
青森県南部町で自給自足生活を送る田村ファミリーの妻・田村ゆにさん。電気・ガス・水道は契約せず、廃材で建てた手づくりハウスに家族3人、ニワトリ12羽と暮らしています。お金の不安が尽きない都会の生活から抜け出し、田舎に移住して気づいた“本当の豊かさ”とは。初のエッセイ『わたしを幸せにする0円生活』より、一部をお届けします。
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野菜がとれない……苦しい3年間
はじめての野菜づくりは、タネをまけば収穫できるようなカンタンなものではありませんでした。秋に移住してきて、ちょうど冬になり時間があったので夫の本棚で見つけた本『これならできる! 自然菜園』(竹内孝功著/農山漁村文化協会)を手に取ります。そこにはこれまで知らなかった世界があり、読むのが楽しくて、タネを選んだり、畑の配置を考えるのはワクワクして夢が広がるひとときでした。
春になり、いよいよ畑にするための準備が始まります。1年目はホームセンターで約5万円ほどの有機資材をドキドキしながら購入して、土に混ぜることから始めました。まずは土をリセットするために、掘ってふるいにかけます。地面を掘り返すうちにゲンコツほどの大きさの石のほか、じゅうたんや墓石のカケラ、食器、丸太、ビニールシートなどガラクタがどんどん出てきます。まったく捗らない作業に時間だけが過ぎ、桜は散って梅雨を迎えました。
雨で湿った土は重くなり、ペースも遅れてさらに大変です。くもりがちな天気に気分も重くなり、思い通りにいかない現実から逃げるように、外食にばかり出かけていました。今思うとあそこまでやる必要があったのかと考えることもありますが、夫婦はじめての共同作業でもあり、きっと乗り越えるべきことだったのでしょう。
やっとの思いで土づくりを終え、いざタネをまこうとしたのは夏目前。それでもタネの袋には適したシーズンと書いてあったのでカブや小松菜などをまき、ミニトマトやなすは買った苗を植えてみます。はじめての野菜づくり、結果は惨敗。タネをまいたものは、ほとんどが虫に食われ、とれたのはミニトマトが数個だけ。わたしたちの畑の1年目は、土木工事ともいえる土づくりで幕を閉じました。
そんな大変なスタートでも諦めずに続けてこられたのは、「無農薬や自然栽培では、土が育つのに3~4年かかってあたり前」という先人たちの教えがあったから。最初からうまくはいかないものだと知っていたので、年を追うごとに感じる変化に希望を見出しながら、4年目でやっと野菜の自給自足が叶うこととなりました。春に生える草の種類が増えると、その周りで見かける虫にも多様性が生まれます。すると野菜が虫に食べられることも減り、とれる野菜が増えて土が豊かになったと感じることができるのです。こうした毎年の新しい発見に、答えはなくても正しい道だと信じることができました。理想と現実は違うものです。すぐに結果を求めたり、諦めたりするのではなく、自然のなりゆきを見守ることの大切さを実感しました。
畑を始める前、5年もやれば人に教えられるようになるだろうと思っていました。ふつうの仕事ならそのくらい経験を積めば、ある程度は身につくものです。しかしあと1年で10年目になる畑しごとですが、誰かに教えるなんてまだまだムリだなと思います。これまでの出来事を話すことはできても、これから先に起こることはわかりません。今でも失敗してタネをダメにしてしまうことがありますが、その難しさが飽きずに続けられる理由にもなっています。さらに、こどもの成長や環境の変化に合わせて、ベストな野菜づくりの模索は続きます。
自分たちの食を支えるだけでなく、わたしにとっていつまでも夢を追いかけられる場所、「幸せも自給自足できる畑」なのだと思います。

雑草は野菜を守ってくれる役割もあり、
無暗に抜かないようにしています。
わたしを幸せにする0円生活

電気・ガス・水道は契約なし!自給自足ファミリーの妻・田村ゆにさん初の著書『わたしを幸せにする0円生活』より、試し読み記事をお届けします。