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戦国武家の死生観

2025.08.04 公開 ポスト

関ヶ原の戦いを制したのは「火力」より「決断」だった 鉄砲に裏切り…勝敗を分けた意外なポイントフレデリック・クレインス(国際日本文化研究センター教授)

切腹、討死、殉死……命のやりとりが日常だった戦国時代。武士たちはなぜ、死を恐れず、自ら死に向かっていけたのか――。

大ヒットドラマ「SHOGUN 将軍」で時代考証を担当した歴史学者が、古文書を丹念に読み解きながら戦国武士の精神世界に迫った新書『戦国武家の死生観』。本書から、一部を再編集してご紹介します。

*   *   *

日本を二分する大合戦、関ヶ原の轟音

慶長五(一六〇〇)年九月一五日──。

関ヶ原のすぐ東に位置する垂井たるいの南にある「岡ヶ鼻」と呼ばれる山に、吉川広家、長宗我部盛親、長束正家、安国寺けいら約二万の軍勢が弓や鉄砲を前に構え、段々に布陣していた。

この方面への攻撃部隊として、池田輝政、浅野幸長、駿河衆、遠江とおとうみ衆が派遣された。家康も軍勢を整え、御馬廻り(親衛隊)を率いて、魚鱗ぎよりん鶴翼かくよくの陣形を組んだ。その朝は霧が深く立ちこめ、さらに小雨が降り、周囲の様子がほとんど見えなかったが、巳の刻(午前一〇時ごろ)になると空が晴れ、遠くまで見渡せるようになった。

 

早速、酒井左衛門と祖父江法斎、森らが物見に向かった。すると、西軍も斥候を出していたのか、出会い頭にいきなり戦闘が始まった。兵たちは勇猛に戦い、みな功名をあげようとして奮闘した。

これを見て、西軍の本隊も動いた。石田三成と島津義弘、小西行長らが軍旗を翻しながら藤川を越えると、不破の関屋を経由して北野の原や小関村を通過し、南東の方角へ向かって軍勢を展開した。

また、大谷吉継と宇喜多秀家、平塚為広、戸田勝成かつしげと内記父子らは、石原峠付近に布陣していたが、陣を後退させて谷川を越え、関ヶ原北野方面へ軍勢を移動させた。

こうした動きに対して、東軍の諸武将は西北の山手を背にしながら、東南へ向けて足軽を繰り出した。そして、先陣を務めたのは福島正則、細川忠興、黒田長政、井伊直政、本多忠勝、大野治長らである。彼らは、たくましい葦毛あしげの馬に乗り、白い切り裂き模様の旗印を掲げながら、西へ向けて軍勢を進めた。

間もなく、先陣の軍勢がいっせいに戦いを仕掛けた。これに西軍側も応じて、両軍の武将たちは思い思いに戦いを繰り広げた。押したかと思えば押し返され、引いたと見せて押し出し、激しい戦闘が続いた。

そのとき、早智七右衛門と名乗る武士があらわれ、大野治長がその首を取った。そして、七右衛門の首を家康に届けて報告したところ、治長は褒美をたまわった。続いて、福島正之も討ち取った首を家康に披露した。家康は、それぞれにありがたい言葉をかけた。

両軍はともに退かず、押し合い、鉄砲を撃ち合い、戦場には矢の飛び交う鋭い音が響いて、大地は揺れるようであった。また、ところどころに黒煙が上がり、真昼にもかかわらず、一帯は闇夜のようになった。

入り乱れる両軍の将兵たちは、それぞれに革具を身につけて、武器を振りかざした。武器と武器がぶつかり合い、刃先から火花が散った。日本を二分する大決戦にふさわしく、激しい戦闘が続いた。

織田有楽斎と息子の長孝ながたか、古田織部、いのかずとき、船越景直、佐久間安政と弟勝之の七将に目を転じると、彼らはいっせいに突撃を開始していた。そして、敵陣を突き崩し、敵の将兵を打ち倒しながら駆け抜け、それぞれに武功を挙げた。

そのとき、付近では津田信成が西軍の戸田勝成と激しく戦っていた。そこへ有楽斎の息子の長孝が参戦し、長孝と勝成との一騎討ちとなった。やがて、力尽きた勝成は長孝に突き伏せられ、その首を討ち取られた。織田父子といい、古田織部といい、その働きぶりは並ぶ者のないほどにみごとなものであった。

このとき討たれた戸田勝成の家臣のなかには、鶴見金左衛門という武勇にすぐれた男もいた。彼は、過去に数々の手柄を立てていたが、人柄にやや粗野なところがあった。だが、戸田勝成は彼を信頼し、長年にわたって彼に目をかけ続けていた。その恩に報いようとしたのか、彼は仲間たちとともに討死を覚悟で暴れ回ったという。

松平忠吉と井伊直政の無頼の武功

そのころ、金森長近ながちかと息子の可重よししげ、田中吉政らの軍勢は北の山側から石田三成や島津義弘に攻めかかっていた。また、大谷吉継や宇喜多秀家、平塚為広、戸田内記らの陣に向かって西へ押し出す武将もいた。

伊丹忠親や村越直吉、河村助左衛門、奥平貞治らも敵陣に斬り込み、馬から突き落とされても立ち上がり、奮闘した。谷利兵衛ら四名の武将たちも命をかえりみずに敵陣を切り崩し、それぞれに名をあげた。

その後、藤堂良政と島左近の長男である信勝が組み打ちになった。信勝は良政を押し伏せ、その首を討ち取った。だが、良政の小姓が駆けつけてきて信勝と斬り合い、こんどは信勝が首を取られた。島左近は行方が知れず、信勝の兄弟もみな討死したという。

やがて、戦場が混乱するなか、それまで西軍に属していた小早川秀秋と脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠すけただ、赤座直保が家康に忠節を示し、手のひらを返して敵に襲いかかった。これほど多くの軍勢が背後から突然、攻撃を仕掛けてきたため、西軍は戦線を持ち堪えることができず、ついに総崩れとなった。

そのとき、松平忠吉(家康の四男)は先を争うように敵陣に乱入し、おおいに奮戦した。まだ若年ながら、天下分け目の大決戦において、一隊を率いる大将みずからが数か所に傷を負いながら敵と組み打ちをするという勇ましい戦いぶりをみせた。これは徳川将軍家の威光を全国、津々浦々に轟かせるもので、後世の模範となる働きであった。

忠吉の岳父にあたる井伊直政も婿を後押しし、ともに敵陣に斬り込んだ。直政もまた傷を負うほどの壮絶な戦いであったが、無類の武功を挙げた。

西軍の大谷吉継は味方が崩れても戦い続けたが、ついに馬上で腹を切った。同じく平塚為広も最後まで戦い抜き、その姿は漢帝国の猛将樊噲はんかいにも劣らない勇猛さであったと伝わる。だが、小川祐忠に仕える桜井多兵衛という武士があらわれ、為広は死力を振り絞って戦ったが、首を討ち取られた。桜井は、その名誉ある武功を称えられた。

そして、戸田内記も最後まで戦い、奮戦の末に討ち取られた。

西軍の敗勢が明らかとなるなか、島津義弘は四方を敵に囲まれながら、みごとに包囲を突破して、戦場から脱出することに成功した。

一方、本多忠勝は敵陣に深く斬り込んだ。西軍はもはや持ち堪えることができず、藤川へと敗走した。西軍の将兵たちは伊吹山へ逃げ、また南宮山方面でも散り散りに逃げていった。こうして、天下を二分する大決戦は終わった。

その後、数十人分の首が家康のもとに届けられ、あらためて戦勝が確認された。首実検を終えた家康は、全軍にしばらくの休息を命じた。やがて、石田三成の居城であった佐和山城へ兵を差し向けた。

その夜、家康は大谷吉継が使用していた山中の陣屋を本陣として、井伊直政を先鋒に任じ、新たな布陣を整えた。馬廻を前後左右に配置して周囲を固め、万全の陣形を整えたのであった。

現代戦にも通じる戦国時代の戦術

以上の軍記には東西両軍の武将が多数、登場するため、武将同士の関係性や戦況は複雑ですが、いかにも戦国時代らしい特徴的な合戦の推移が描かれています。

戦国時代の合戦は、多くの場合、次の三つの段階に分けることができます。

 

1、弓や鉄砲による応酬(矢合わせ)

2、槍による戦闘(槍合わせ)

3、刀による戦闘(首取り合戦)

 

それぞれについて、詳しく見ていきましょう。

 

1、弓や鉄砲による応酬(矢合わせ)

関ヶ原の戦いについての回想録では、戦場がまだ霧に閉ざされているなかで、両軍が放つ鉄砲の轟音が響き渡っていました。これは、鉄砲の応酬によって始まる戦国時代の合戦の様子をよくとらえた描写といえます。

合戦の冒頭で行われる鉄砲(あるいは弓)の撃ち合いには、主に二つのねらいがありました。一つは、敵側の状態を把握することです。

当時の武将たちは、敵陣との距離を維持したまま、飛び道具による攻撃を仕掛けることによって、それに対応する動きから敵軍の士気や戦術、さらには弾薬量などを推し量っていました。また、同様の目的で少数の足軽部隊を繰り出し、敵将の反応を見極める場合もあります。こうした前哨戦を足軽合戦(せり合い)と呼びます。

鉄砲の応酬や足軽合戦はあくまで情報収集が目的であったため、必ずしもそのまま本格的な戦闘に直結していったわけではありませんでした。もっとも、ときには敵陣の防御体制を探る意味合いで、冒頭から騎馬部隊を突入させる例も見られます。ただし、この場合には接近戦につながりやすいため、攻撃を受けた側はいったん足軽部隊を退却させ、騎馬部隊をかわすのが常道でした。

そして、もう一つの目的は、本格的な合戦に向けて士気を高めるとともに、場合によっては敵方の戦意をくじくというねらいも込められていました。緒戦で軽めのジャブを繰り出すことにより、闘志を高め、相手を威圧しようというわけです。

こういった戦い方からは、現代戦における威力偵察(軽微な実戦による情報収集)や制圧射撃(威嚇を目的とした火器の使用)にも通じる先進的な戦術を読み取ることができます。

冷静に分析された、鉄砲の弱点と弓矢の優位性

弓よりも射程距離が長く、破壊力も大きい鉄砲の普及は、合戦のあり方を大きく変えました。その典型は、城郭建築です。

鉄砲は板壁を貫通することができ、城壁の改良を必要としたため、城郭建築に革命をもたらしました。戦国末期に出てきた「典型的な」日本の城郭はまさしく鉄砲の導入に対応するものでした。また、射程距離が伸びたことで城郭の規模も巨大化し、立地に関しても物資の補給に有利な水運が重視されるようになりました。

一方、武士の甲冑はより防御性のある当世具足へと変わり、防御のための構築物も、籠城戦では重い土囊を積み上げて胸壁とし、野戦の場合には以前から使われていた木製の楯や竹束の重要性がさらに増しました。

ただし、鉄砲の実戦配備が進んだ当時も、その弱点を冷静に分析して、弓矢の優位性を指摘する声もありました。一六世紀の成立とされる「武具要説」という軍学書には、次のような記述があります。

 

「鉄砲は、遠くを攻撃する際には効果的だ。とくに、籠城戦では威力を発揮する。ただし、雨の日には使えない」

小幡山城守おばたやましろのかみは、そう言った。

すると、横田備中守も賛同して言った。

「たしかに、山城守の言うとおりだ。遠距離攻撃に鉄砲は無類の強さを発揮する。しかし、接近戦で鉄砲を用いるのは危険である。点火しないこともあるからだ。しかも、いったん発砲すれば、再び火薬と弾丸を装塡そうてんするまでに時間がかかる。一騎討ちで鉄砲を使うのは褒められたものではないが、それ以外の状況であれば役に立つであろう」

 

彼らが指摘するように、たしかに当時の火縄銃は構造が原始的で、使用できる場面は限定的でした。また、弓のようにすばやく連射ができないという弱点も抱えていたものの、弓を上回る射程距離と破壊力については、広く認められていたようです。

 

2、槍による戦闘(槍合わせ)

合戦の第二段階は、槍部隊による攻撃です。槍部隊の攻撃は「槍を入れる」と表現されることが多く、槍部隊同士の戦闘を「槍合わせ」と呼びます。

関ヶ原の戦いの軍記には、武器の刃先から「火花が散る」といった表現で激しい戦闘の様子が語られていましたが、実際のところ、槍部隊が投入されて接近戦が始まると、戦場は一気に混乱し、敵と味方の将兵が入り乱れていきます。当時は、槍合わせから本格的な合戦が始まると考えられていました。一七世紀半ばに成立した『雑兵物語』という兵法書には「武士の槍から本当の戦いが始まる」という趣旨の記述があります。

こうした認識は、足軽の存在感が急速に高まった戦国時代においても、攻撃力の中核が武士にゆだねられており、足軽はあくまで武士の補完的な戦力と位置づけられていたことを示しています。したがって、足軽の首は手柄として評価されませんでした。武士たちは足軽との戦いを嫌い、戦場では身分の高い武士を探しました。

*   *   *

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フレデリック・クレインス 国際日本文化研究センター教授

一九七〇年、ベルギー生まれ。国際日本文化研究センター教授。専門は戦国文化史、日欧交流史。著書に『オランダ商館長が見た 江戸の災害』(講談社現代新書)、『ウィリアム・アダムス 家康に愛された男・三浦按針』(ちくま新書)、『戦乱と民衆』(共著、講談社現代新書)、『明智光秀と細川ガラシャ 戦国を生きた父娘の虚像と実像』(共著、筑摩選書)などがある。

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