ」を、到着2日目の私はわかるはずもなかった。
マルチーズ(マルティーズ)とは「マルタの」という意味だ。マルタ語もマルチーズ、ワインもマルチーズ、チーズもマルチーズ・チーズ。食用のうさぎもマルチーズ。白くてキャンキャンと可愛く鳴く小型犬だけでなく、何もかもがここではマルチーズなのだった。
そんなマルチーズの裁判所では、明らかに「ノン・マルチーズ」の私にもなぜかみんな優しい。すぐ一般化して社会背景とつなげたがる私の悪い癖が発動し、この地域の歴史的背景ゆえに裁判所ですらオープンなのかななどと思ってしまう。
マルタは「地中海世界」のヘソにある小さな島国である。地中海を海だけ取り出してみるとど真ん中、幅の狭くなったところにある。長靴(イタリア)に蹴られた岩(シチリア)が割れて、小さな欠片(マルタ)が浮かぶのはほぼアフリカ大陸沿岸。古代フェニキア人はさぞ旅の足掛かりにしやすかったことだろう。
マルタはつい最近までイギリス領であったことから、ロンドンからの航空券は年末に1万円台(往復)だった。さぞ旅しやすかろうと、フェニキア人に言われているのは現代LCC社会の私の方かもしれない。
マルチーズ(マルタ語)はアラビア語をベースにイタリア(シチリア)語、英語の混ざったものらしい。地中海という世界はその外縁にある都市でも文化の混交が激しいが、ヘソまでくると何が一番「らしい」かすら分からなくなってくる。
マルタの島々って、南イタリアみたいな雰囲気って思えばいいの? もしくは対岸のチュニジア風? いや最近までイギリスだったならイギリス風?
古くはフェニキア人の拠点だったマルタは、その後ローマ・ビザンツ圏、イスラム圏の支配を経て、16世紀には十字軍・マルタ騎士団の拠点となっていた。その後、フランス(ナポレオン)、イギリスの支配を受けたため、法律でいうとローマ法の上にイギリス法が乗りつつ、イスラム法の影響は限定的で、教会法(Canon law)や、第二の島ゴゾでは慣習の影響も強いのだとか。
*
きらめく教会「Saint John's Co-Cathedral(共同大聖堂)」にはそんな、一言で語れないマルタの歴史があらわれていた。ここも16世紀にマルタ騎士団によって建てられたらしいのだが、「何系の教会?」と聞かれてもよく答えられない。
8言語地域に分かれた祭壇が集合体となって同じスペースに存在しているのだ。アラゴン(北東スペイン)、カスティーリャ(中央スペイン)、オーヴェルニュ(中南フランス)、プロヴァンス(南東フランス)、バイエルン(南東ドイツ)、そしてフランス・イタリア・ドイツ。
それぞれの言語によって別々の聖人を祀っているのだという。
どの祭壇もキラキラ美しいので入りしな息を呑むが、8か所(のうち改修中のものもあったが)を回っているうちに食傷気味になる。あまりにいろいろ集まっていると万博状態で楽しいが疲れる。極めつけはカラヴァッジョの斬首画であった。胃もたれ。教会自体が塗り固められた油絵のようだ。
*
裁判所はそんな共同大聖堂の真ん前にあった。混み合って行列ができている教会から見ると、歴史はありそうなもののひっそりとした建物である。一応世界で裁判放浪をしているので入ってみる。中の廊下もふつうである。私はその官公庁っぽいつまらなさに安堵した。
裁判所では3件の刑事事件を傍聴した。ひとつは交通事件、もうひとつはドラッグの事件、最後は詐欺事件だった。
交通事件の被告人は身柄を拘束されているらしく、後ろを「correctional service(矯正施設)」と英語で書かれた制服を着た公僕に固められていた。外にはPULIZIJA(ポリス)の制服がいたから、役割分担がされているのだろう。
裁判官席にはコーヒーカップがあり、カツラと見紛う固そうなおかっぱヘアの裁判官は表情一つ変えずに訴訟進行していた。「髪も顔も微動だにしない」、と、隣の傍聴人が私のメモを覗き込み、笑って言った。
裁判官の背後の壁には十字架があった。彼女は十字架を背負って裁いているみたいだな、などと思った。さすがマルタ騎士団の国。裁判は「マルチーズ」で行われていた。(マルチーズと連呼して失礼しました。笑)
(後編へつづきます)
続・ぶらり世界裁判放浪記

ある日、法律事務所を辞め、世界各国放浪の旅に出た原口弁護士。アジア・アフリカ・中南米・大洋州を中心に旅した国はなんと133カ国。その目的の一つが、各地での裁判傍聴でした。そんな唯一無二の旅を描いた『ぶらり世界裁判放浪記』の後も続く、彼女の旅をお届けします。
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