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ジジイの細道

2025.08.27 公開 ポスト

奥沢近くの坂道 何も持たない男が立っていた大竹まこと

今回で9回目となった、大竹まことさんが等身大の「老い」をつづるエッセイ。先日、白内障の手術を受けられた大竹さん。その眼から見える世界は一変したと言います。果たしてどんな心境なのでしょうか?

*   *   *

昨日、手術を受けて、右目は顔半分が隠れるほど大きな眼帯がテープで止められている。

 

控室には、私と同じように眼帯を付けたジジイ達が7~8人並んでいた。なんだか哀れで可笑しい。白内障の手術を受けた人たちである。
私の眼は、春すぎから急に悪化して、左右の眼球はまるで霞がかかったように物がボヤけて見えていた。とくに右目はひどい。

仕事の都合で月に何冊か本を読むのだが、これが読めない。1週間前、ラジオのゲストに金原ひとみさんがいらした。新しい本は『100min. NOVELLAマザーアウトロウ』(2025年7⽉、U-NEXT)。
私は、部屋を明るくしたり、本の角度を変えたりしながら必死に読んだ。面白い本であったが、読み終えたのはラジオ放送前日の夜中の3時で、読むのに必死で、内容が今一つ把握できなかった。
実を言うと、いただいた本の文字は、小さすぎて読めない。スタッフに相談して、ゲラ刷りを手に入れてもらった。こちらの方がまだ字が大きく、それを送ってもらうのにも時間がかかって、前日の夜中に読んだ次第だ。ゲラ刷りは重たくて、厚かった。

私の症状は、白内障だけではなく、頻繁に立ちくらみも起きるから、日常の生活も前ほどスムーズではなくなっていた。
湯船から出る時や、急に起き上がったときなど、白内障と立ちくらみがあるため、人が見たら笑うほど階段などを降りるときは慎重になる。登る時はもっと慎重で、左手でしっかり手すりをつかむ。

このクソ暑い夏を恨みながら何度も病院に通った。大病院は、システム化され、あちこちに患者たちが列を作っていた。
年寄りが多いのに驚く。自分では歩けず、車イスに乗った患者、タクシーで運ばれてきている老人たち——私もその一人である。順番が来て、担当医が少し乱暴に眼帯を取った。視界が開けた。遠くを歩く看護師たちが新鮮に目に飛びこんできた。担当医は良く見えるのが当たり前らしく、それには触れず、再来週の左目の手術の段取りを話し始めた。

「こんなにもクリアーになるのか」
私は丁寧に礼を述べて、仕事場に向かった。

右目の視界はクリアーで、左目は再来週の手術まで、まだ靄がかっている。この状態で今まで一番暑い夏を乗り超えるのかと、セミも鳴かない夏をやりすごすのにはうんざりする。
左右、4種類の目薬を1日の内、右目に4回の奴が2本、2回の奴が1本、左目に4回の奴が1本、もう何をさしているのかわからない。

高校の同級生のマサアキから会いたいと連絡があった。同じ軟式テニス部のペアであったマサアキ、同級だからマサアキも76才である。
マサアキは15年前すべてを失って私の前に現われた。2度の結婚と離婚、何度も仕事を変えてその度に失敗をくり返して大阪に逃げ、そこでも失敗したらしく東京に舞い戻った。
15年前、今ほどではないが、かなり暑い夏の夕ぐれ、アスファルトの地面からはかげろうが立っていた。

奥沢の坂道、マサアキは夕日をバックにジーパンにTシャツ、右手に小さなバッグ、ビーチサンダル。そのマサアキの第一声は「マコトー、昔のようにやろうぜ」であった。もうズタボロのはずなのに、マサアキはニコニコ笑っていた。

何をどう昔のようにやるつもりなのか。
その後マサアキは、友人の店を手伝ったり、私の仕事場でも何年か働いたのだが、中々うまくいかなかった。
マサアキは今、道路工事の現場に立ち、人や車の誘導の仕事で食をつないでいる。梅ヶ丘の駅近くにアパートを借り、家賃は月6万5000円だそうだ。
マサアキは、どの現場でも上司に逆らうが、後輩たちは、みんな、マサアキを慕っている。現場では、外国人の労働者も多く、それが皆、「マサアキさんー」と慕ってくる。

そのマサアキは、何年か前から自宅で絵を描き始めたらしい。もう50枚以上描いたと、置く場所に困ったと、そこで相談だが、秋に個展を開きたいらしく、今、友だちにカンパを募っていると言う。
もちろん、70をすぎて描き始めたわけだから、彼に絵の素養など一つもない。
おそらくデッサンもできないだろう。マサアキは笑っている。道路工事で鍛えた肌は、黒く輝いて、ユニクロの白い麻のシャツが似合う。

私に会う前に、もうちゃっかりメンバーのきたろうから、5万円のカンパを受けとっていた。
ケイタイの画面にはきたろうからのメッセージまで添えられている。「学校で絵を習ってから子どもたちの絵がつまらなくなった」——この岡本太郎の言葉を挙げつつ、きたろうは70をすぎたマサアキの抽象画を推していた。
何枚かの絵を私も携帯の画面で見た。そこには、誰にも邪魔されない、天性の明るさを持ったマサアキの抽象画が描かれている。
青のグラデーションが緑に変わってゆく、斜めに走った太い青。私は絵がわからないが、何かくったくのない明るさが伝わってくる。

6畳1間のアパートで、自前のコーヒーを入れながら、仕事の合間に描かれた膨大な数の絵。部屋はおそらくそんな絵で埋もれているであろう。
切なく、でも明るく、そこにはマサアキ自身が描かれているようでもあった。何も持たない男、マサアキに私もカンパをした。
「持つべきものは友だちだネェ」
マサアキはニコニコと紙幣を受けとった。

私は白内障の手術がいかに大変だったかを語るのをやめた。マサアキの眼はうすく濁って、年寄りの兆候を示していたが、私はそれも黙っていた。
秋の個展までに70枚は描くと言う。画廊の経営者も絵を見て、展示を許可したらしい。

マサアキは失敗をくり返してきた。マサアキは天才かもしれないし、そうでないかもしれない。
絵は1枚1000円で売るという。
見に来るのは、多分職場の後輩の外国人やマサアキに迷惑をかけ倒された友人たちであろう。

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ジジイの細道

「大竹まこと ゴールデンラジオ!」が長寿番組になるなど、今なおテレビ、ラジオで活躍を続ける大竹まことさん。75歳となった今、何を感じながら、どう日々を生きているのか——等身大の“老い”をつづった、完全書き下ろしの連載エッセイをお楽しみあれ。

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大竹まこと

1949年生まれ、東京都出身。79年に斉木しげる、きたろうとともに結成した、コントユニット「シティボーイズ」メンバー。『お笑いスター誕生‼』でグランプリに輝き、人気を博す。毒舌キャラと洒脱な人柄にファンが多く「大竹まこと ゴールデンラジオ!」などが長寿番組に。俳優としてもドラマや映画で活躍。

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