
北九州を拠点とする凶悪な組織・工藤會対策に従事してきた、福岡県警元刑事・藪正孝氏による新書『暴力団捜査とインテリジェンス』が刊行されました。情報収集、駆け引き、交渉etc.武闘派に頭脳で迫った歴史的闘いの一端をお届けします。
「無罪」と「無実」は違う
工藤會・野村悟総裁が検挙・起訴された四事件で、令和六年、二審の福岡高裁は、三事件は有罪としたが、元漁協組合長射殺事件については無罪とした。
「無罪」と「無実」は全く違う。誤認逮捕や冤罪事件は、無実の人間を真犯人と誤り発生したものだ。刑事裁判では、実際には真犯人であっても、「合理的な疑いを残さない程度の立証」ができなければ「疑わしくは被告人の有利に」との原則から「無罪」の判決が下される。
立証が不十分な場合、真犯人であっても無罪となることは多々ある。私は、時に死刑という厳しい判決が下される刑事裁判において、「疑わしくは被告人の有利に」の原則は当然のことだと思っている。
この元漁協組合長射殺事件については、私が工藤會担当管理官となった平成十五年当時、既に実行犯と見届け役、合わせて三名の工藤會幹部が逮捕、起訴され福岡地裁小倉支部で公判中だった。
当時も引き続き補充捜査を行っており、その過程で実行犯である工藤會中村組組長・中村数年の有罪を揺るぎのないものとする新たな証拠を、同人の内妻の協力により発見している。
この事件当時、野村総裁は工藤連合ナンバー2の理事長であるとともに、田中組組長だった。そして、田上会長は田中組ナンバー2の田中組若頭兼田中組田上組組長だった。
実行犯の一人、中村は、田中組中村組組長、実行犯とされ後に無罪が確定したNは、田上組本部長、見届け役の古口信一は田中組行動隊長兼古口組組長だった。
中村らは田上会長と共に、私が工藤會担当となる前年、平成十四年に逮捕され起訴されたが、この時、田上会長は証拠不十分で不起訴となっていた。
元漁協組合長射殺事件は、田中組による組織的犯行であることは明白だった。当時、田中組トップである野村総裁の指示命令がなかったとは考えられない。しかし、それはあくまでも一般論にすぎない。一般論で刑事事件が有罪とされて良いはずはない。
元漁協組合長射殺事件について野村総裁が二審で無罪とされ、同事件が他の三事件とは異なるのは、事件当時の野村総裁の、田中組トップとしての地位・役割等の立証が不十分だとされたからだ。野村総裁・田上会長らが検挙された事件は、工藤會トップ、言わば組織の頂上を狙ったことから、「工藤會頂上作戦」と呼ばれた。
本来の「頂上作戦」は、昭和三十九年以降、警察庁主導で全国的に行われた暴力団取締りの手法を意味する。それは、組織の頂上、会長・組長らトップ本人を何らかの事件で検挙し、組織に打撃を与えるというものだった。
この頂上作戦により、主要団体では、住吉会、錦政会(現・稲川会)、それぞれのトップだった両会会長を賭博開帳で検挙している。そして、住吉会、松葉会等多くの暴力団が表向き解散を表明するなど、頂上作戦が大きな成果を上げたことは間違いない。
ただ、一度は解散を表明した住吉会や松葉会等、ほとんどの暴力団は、団体名を変えるなどして活動を再開している。
暴力団は馬鹿ではない。頂上作戦はその後も第二次、第三次と繰り返されたが、トップが自ら逮捕されるような愚は繰り返さないようになった。
今回の野村総裁・田上会長の事件でも、一審で死刑判決を受けた野村総裁を何としても守ろうとする工藤會側の意思が明確だ。工藤會対策を担当していた当時、私は、そのトップらを検挙するという発想自体持っていなかった。
だから、工藤會により様々な組織的かつ凶悪な事件が繰り返されても、それら事件の背景にいる工藤會トップの指示命令について立証するという発想は浮かばなかった。
野村総裁が元漁協組合長射殺事件で「無罪」とされた理由
野村総裁、田上会長の二人が逮捕され、一審、二審の判決が下されたのは、
1 平成十年(一九九八年)二月十八日発生 元漁協組合長射殺事件
2 平成二十四年四月十九日発生 元警部に対する組織的殺人未遂等事件
3 平成二十五年一月二十八日発生 女性看護師に対する組織的殺人未遂事件
4 平成二十六年五月二十六日発生 歯科医師に対する組織的殺人未遂事件
の四事件だ。
一審の福岡地裁は、四事件全てで、野村総裁、田上会長の有罪を認め、野村総裁に死刑、田上会長に無期懲役の判決を下した。野村総裁に福岡地裁が死刑判決を下すに至ったのは、元漁協組合長射殺事件で、被害者が殺害されたことが大きい。
これに対し、二審の福岡高裁は、元漁協組合長射殺事件について野村総裁を無罪とし、残り三事件で無期懲役の判決を下した。二人は二審判決を不服として最高裁に上告している。
野村総裁は、一審、二審とも一貫して四事件全てを否認している。
一方、田上会長は元漁協組合長射殺事件、元警部事件は相変わらず否認を続けている。
しかし、女性看護師事件、歯科医師事件については控訴審で一転、総裁の指示を仰ぐことなく、自らの判断で当時、工藤會理事長だった菊地敬吾に事件を命じたと主張している。
菊地は、野村総裁らと同じ元警部事件、女性看護師事件、歯科医師事件で逮捕、起訴された。それらに加え、平成二十四年八月以降に発生した暴力団排除標章制度に関わる放火事件や標章掲示店舗経営者等に対する襲撃事件三件の合計六事件で公判中だ。
菊地は全事件について否認を続けたが、一審の福岡地裁は無期懲役を宣告した。
ところが、野村総裁らの控訴審が開始された後、令和六年二月に開催された同人の控訴審第一回公判で供述を一転させた。菊地は、元警部事件は自分の独断で事件を指示し、女性看護師事件と歯科医師事件は、田上会長の指示を受け、配下組員らに実行させたと主張した。
その後の令和七年一月、福岡高裁は一審判決を支持し、菊地の控訴を棄却している。
菊地はこの判決を不服として最高裁に上告したが、菊地の有罪は揺るがないだろう。
今回、福岡高裁は元漁協組合長射殺事件について、次のように判断している。
当裁判所は、被告人田上の共謀を認めた原判決に誤りはない(弁護人のこの新たな主張を踏まえても結論は左右されない。)が、被告人野村につき共謀を認めた原判決は、原審において取り調べられた証拠を子細に検討しても論理則、経験則等に照らし不合理であって是認することができず、被告人野村に係る事実誤認の論旨(※弁護側主張)は理由があると判断した。(令和六年三月十二日・福岡高等裁判所判決要旨)
元漁協組合長射殺事件が発生したのは二十五年以上前の平成十年だ。同事件と残り三事件で、福岡高裁の判断が決定的に違ったのは、元漁協組合長射殺事件当時の工藤連合及び三代目田中組内の意思決定は不明と判断したからだった。
福岡高裁は、当時三代目田中組のナンバー2、若頭だった田上会長については、複数の状況証拠により事件に関与したと認定している。ただ、元漁協組合長射殺事件が、工藤連合トップ・溝下秀男会長(当時)、そして工藤連合ナンバー2で三代目田中組トップの同組組長だった野村総裁について、その意思決定があったかどうかは不明だとしたのだ。
野村総裁が四代目工藤會会長、田上会長が工藤會理事長の地位にあった平成二十年七月、野村総裁の先代総裁で、当時は名誉顧問を名乗っていた溝下秀男が亡くなった。溝下存命中、野村総裁、田上会長は溝下に対し絶対忠誠を続けていたが、溝下名誉顧問の死により、野村総裁絶対の体制が確立した。
暴力団捜査とインテリジェンス

歴史的闘いの全貌全国の指定暴力団の中で、唯一、特定危険指定暴力団に指定された、北九州を拠点とする工藤會。
一般市民、事業者への襲撃を繰り返すこの凶悪な組織と対決してきた福岡県警は、「工藤會頂上作戦」で、戦術的にも戦略的にも大きな成果を収めた。
その背景には、従来イメージされてきた武闘的対決ではなく、インテリジェンスの収集、分析、それに基づく戦略的対策という試みがあった。
工藤會対策に従事した福岡県警元刑事が、これまで明かされなかった戦いの裏側と、道半ばの暴力団壊滅への思いを綴る。