
北九州を拠点とする凶悪な組織・工藤會対策に従事してきた、福岡県警元刑事・藪正孝氏による新書『暴力団捜査とインテリジェンス』が刊行されました。情報収集、駆け引き、交渉etc.武闘派に頭脳で迫った歴史的闘いの一端をお届けします。
「推認、推認」野村総裁の裁判長批判
暴力団組織からの追放処分として絶縁、破門がある。破門は復帰もあり得るが、絶縁は永久追放を意味する。そして「絶縁」「破門」が赤字で印刷されたものは、通常よりも重い処分であることを示している。絶縁に近い重たい処分である「赤字破門」は結構多いが、「赤字絶縁」なるものは見たことがない。
これらの処分は、その暴力団の当代トップの名前や、最高幹部メンバーを意味する執行部名で行われることがほとんどだ。通常なら、「隠居」である総裁名で行うことなどあり得ない。しかも、当代の田上会長と執行部が挨拶回りを行っている途中だ。弁護側は、事務手続きを担当する事務局のミスを主張したが、このような重要事項を事務局が誤ることなど考えられない。何よりも、その後、事務局担当者らは何の処分も受けていない。
二つ目は、工藤會本部事務所の売却だ。
この本部事務所売却には、当時、県警退職後、福岡県暴力追放運動推進センター(暴追センター)の専務理事をしていた私も直接関わっている。
野村総裁ら逮捕、公判中、暴追センターも協力し、複数の被害者らが、野村総裁、田上会長に損害賠償請求訴訟を提起した。最終的に、野村総裁らの賠償責任が認められたり、野村総裁らが和解に応じたりした。
野村総裁、田上会長は、工藤會本部事務所を売却し、その代金を賠償金の一部としようとした。工藤會本部事務所や田中組事務所等は、工藤會が特定危険指定暴力団に指定されたことにより使用できなくなっていた。また、工藤會側の固定資産税滞納により、北九州市も本部事務所を差し押さえていた。
本部事務所は、工藤連合当時に工藤會が設立した有限会社の所有となっていた。その会社の取締役には溝下秀男総裁や野村総裁ら工藤會トップ、ナンバー2が就任していた。
暴力団員の就労支援等に協力していた福岡地区の某企業が、工藤會本部事務所購入に名乗りを上げてくれた。企業が直接、工藤會から購入すると、その企業が工藤會と何らかの関係があるのではないかと疑われかねない。そのため、一旦、暴追センターが有限会社から購入し、直ちに某企業に売却するという手段をとった。登記等に要する費用は、某企業が全額負担し、暴追センターの金銭的負担はなかった。その後、この工藤會本部事務所跡地は、生活困窮者らに対する支援活動を行っているNPO法人・抱樸(ほうぼく)が購入した。近く、抱樸の新たな福祉拠点「希望のまち」が建設される。
問題は、この本部事務所売却時の野村総裁の地位だ。
先代溝下総裁は、会長の座を平成十二年一月に野村理事長(当時)に譲り、総裁に就任した。
元漁協組合長射殺事件後の平成十年十月、福岡県警はパチンコ店経営者に対する恐喝事件で、当時工藤連合若頭だった野村総裁、田中組若頭だった田上会長らを逮捕した。
この時、野村総裁は処分保留となったが、田上会長は懲役四年が確定、服役した。平成十五年二月、田上会長は出所し四代目田中組組長、そして四代目工藤會理事長に就任した。その翌年平成十六年七月、溝下総裁は有限会社代表取締役を辞任し、野村総裁が代表取締役に、そして田上会長が取締役に就任した。
あくまでも私の考えだが、野村会長、田上理事長の二人に工藤會の運営を完全に任せたという意思表示だったのではないだろうか。二年後の平成十八年二月、溝下総裁は総裁職を辞し、名誉顧問を名乗った。
ところが、野村総裁は、平成二十三年に総裁職となった後も、有限会社代表取締役の地位を田上会長に譲ろうとはしなかった。工藤會本部事務所売却については、野村総裁の了解がなければ成立しなかったのだ。
五代目工藤會となってからの三事件に対する野村総裁の関与については、これら事実に加え、複数の状況証拠が積み上げられている。
一方、工藤連合草野一家当時、元漁協組合長射殺事件に野村総裁が関与したと認定するだけの証拠は、残念ながら不十分と言わざるを得ない。
野村総裁らの控訴審で、一転して自らの犯行を認めた中村は、控訴審当初は、自分は犯行に使用された拳銃を用意しただけだとの陳述書を提出している。その陳述書で、元漁協組合長射殺事件は、田中組系列の藤木組組長が首謀者で、実行犯は藤木組若頭のKだと主張している。
ところが、検察側が、Kは当時服役中だったことを指摘すると、一転して自分と田上組幹部Nが実行犯だと申し立てた。ただ、事件の首謀者は藤木組組長で、野村総裁、田上会長は無関係だとの主張を続けている。
福岡県では、暴力団員がその組織のために行う抗争事件や襲撃事件をジギリと呼んでいる。
ジギリ事件で逮捕、服役しても、組員の裁判には組織が弁護士をつけてくれる。もし服役等すれば本人に多額の金銭が差し入れられ、家族がいれば家族にも毎月一定額が支給される。そして、服役中、毎月十万円、二十万円の金が積み立てられ、出所後に受け取ることができる。そして、多くの場合、直轄組長や執行部と呼ばれる最高幹部に昇格する。
野村総裁らの一審でも認定されているが、服役中の古口信一と中村数年には、工藤會事務局が毎月二十万円を積み立てていた。中村は事件当時の内妻とは別に、内縁関係の女性がいたが、田中組事務局がその内妻に毎月五万円を持参したり、服役中の中村に内妻名義で五十万円、百万円を郵送したりしていた。
一方、無期懲役で長期間服役している中村が、いくら自らの犯行を認めようが失うものは何もない。
刑事裁判の証拠で、直接証拠と間接証拠という言葉がある。
直接証拠については誤解があるように思う。
直接証拠とは、要証事実(立証を要する事実。通常は犯罪事実)を直接証明する証拠のことで、具体的には、被告人や共犯者の自白、目撃者の供述、被害者の供述等を意味する。
間接証拠は状況証拠とも呼ばれ、要証事実を推認させる一定の事実(間接事実)を証明する証拠のことだ。
野村総裁らの一審で、「推認」という言葉が注目を浴びた。一審判決後、野村総裁自らも、「推認、推認」と発言し、裁判長を批判している。推認について、辞書的には、既にわかっていることをもとに推測して、あることが事実であろうと認定すること、を意味する。
刑事裁判や民事裁判では間接証拠により、要証事実を認定することを意味している。
民事裁判での判断だが、最高裁は次のように、推認は決して証明度において劣るものではないと述べている。
なお、所論中には、原判決がその理由中で、右乙号証は、上告人A1においてほしいままにその記載を訂正した旨の事実を認定するに際し、『推認』の語を用いたことを非難する部分があるが、右の用語法は、裁判所が、本件のように、証拠によつて認定された間接事実を総合し経験則を適用して主要事実を認定した場合に通常用いる表現方法であつて、所論のように証明度において劣る趣旨を示すものではない。(昭和四十三年二月一日・最高裁第一小法廷・建物収去土地明渡請求)
直接証拠というと、間接証拠よりも証明力(証拠価値)が高いように感じるかもしれない。
直接証拠の最たるものは被疑者・被告人の自白だ。最近においても、検察、警察の一部で自白を得るために無理な取調べを行い、無罪、更には冤罪と認定された事件もある。むしろ、自白などの直接証拠のみに頼ることは危険だ。
実行犯である中村そして弁護側が、元漁協組合長射殺事件の首謀者と主張した藤木組組長、実行犯とされたK、Nに共通している点がある。それは見届け役等だった古口信一も同様だ。藤木組組長、K、N、そして服役中だった古口、何れも既に死亡している。捜査に協力してくれた中村の内妻も同様に亡くなっている。死人に口なしだ。
暴力団捜査とインテリジェンス

歴史的闘いの全貌全国の指定暴力団の中で、唯一、特定危険指定暴力団に指定された、北九州を拠点とする工藤會。
一般市民、事業者への襲撃を繰り返すこの凶悪な組織と対決してきた福岡県警は、「工藤會頂上作戦」で、戦術的にも戦略的にも大きな成果を収めた。
その背景には、従来イメージされてきた武闘的対決ではなく、インテリジェンスの収集、分析、それに基づく戦略的対策という試みがあった。
工藤會対策に従事した福岡県警元刑事が、これまで明かされなかった戦いの裏側と、道半ばの暴力団壊滅への思いを綴る。